鎖骨
瀬奈
鎖骨
二宮 夜子は10歳で死のうと思った。周囲に信じる事の出来る大人がいなかったからだ。両親はほとんど家には帰らず、夜子は毎日を一人きりで過ごしていた。
同じ年頃の子供と比べると、利発的な子供だった事も、大人達から煙たがられる原因となっていた。
助けを乞うこともできず、孤独だった夜子は思った。
「このまま生きて、あの何も知らない大人達と同じようになるのなら、死んだ方がいくらかマシなんじゃないか」と。
マンションの11階から、笑みを浮かべて夜子は飛び降りた。躊躇など無かった。
灰色の世界が、真っ黒の世界になったところで、きっとすぐに慣れてしまうだろう。だって、母が戻らなくなった時は、三日で何事もなく過ごすことが出来るようになったのだ。父が姿を消した時には、その事実にさえ気がつかなかった。
だから、私は大丈夫。
これで本当に自由になれる。
夜子はそう、自分に言い聞かせた。
井川将文はどうにかして、生きたいと考えていた。思い返せば、自分の人生は順風満帆だった。
大学時代、課題の代わりに提出した小説が教授の目に留まり、小説家としてデビューしてから、10年の歳月が過ぎた。今も、これと言って苦労することもない。
あえて生きる理由が存在しないこの世界に抗う。目下、将文が行なっているのは、ただそれだけのことだった。
日課である散歩の途中、将文は一羽の文鳥が木に止まっているのを見た。文鳥は将文と目を合わせると、ピッと短く鳴いて、郊外の住宅街の方へ飛び去っていった。雨雲が薄く伸びる空の中にその小さな姿が溶けてゆくのを、将文は黙って眺めていた。
「影が」
将文は、2、3歩先の道端に、黒いものが浮かび上がっているのに気がついた。それと同時に、女の悲鳴のような声があり、見上げてみると、10歳ほどの少女が空から降ってくるのが目に入った。
あの時は、意外と呆けた頭をしていたんだ、とパパは言った。そうでもなければ、君を受け止めようなんて思わなかっただろう、と。
でも私にはわかるのだ。それが、気恥ずかしいさを隠すための方便であるということが。
暖色の光が、私の顔をやり過ぎなくらいに照らしている。
会場一面にひかれたレッドカーペットのうえには、カメラを持った人々が、私の表情が崩れる瞬間を狙って待ち構えている。
「今回の作品は、あなたの養父である井川将文氏に向けて書かれたということですが、井川氏本人からはどんなお言葉を?」
「あの時」
私は、まるで新月の夜にみる、あの無機質な夢の中へと吸い込まれていくような感覚で、空中を落ちていった瞬間を思い出していた。
「あの時、僕の鎖骨を折ってでもーーー」
次の言葉を言おうとした時、辺りには眩いフラッシュの束が広がった。
無機質な光に包まれ、私は思った。どこまでも、どこまでも。生きていたい、と。
「君を助けてあげることができてよかった」
おわり。
鎖骨 瀬奈 @ituwa351058
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