おかしいのは誰?

美紘

おかしいのは誰?

 本日、28歳の誕生日を迎えた。IT企業を立ち上げ数年で一流企業に育て上げた敏腕社長、というのが世の中の俺の評価である。そこそこの大学を出て社会人を経験しすぐに自立した俺はいわゆる勝ち組の部類になるだろう。明日は土曜日、彼女にプロポーズをするため指輪も婚姻届も用意してある。

 彼女とは大学生のころからの仲で、交際は5年目になる。彼女の仕事も落ち着いた今、結婚には丁度良い。給料3か月分なんて生ぬるいくらい、高価で、きれいで繊細で、彼女によく似あうブランドでオーダーメイド。よくお世話になっているホテルで豪華なディナーのつもりだ。長らく待たせてしまったが、彼女の両親へのあいさつも済ませており、準備は万端である。

 そして久々に、金曜日に定時で上がることができた。家ではビールが冷えている。今日は特別にシャンパンを開けてもいいかもしれない……いや、明日のためにも肝臓は休めておくべきか。午後6時はまだ学生もサラリーマンも多くいる。いつも終電に間に合わずタクシーで帰宅しているが、久しぶりに電車に乗ってみると金曜の喧騒である。どこかみんな楽しそうで声も大きく、なんとなく浮足立っているのがわかる。

 かくいう俺もふわふわと足元が軽い気がした。明日の一世一代のプロポーズが成功するだろうかという不安もあるが、非日常は誰しもわくわくするものだ。少年の心を取り戻したかのように、気が付けば鼻歌でも歌ってしまうくらいにはご機嫌である。

 会社の最寄り駅から電車で15分揺られる。そこから徒歩で20分。落ち着く地元の田舎を彷彿とさせる街にマンションを借りた。都会の空気に嫌気がさしても、自宅はいつだって静かで、優しくてまろやかな場所であれば敏腕社長の癒しになる。

 革靴が夜の街にこつこつと響く。まだ人通りも多い時間だが、少し路地に入ればそれも一層少なくなり、どこかの家では煮物が作られていて、どこかの家では小さな子供がはしゃいでいた。

 ふと、ポケットに突っ込んでいたスマホが震えている気がした。手に取ると不在着信が入っている。知らない携帯番号だが、取引先の誰かか、そういえば最近機種を変えたと言っていた営業の社員がいた。業務時間外ではあるが、かけなおすか否か考え、そうしているうちにまた着信がくる。

「……はい、岸井の携帯です」

『もしもし……修くん……?』

 女性の声だった。

「ええと」

 心あたりを探していると、声の主は焦ったようにつづけた。

『ばれたの』

「え?」

『ニュースみてないの?見つかったのよ、あれが』


 そのニュースというのがまったく俺に関係ないもので、何を言われても特に思うこともなく、女性は最後まで名乗らなかった。金曜の夜にこんな混乱することを言われてご機嫌だった心がしぼんでいく。やめようと思ったビールを開け、ふろ上がりの格好のままぐっと飲みこむ。テレビの前においてある場違いなぬいぐるみが俺の目を見た。実家から持ってきたもので、貰い物だから処分できずにいたものだ。

「なんなんだ」

 速報で入ったらしい。地元といってもあまり縁のない地名であったし、なんのために女性が電話をかけてきたのかもわからない。

 時計を見ると午後9時を回ったところで、適当にテレビをつけるとバラエティやら映画やらにぎやかな番組ばかりである。どれもなじみがないが、なんとなくさっきの気味の悪い女性を思い出しニュース番組をつけてみた。

が、何分かしてインターホンがなる。カメラに映し出されたのは清楚で綺麗な女性で、さっきの電話の声と同じ声で入れてほしいと言った。

「なんでここを知ってるんだ」

『いいから!急がないと、早く』

 気おされてロックを解除する。すぐに息を切らした女性が玄関前にやってくる。

「君は一体誰なんだ、まず名乗ってもらわないと」

「リオだよ。忘れたの?薄情すぎると思うけど」

「リオ……理央か?!わかるわけないだろう、最後に会ったの10年前じゃないか。ここになぜ」

「ねえ、本当に覚えてないの?ふざけてるの?」

「ふざけるも何も、本当に心当たりがないんだ。説明してほしい」

 理央は高校まで同じ学校に通っていた幼馴染で、俺が地元を離れてから一度もあっていない。あの時はお互い子供だったから化粧気もなく地味でお世辞にも綺麗とはいいがたい、そんな理央が年相応に成長していればわかるわけもなかった。

「12年前……高校生の時、埋めたじゃない、一緒に」

「…?ああ、あれだろ」

「それが掘り返されて……」

 それが何だっていうんだ。一緒に埋めたのは仲良し四人組でのタイムカプセルだ。それぞれ手紙やその時の写真なんかも入れた記憶がある。

「何が問題なんだ」

「ねえ本当に思い出せないの?」

 イライラした様子の理央は、ソファに乱暴に座って俺を見上げた。

「ハルナの死体」

「なんなんだ!いいかげんにしろ、なんで春奈のことをお前が知ってる?!」

「おかしいのは修ちゃんのほうだよ。なんで?埋めようって言ったのだって、修ちゃんなのに!」

 おかしいのはどう考えても理央のほうだ。

 春奈……樫木春奈。それは明日プロポーズをするはずの相手の名前だ。10年も会っていなかった理央が知っているのはおかしい。それに地元の友人とは関わりを断ったはず。漏れるとしたら取引先や社員に地元の誰かがいて……いや、それもない。プライベートな話は会社ではほとんどしない。秘書が漏らした?しかしそれほど確率の低いことが起こりうるのだろうか。

 もしくは俺が忘れているとか?なぜそんな物騒なことを?

「……混乱している。今日は帰ってくれ」

「明日また来るからね?」

「ああ……昼頃までなら時間はとれる」

 理央は意外にもあっさり引き下がった。エントランスまで見送り帰ってくると、時計の短針は12を指している。


 高校のころ、埋めたタイムカプセル。

 ありえないけれど、理央はもともと素直で嘘が下手だった。それに理央が突然嘘をつくのも理由がない。

 たとえば、春奈ではない別のハルナだったとして。

 そのハルナを埋めたとして。

 何か理由があって殺してしまったか怪我をさせてしまって、証拠隠滅のために埋めた?一緒に埋めたということは親族か、学友かだろう。では理由は?そもそもそんなに大きな出来事を忘れるなんてあるのだろうか。

 だが理央が言っていたことが本当なら、精神的ショックで記憶を抹消してしまった可能性もある。地元の学友と縁を切ったのも、もしかしたらその時は物騒な事件から手を引きたくてということだったのかもしれない。高校時代より前の記憶が薄いような気もしてきた。それに、もし嘘だとして理央が嘘をつく理由もわからない。

 それか、自分が二重人格か何かで記憶にないことをしていたのかもしれない。

 ありえない妄想がやまず、今日はとりあえず寝ることにする。明日のために指輪を確認した。


 深夜三時。

 ふと目が覚めた。滝のような汗、のどが痛いくらいに渇いている。昨夜の理央の件で嫌な夢でも見たのだろうか。

 真っ暗なリビングを手探りで進んでいく。電気をつけるのすら億劫で、そのままシンクに向かった。

 得体のしれないハルナという女。

 グラスに水を注ぐ。飲み干せばのどに染みる感覚さえ覚える。なんとなく、昨夜見たはずの指輪に目が行く。暗闇に慣れてきた目がしっかりした光沢のある袋をとらえ、これもなんとなく手に取ってみる。やけに軽い。

「え……」

 引いたはずの汗がじわりとにじむのが分かった。手元にあるシーリングライトのリモコンを乱暴に手に取り電気をつける。袋に入っていたはずの小さい箱はない。

「なんで」

 もしかして、春奈という人間すら俺が作り出した妄想だったりするのだろうか。昔埋めたハルナと混同して?

 いきなり怖くなって寝室に投げてあるスマホを探した。カメラロールを漁る。よかった、彼女の写真はある。旅行に行った時のもの、この間で来たばかりのカフェを訪れたときのもの、それから……。

 着信が鳴った。

「うわっ」

 さっきと同じ、理央の携帯番号だ。

 なぜこんな時間に。思いながらも恐怖による反射で通話を開始してしまう。

「理央っ」

『今から迎えに行くね。思い出した?』

「思い出すってなんなんだ!指輪はどこにあるんだ」

『私に聞くの?』

 そうだ、指輪がないのは俺がなくしたからだ。そうに違いない、なのに、今日家にあげただけでなぜ疑う?

 混乱といらだちのままに通話を切りスマホを投げ捨てる。インターホンが鳴る。たった今まで電話をしていたのに、最初から来るつもりだったのだろうか。電気をつけたままインターホンを取ることもなく、寝間着姿で家を出る。エントランスにはさっきと同じ格好の理央が立っていた。

「理央……」

「車で話しましょう」

 暗闇に溶ける黒い軽自動車の助手席に押し込まれ、すぐ発進する。どこへ向かうのかと問うても返事はなかった。

 約一時間、車に揺られ、あたりは住宅街に変わっていた。やっと理央が口を開く。

「12年前の今日、修ちゃんが初めて彼女を作った日だよ」

「彼女……ああ、たしか誕生日に告白されたことがあったかも」

「私ずっと修ちゃんのこと好きだったのに……」

 ……いやおかしい。

 12年前、高校生の俺が誕生日に告白されたのは、理央だったはずだ。しかし告白に返事をした覚えはない。妹みたいに思っていたのだ。突然のことに驚いて保留したはず。

「理央」

「修ちゃん、本当のこと教えてあげるね」


「12年前の今日、私は修ちゃんに告白した。緊張したけどなんだか達成感もあって……修ちゃんは待ってほしいって言ったけど、帰ってから修ちゃん、同じクラスの女の子とゲームし始めたよね。修ちゃんの部屋に盗聴器置いておいたからすぐわかった」

「盗聴器?なんでそんなもの」

「全部知りたかったんだもん。高校入ってからはずっと置いておいたよ。私があげたぬいぐるみに入ってる。今も持ってるでしょ?」

 リビングに置かれたぬいぐるみ。背筋がぞっとした。

「許せなかった。考えるって言ったのに……だからね、その子と連絡とって、こっそり会おうとしたの。テスト直前だったから、間違えてノート持ってる困ってるよねって。近所の公園まで行って」

 理央の表情はずっと硬いままで、ずっと先を見ているようでどこも見ていないみたいだった。

「刺した」

「刺した?」

「ちゃんと口元も抑えていたし、だれにもばれなかった。公園の近くにずっとだれも住んでない空き家があるのを知ってて、重たかったけどおんぶしていった。大変だったけどちゃんと掘って、埋めた」

「ちょっと待ってくれじゃあ、一人でしたんだろ。俺は関係ないじゃないか」

「そうだよ」

 ふと車が速度を落とした。

「修ちゃん、心当たりないんだよね。当たり前だよ。ハルナなんていない。私が埋めたのは同じクラスだった田中さん。指輪はここにあるし」

 ほらとかざされた左手に指輪が収まっている。ますます訳が分からなくて冷や汗が首を伝う。

「全部、でたらめってことか」

「そう。馬鹿だね、こんなところまでのこのこと。修ちゃん私の告白の返事は?ずっと待ってたのに」

 得体のしれない女が怖くて車から出ようとするが、震えでシートベルトは外れないし車は速度を上げ始めた。スマホは投げ捨ててきたままだ、だれにも助けてもらえない。

「あれがばれなくても、修ちゃんがプロポーズする前に来ようと思ってたから丁度よかった。あの空き家取り壊すの遅くてよかったなあ」

 しみじみと、心底嬉しそうに話しているわりに表情はおおまじめなままだ。冷や汗をかいて座っているだけでいては何もならないのに。

「一緒に死のうね」

「やめ」


 目が覚めると赤い光がちかちかしていて、何が何だかわからなかった。だれかが呼び掛けている気がするがのどに声が張り付いて音にならずに消えていく。全身がだるくて重くて動かすことはできない。

 助かった。

 理央は俺を乗せたまま猛スピードで前進し、車は崖か川かに落ちた。おそらく崖だったのだろう、今地面に横たわっているということはそういうことだ。


 次に目が覚めたのは薬臭く青白い部屋だった。体を起こすことはやはりできず、ぼーっとただ真上を眺めるばかり。カーテンを開けた音がして、すぐに女性の声がした。目が覚めましたか、お名前わかりますか。すぐに先生を呼びますね。そういって頭の上を通過した白い腕が何かボタンを押した。

 痛い。そういえばどこもかしこも痛い。窓の外はまだ白んでもいない。あんなことがあったのにまだ夜なのか、時間の概念がわからない。

 そういえば理央はどうなったんだろう。

「目が覚めましたか?」

「あ……」

 白衣の女性だ。凛としていて美しい。

「担当医の樫木です。お兄さんひどく酔っていたようですね、自宅の階段から落ちたんですよ」

「いま、何時です?」

「今?午前三時を過ぎたところです」

「一緒にいた女性は」

「女性ですか?女性はいらっしゃらなかったようですが……」

 言いよどむように女医は目配せする。

 カーテンを開けこちらを見るのは白髪交じりの警官だった。胸ポケットから名刺入れのようなものを出してこちらに向ける。

「私、こういうものです。岸井修平さんですね?」

「そうですが……」

「いくつか質問があります。よろしいですか?」

 はいと答える間もなく警官は横の椅子に座る。手元にはA4サイズのバインダーとボールペン。まるで事情聴取だ。無理もない、あんな事故の後なのだから。しかしさっき女医は階段から落ちたと言っていた。崖から落ちたはずではないのか。

「ご年齢は」

「28です」

「28?そうは見えませんが……では、ご職業は」

「IT企業の代表をしています」

「IT企業ね……」

 ふと警官が俺の手をつかんだ。突然のことで避けることもできずいるとじっと手を見つめ俺の目の前にかざしてきた。

「28歳でしょうか」

 しわがたくさん入った、シミのある手。

「岸井さん。もう一つ。あなたのご実家の床下から白骨遺体が見つかりました。ご存じですね?」

 ふるふると首を振る。自宅?空き家のはずではないのか。

「ご遺体は篠田理央さんのもので間違いありませんでした」

 篠田理央。

「そんな……そんなはずはない。理央は生きていた、だって、今日だって理央と会っていたんだ、白骨だなんて……」

「岸井さん」

「そんなはずは……じゃあ……春奈は?」

「春奈さんですか?」

「樫木春奈、お、私の交際相手ですが……」

 女医がいぶかしげにこちらを見る。

「樫木春奈は私です」

 そんなはずは。

「岸井さん、お加減良くないようですね。また来ますので」

 そういうと、警官は立ち上がった。

 何から何までおかしいのに、相変わらず冷や汗が流れるばかりだ。

 女医はあいさつをして警官とともに部屋を出る。電気を消されあたりはまた暗闇だ。ふと掛布団が乱れているのが気になり、なぜかしわのある手でそれを直す。

「しゅうちゃん」

「うわっ」

 耳元でかすかに女性の声が聞こえた。

「忘れないからね。修ちゃん、私わすれないから……ね」

「なんなんだ!誰だ!どうなってるんだ!」

「修ちゃんが私を忘れるからよ。いつも、いつも」





「彼の身元は調べてあるんですよ。28歳の時、彼は幼馴染の篠田理央を殺害しました。動機はわかりませんが、背骨に数か所傷がある遺体でしたからよほどの力で刺したか……実家の床下に彼女の遺体が見つかりました。凶器と思われるナイフもそこに埋められていました。篠田理央さんは幼馴染ですが岸井さんより10も年下で高校生でした」

「岸井さんこれで何回目ですか?」

「さあ……しかしこれほど錯乱しているのは初めてですね。特にいままで事件はなく落下の事故ばかりでしたから。しかし事件を起こしていたのなら、今回以降は樫木先生にお世話になることもないでしょう」

 岸井修平はうちの病院の常連だ。最初は年齢から認知症だと思っていたが、飲酒もあり意識はいつもどこかに行っていた。

 治療するにも彼はホームレス同然で、職もなく家もあるのかないのかと思っていたが、まさか自宅に遺体が埋められていたとは。

「28歳IT企業の代表ね……実際は48歳無職だというのに」

「どんな妄想をしているんでしょうね、彼」

 


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