第54話 透明な傷を塞いで⑤

 領主様との面談の付き添いを終えてようやく帰る頃には外はもう真っ暗で、なんと領主様が馬車を出して送ってくれることになった。

 勿論僕は馬車は初体験だ。どんなものかと思ったけど中は実に快適で、揺れるものかと思っていたけどそこも全然大丈夫だった。

「大丈夫、だったな」

 ぽつりと呟く。

 クラスメイトに会った時、思っていたよりも全然平気だったことに驚いた。

 柚さんとまどかさんはクラスの中でも中心にいるわけではなくて、僕自身との関わりもそうだけど、僕の幼なじみとも話したりする関係ではなかった。だから、だろうか。

 無関係の他人。通り過ぎる他人。それだけ。

 それでもあのクラスにいた頃、僕に対して時々吐かれていた暴言をまったく知らないわけではなかったはずだ。

 だからクラスメイトにはもれなく、会いたくないなあと思っていたけれど。

 ……うん。大丈夫だった。

 そのことがどこか少し、誇らしい。


「イヅル、馬車って結構速いね」

 隣に座り、外を楽しそうに見ていたアイネがにっこりと笑って話す。アイネも辺境の街から遠くまで出掛けたりはしないから、馬車に乗るのははじめてとのことだ。

「あんまり揺れないから、そんな感じもしないけどね」

 その辺りは流石領主様邸の馬車、というところだろうか。魔法を感じるから、揺れを軽減する魔法を入れた魔石でも使っているのかもしれない。

 それにしても、今日は随分長時間にわたってアイネを連れ回してしまった。夕方くらいには帰るつもりでいたのに。嫌な顔もせず、文句を言うこともなく、時間を割いて最後まで付き合ってくれた。

「遅くまでごめんね、アイネ。今日はありがとう」

 正直なところ、アイネがいた、ということは僕の中でとても大きい。

 クラスメイトに会うにあたって、僕一人でいる時だったのなら、逃げたり断ったりしていたかもしれない。というか、していただろうな。

 僕のことだし、細工のことを除けばアイネには無関係、といえばそうだ。この世界に来る前の、この街に来る前の話だから。それでも側にいてくれたことに、じんわりと心が温かくなる。

「……あのね、イヅル。柚とまどか、良い人たちだったね」

「うん」

 そのことは本当に救いだった。遭遇するクラスメイトが僕の幼なじみとかだったら、全力で魔法を駆使して速攻で逃げるだろう。それに関してはアイネがいたとしてもだ。速攻でアイネの手を取って全力で飛ぶと思う。まあ苦手な幼なじみに関しては、もう会うことはなさそうな気がするけど。

「イヅルのこと、いんきゃ……?地味眼鏡って呼んだら、殴ってやろうと思ってたんだけど、大丈夫だったね」

「うん……うん?」

 アイネの可愛らしい桜色の唇から、やたら物騒な言葉が飛び出した気がする。

「暴言も人を傷つけるものだから、正当防衛だよね」

 ぐっとこぶしを強く握るアイネ。

 これはあれか、あの武闘派のパパさんママさんの教育の賜物かな。素振りまではじめた。スピード感のある右ストレートだけど、たいへん細腕で、でもなんかキレはすごいな。

「ええと、殴るのは駄目だと思うよ」

 なんだか色々可笑しくて、吹き出して笑ってしまう。

 殴りかかるアイネとか、普段と違いすぎて想像も出来ない。本当、可笑しいなあ。

 アイネもそうだけど精霊さんも物理で仕返しに殴る感じのことを言っていた。どうしてこう、僕のまわりは腕力で解決しようとするタイプばかり揃っているんだろう。アイネだって精霊さんだって、普段はそんな風には見えないのにな。

「イヅルの代わりに怒ってるのに」

 僕に笑われたことに、アイネはご立腹だ。怒っていても可愛いけど。

「うん。ありがとう」

 だって今日、あんなに仲良さげに話していたのに、心の中でそんな風に思っていたなんて。女の子ってわからない。

 どうにも笑いが止まらないでいると、アイネはますます不満げだ。


 人間は、他人のことをどれくらい好きになれるものなんだろうか。

 こんな風に嬉しさや愛しさで体の制御がきかなくなるなんてことを、僕は知らない。

 華奢なのに心に強さを秘めた体をきつく抱き締めたりだとか、悲しいわけじゃないのに勝手に熱くなる目元とか、爆発してしまいそうな感情にどうしていいのかわからない。

 僕よりも体温の高い体。ふんわりとした髪の感触。柔らかで安心する匂い。ゆっくりと背中に回された細い腕のやさしさ。

 とても、とても好きだと思った。

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