第26話 甘言と銀月の精霊
静かなさざめきの様に始まったそれは、やがて渦巻くような反響となって庭園を満たしていく。
シルクの祝詞──歌にも聞こえる言葉が折り重なり、揺らめきとなって響いた。
魔法的──いや、精霊的な現象だと考えられるが、問題はそれに呼応して【
おそらく、管理者たる『琥珀の瞳』の呼びかけに、世界樹の中枢たる【
「ああ、素晴らしい。感じるよ。これが、
恍惚とした表情を浮かべて、天を仰ぐイルウェン。
「そんな与太話に付き合っていられるかッ!」
一歩踏み出すと同時に、マリナとネネが横を猛スピードで駆け抜けていく。
「なんだかわかんないけど、止めるッ」
「シルクさんも、やめるっす!」
そんな二人の背を追いながら、強化魔法を二人に付与する。
これが何らかの儀式であれば、繊細なコントロールにが必要なはず。
話し合いや説得に持ち込むにせよ、まずは物理的な制圧をする必要があった。
「無駄だよ。ここは閨であると同時に玉座でもある」
木の葉まじりの強風がマリナとネネを弾き飛ばし、俺を数歩後退らせた。
儀式中の管理者を保護する魔法的な仕掛けか何かか。
「シルクが僕を受け入れた時点で、君はお役御免なのさ。それなのに、こんな所にまでのこのこ現れてさ、未練がましいったらありやしないよ」
「お前の言う通り、俺は未練がましいい男なんだよ」
そう口にしながら、イルウェンを睨みつける。
「しつこいのは嫌われるよ?」
「そうかもな」
だが、と心に活を入れる。
まだ、俺はシルクとちゃんと話をしていない。
それに、男として単純に負けられないと感じている。
シルクが何に責任を感じて離れたのか、何をするためにこいつといるのか……何も納得をしてはいないのだ。
「だいたいさ、この状況はキミのせいだろ?」
イルウェンが俺を見据えて言葉を紡ぐ。
「聞けば、あの暴言を吐いた男はキミの友人だったそうじゃないか? 生死を共にする仲間だったんだろ? 何年も一緒にいて、どうして止められなかったんだい?」
「なん、だと?」
「キミがさ、彼を諫めることができていればシルクへの暴言もなかったし、エルフ側が反発するような事件は起こらなかった。違うかい?」
言葉と一緒に、小さな違和感が滲むように広がっていく。
いや、違和感が滲んで消えていくというべきか?
何かがおかしい。
「戦争はキミのせいで起きるんだよ。キミのせいで、シルクは好きに生きられなくなったんだ。彼女が負うべき責務の発端は、君が引き起こしたと言っても過言じゃないだろう?」
「……」
そうかもしれない。
いや、そうだろうか?
「──ク、……って」
「……っ──て……! ユー……」
仲間たちの声が聞こえる。
何か反論しているようだ。
だけど、聞こえているのにわからない。
ただ、イルウェンの声だけが反響して沁み込んでくる。
「そうでなきゃ、シルクが君から離れるはずなんてないんじゃないか?」
何かが入り込んでくるのを感じた。
言葉以外の何かが、心の隙間を満たそうと入り込んでくる。
隙間から流れ込んで、何もかもを滲ませようとする何者か。
それがじわりじわりと俺の奥底に入ってこようとしている。
だから、俺はそいつを無理やりに
「が……ぐッ……ああああああッ!」
まるで頭の中を掻き毟るような激痛と、いくつかの記憶が砕け散る感触があったが、こんなものに好きにされるよりはましだ。
だから心に作用する暗黒魔法を無理やり自分に発動して、原因を掴んで捕らえた。
「……んなッ!?」
目の前でご高説を垂れていたイルウェンが、悲鳴じみた声を上げる。
頬の刻印がずきずきと脈動するのを感じつつ、俺は暗黒魔法の腕で掴み上げたそれをじっと見つめた。
軟体生物のように見えるそれは、半ば透けていて半実体とも言うべき薄っぺらな存在感しかない。
だが蠢きながら、内部ではきらきらと銀色の光を放って俺に〝囁〟こうとしている。
これが何であるかはわからないが、目の前の性悪エルフが仕掛けた何かだということだけはわかった。
「キ、キミは本当に……本当に何なんだッ!?
「
月の精霊だというので、もう少し美しい何かを想像していたが……実際に目にすると、蛸かクラゲの様にしか見えない。
だが、こいつがシルクを誑かした方法はこれでわかった。
こんなものに頭の中を掻きまわされれば、シルクとて妄言に惑わされる。
そう考えた瞬間、少しばかり敏感に反応した俺の暗黒魔法が
見た目通り、繊細な物体であったらしい。
「精霊を、殺した? 本当に、さ……なんなんだ、お前。まがりなりにも心の精霊だよ? 本来、誰の心にもいるような……それを何だってそんな簡単に?」
うろたえ、膝をついて嘔吐するイルウェン。
深く契約した精霊が暗黒魔法で喪失したために、その影響を受けたのかもしれない。
だが、いつまでもこの男にかからずっている場合ではない。
のたうつイルウェンがの隣……詠う事をやめたシルクが、こちらに視線を向けた。
目が合ったが、すぐにそれを逸らしてうつむくシルク。
その肩は小刻みに震えていた。
「シルク」
一歩前に出て、名を呼ぶ。
そんな俺に首を横に振ってシルクが叫んだ。
「来ないでください! わたくしは、とんでもないことを……!」
「じゃあ、行かないよ。代わりに、君がこっちに来てくれ」
「行けません。しでかしたことの始末を、つけなくては」
背後にある半開きの【
シルクの祝詞によってさらに少し開かれた扉の向こうからは、さらに濃い異世界の気配が流れ込んできていた。
これを放置すれば、やがては前回となり……今度こそ、〝淘汰〟を招くだろうことは、想像に難くない。
「……僕を無視するのも、程々にしてくれるかなぁッ!」
イルウェンが背後からシルクを拘束するように、組みつく。
「まだだ、まだ終わらないんだよ! 僕の覇道は、まだ終わっちゃいない!」
「イルウェン・パールウッド……もうお終いです。あなたも、わたくしも」
「そんなことない! 僕はね! 王として! この世界を全部新しくするんだ! 君はその隣にいられるんだよ? もう黒エルフだなんて嘲笑されることもなく!」
支離滅裂に語られる妄言に、シルクが首を振って応える。
「『真なる森の王』は、あなたが想像するものではありません。この扉の先から現れる、侵略装置の名前です」
「へ……?」
「なるものではなく、現れるものなのです。この世界では〝淘汰〟と呼ばれている、災厄です」
シルクの静かな声に、イルウェンがいやいやと頭を振る。
まるで、聞き分けのない子供の様に。
「嘘だ。君は嘘を言っている」
「嘘ではありませんよ、イルウェン・パールウッド。『真なる森の王』とは、別の〝淘汰〟に対抗するべく放たれる〝淘汰〟の名称です。『金色姫』の末たる、わたくし達『琥珀の瞳』を持つダークエルフが、その命を餌にこの扉から呼び寄せる制御不能な力なんです」
膝をついて、うつむくイルウェンだったが……次の瞬間、その顔が狂気に染まった。
「ならさ、もうそうしよう?」
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