第55話 幕間 はじまるまえのはなし

※怪我、血の表現があります。こちらは読まなくても本編には影響はありませんので、痛い表現、つらい表現が苦手な方はスルーして大丈夫です。

精霊王ノヴァ視点の、本編開始前からはじまる話です。











 その日、精霊たちは泣いていた。

 あまりにも多くの精霊がぼろぼろと泣いていたから何事かと思えば、血まみれの少年を大勢で抱えていた。


「精霊王さま」

「たすけて」

「この子をたすけて」


 精霊たちはみな、その子供に縋り付いて泣いている。普段はふらふらと気まぐれな精霊たちがこうも大勢で、しかも泣くなんてことは非常に珍しい。

 その原因であろう子供を見る。血まみれの体は一目見て、助からないだろうと判断できるほどの傷だ。顔色に血の気はまったくなく、ぐったりと四肢は投げ出されていて、胸や腹から流れ出る血液だけが唯一生きているようにすら感じた。


 異世界人の召喚がされたことは知っていた。弾かれてあちらに戻ったものもあったが、四十人弱の新しい存在を感じたから。

 召喚に応える人間の多くは死に直面していて、生きたいという願いに反応してこちらの世界へと迎え入れる。

 病気にしても事故にしても、あるいは殺されそうになっていた場合でも、その時にあった痛みや傷はこの世界に来た時点で消える。こちらではスキルや魔力がある為、それに対応出来るように精霊によってある程度体が作り変えられるからだ。その時の記憶がどの程度残るかはまちまちだが。

 その行程は本来オレが手を出すまでもなく、精霊たちで事足りる。

 だから召喚に応えたはずのこの子供が、こんな状態でいるのは異常なのだ。

 生きたいと思えていないものは、召喚されずに弾かれる。つまりこの子供は弾かれ、元の世界に戻されるはずだった。ということは召喚を行なったあの国は、召喚の陣か呪文かを書き換えたようだ。……あちらで死にそうな人間が救えるのなら百年に一度くらいの召喚はまあ良いかと許容してきたが、そろそろどうにかした方が良いか。先代と先先代は優秀であったはずなのに、今代の王は駄目だな。


 精霊たちが必死になって食い止めているものの、子供の体は回復することはなく、魂は消え去りそうで、心は閉じたままだ。

 精霊はおおよそのことは出来るが、万能というわけではない。既に死を受け入れている人間を助けることは、出来ないことだ。

「既に生きることを諦めているのだろう。そのまま死なせてやればよい」

 さっと子供の記憶を読み取ったところ、やはり死を受け入れているから回復がうまくいかないようだ。この子供はどうにも、生きるということに希薄なようだ。

 家族の仲は良いが、友人はなく、ひっそりと息を潜めるようにして存在している。

 心には無数に傷がついていて、けれど最早泣くこともしなければ怒ることもしない。あるのは諦めだけだ。


 ——家族のことは好きなのに、生きたいと思えなくてごめんなさい——……と。


「だめ!」

「やだ!」

「たすけるの」

「たすけて」

「この子をたすけて!」


「そうは言ってもな……」

 可愛い精霊たちの願いを叶えてやりたい気持ちはあるが、本人に生きる意志がなければどうしようもない。

 精霊では力及ばずとも、精霊王であるオレならこの子供の体の傷を癒やすことは出来る。消え掛けている魂をどうにか体に繋ぎとめてやることも出来なくはないだろう。だが、それだけだ。

 もう自分は死んだのだろうと心はしっかり思ってしまっている。それでいいと、足掻くこともなく。そのことは、どうしようもない。例え傷を癒したところで、目覚めないかもしれない。


「精霊王さまのばかー!」

「やくたたず!」

「ろくでなしー」

「ぼいこっとするぞ」


 いつになく精霊たちは反抗的だ。オレよりこの子供がいいのか。


「精霊王さま」

「この子、あのやろーをかばったの」


「あのやろー?」


「この子の幼なじみ」

「この子をしいたげてたやつ」

「ひこうき落ちるとき、とっさに」

「下じきになって」

「大けがした」


 なるほど、あのやろーとはこの子供を虐げていた筆頭か。

 咄嗟の行動でそういった関係性の人間を庇うことが出来るのなら、この子はとてもやさしい子なのだろう。さぞ生きづらかったことだろうな。


「あのやろーはゆるさない」

「やくたたずの勇者にしてやる」

「魔王さまのとこにさっさといってもらう」

「あんなやつすぐもとの世界にかえればいい」


 精霊たちはこの子の幼なじみに対して随分と辛辣だ。

 そいつに対してはすぐに魔王のところへ向かうように勇者のスキルをやり、ステータスもぞんざいなまま、この世界のものを傷つけることが出来ないように見えない呪いをこっそりかけて、さっさと放逐した。

 まああの大したことのないステータスなら、魔王もやりやすいだろう。体力や腕力があったところで、使いこなせなければ何の意味もない。それに勿論、この世界のものには魔王も含まれる。さくさく倒されたふりをして、世界は平和になったから勇者たちは元の世界に戻りました、という茶番を演じてくれるだろう。

「お前たち、あまり怒るな。災害が起きたらどうする」

 精霊は、自然と関わりが深い。

 怒りのあまり火山噴火とか、悲しみのあまり大洪水とか、過去になかったわけではないからな。

 助かるかはわからないが、ひとまず精霊の願いどおりに子供の体の傷を癒す。

 それから、『精霊の愛し子』のスキルを授ける。これがあれば精霊の姿が見えるし、声も聞こえる。


「精霊王さま、ありがとう」

「ありがとうございます」

「たすけてくれてありがとう」


 精霊たちはほろほろと泣き、子供の体にぴたりとくっつく。


「もう大丈夫だよ」

「この世界はこわくないよ」

「ぼくたちがいるからね!」

「だいすきだよ」

「そばにいるね」

「いっぱいしあわせにしてあげる」


 子供の意識は眠っているような状態だが、夢うつつのような感覚で、あるいは夢の中で、精霊たちと話をしているようだ。起きたら忘れるような、淡い夢だ。

 それでも精霊たちの呼び掛けに応えるように、少しずつ体に魂も心も定着していった。この分ならそのうちに目を覚まし、こちらの世界で生きていくことが出来るだろう。


「つらいことなんてないように、幸運をあげる」

「魔法はぜんぶつかえるようにしようね」

「詠唱はなくても、おもいうかべればいいからね」

「魔力がもしなくなっても身をまもれるように、弓もつかえるようにしよう」

「ポーションつくってみたいの?うん、それなら錬金術だね」

「だったら、鑑定もあったほうがいいよ」

「そうだ、めだつのはいやでしょう?だから、隠せるようにこれもあげる」


 自分を包み込む暖かな光に、子供はうっすらと目を開けた。微睡んだ状態で側にいる精霊をぼんやりと見ると、微笑む。自分に害のない存在だと認識したのだろう。ともあれ、どうにか助かったようだ。

 あとはこのまま、一緒に召喚された子供たちと同じところへ行くだろう。

 それにしても、精霊たちは随分たくさんスキルを授けたようだ。最初はステータスを隠蔽した状態にしておいてあげた方が良いだろう。




月立 壱弦  ツキタチ イヅル

十七歳 男

体力 100/100

魔力 100/100

スキル なし(隠蔽状態)




 これを見て、あの国はどうするか。

 どこへ行くことになったとしても、精霊がついている。


「またあおうね」

「まもってあげるからね!」

「だいすきだよ」

「とてもすきよ」

「すぐにあえるからね」

「いっぱいしあわせになろうね」


「……難儀なものだな。人間というものは」

 どんなに家族に愛されていても、どこかで他人を求めてしまう。

 この世界では家族とは離れてしまったが、良い人たちと巡り会えるだろう。家族に関してはまあ、おいおいだな。

 必要のない人とはすぐに離れ、出会う人たちはやさしく、ステータスも良くてわりと何でも出来る。イージーモード、というものか。そんな中で変わらないであり続けられるだろうか。この子供の、幼なじみのようになったりは?

 まあ、その時はスキルを剥奪すればいいだけの話だ。







 結局のところ、壱弦は壱弦のままだった。

 何でも出来て、何でも作れる。そう言っても過言ではないステータスでありながら、壱弦が望んだのは辺境の街でのささやかな、平和な生活だ。

 精霊たちと毎日飽きずに戯れて、身の丈にあった暮らしをしている。心は濁らず、魂の色は綺麗なままだ。

 この世界に来たきっかけの事故のことは朧げで、あの幼なじみを庇ったこともその後の精霊たちとの会話も覚えていないようだ。精霊たちも最初は気を遣って壱弦を遠目からこっそりついていって見守っていたが、結果はあのとおり。ポーションの香りにつられて、あっさりと顔を出した。

 ポーションのことがなくても、遅かれ早かれああなった気はするが。

 壱弦ののんびりとした雰囲気はとても居心地が良い。精霊たちが側にいたがるのも、わからないでもない。


「精霊王さまー」

「イヅルからなの」


「そうか、ありがとう」

 おつかいを無事に済ませた精霊の頭を撫でて労う。手紙を預かってきてくれたようだ。

 今日はアイネと朝早くから出掛けていたが、色々あって夕食の時間に間に合わないようだ。好きなポーションを飲むなり、ストックしてある食材を自由に食べていいとのことと、謝罪が書いてあった。

 精霊は人間とは違って、別に食べなくても存在出来る。だから食事は娯楽のようなものだから、壱弦が気にするようなことでもないんだが。

 この謝罪文を見る限り、明日はオレと精霊たちに料理やお菓子を存分に振る舞って穴埋めをしてくれそうだ。ちょっと気を遣いすぎなところはあるが、毎日楽しそうにここで生きている。


 勇者たちは既に、魔王討伐の旅に出たようだ。

 精霊たちも目を光らせているし、大したことは出来ないだろうが、その旅の中で穢れた心が僅かでも改善すると良いのだが。まあそれは、あわよくばの話だ。どのみちあの旅立ったメンバーは、元の世界へといずれ帰る。ここには残らないのだから。

 その旅路の中で魔獣退治をしてくれれば、役に立つというもの。感謝もされてあいつらの自尊心も満たされるのだから、良いことだろう。

 基本的に客人は丁重に扱っているが、たまに精霊がこっそり行なっている仕返しくらいは見逃してもいいだろう。ささやかな十円ハゲだとか、足の小指をぶつけるとか、寝ている時に僅かな時間精霊が鼻をつまむだとか、そんなちょっとした不幸だからな。どうせ元の世界へと戻れば、ハゲも消える。

 まあ何にせよ、今日も平和で何よりということだな。

 あの国でも動きがあるようだし、オレの対応はそれ次第になるだろう。ただ、召喚陣と呪文の書き換えは許さないが。


「精霊王さま」

「わるいかおをしてるー」

「わるだくみです?」


「大したことではない」

 急ぐことでもない。しばらくぶりの精霊の愛し子と過ごす時間の方が今は有意義だしな。

 あの生きる気力も体力もなくしてぐったりしていた子供が、元気に日々過ごしている。そのことを嬉しく感じる。今同じような状況に陥ったとしても、あの時よりはきっと生きたいと思ってくれるだろう。

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