第23話 暗殺者と無茶

 目の前に立っていたのは、見知った顔のダークエルフの少女だった。

 その手には、血が滴る大型のナイフが握られている。


「思ったよりも、頑丈ですね」


 冷めた目でそう言い放ったサイサリアが、ナイフを横なぎにして俺の頸部を狙う。

 ……が、すんでのところでその一撃は小太刀に弾かれた。

 俺を抱きかかえるようにして、ネネが後退る。


 着地の衝撃で少し血を吐いたが、首を刈られるよりはマシだ。


「すまない、ネネ」

「しゃべっちゃダメっす! レインさん、治癒を!」

「ん、わかってる」


 駆け寄ってきたレインが、小さく詠唱して俺の傷に触れる。


「傷の治りが、悪い……!」

「でしょうね。特別製、ですから」


 目を凝らせば、サイサリアの大型ナイフは黒々とした波打った刀身をしていた。

 あれには、少し見覚えがある。

 サイモンが得意げに振り回していた魔剣とよく似ている。


「サイサリア、アンタいったいどういうつもりよ!?」

「イルウェン様の邪魔はさせません」

「アンタ、最初っから……ッ」


 油断した。

 この人数相手にイルウェンに余裕がありすぎると思ってはいたんだ。

 まさか、サイサリアがイルウェンの手の者だったとは、少しばかり予想外だった。


「一人で、私たちを止めるつもりっすか?」

「そのように命じられましたので。本当は『木人』となったタイムス達が皆さんを始末する予定だったんですが」

「ボクらを、誘い込んだんだ、ね?」

「ええ。殺されるか野たれ死ぬかしていただく予定だったんですが、本当に困ってしまいました。ですので、わたし自らが始末を付けさせていただきます」


 憂い気に溜息を吐き出したサイサリアが、黒いナイフを胸元で逆手に構える。

 俺を最初に不意打ち排除する手管、そしてこの人数を前にしての堂々たる振る舞い。

 おそらく彼女は、かなり手強い。


「皆さんが悪いのですよ? イルウェン様の邪魔をされるから」

「アイツは何をしようとしてるワケ?」

「ここで森に還られる皆様にお話しても詮無き事です。ただ、ご安心ください。シルク様は幸せになられますよ。よかったです──ね」


 語尾と同時に、サイサリアの姿が消える。

 そして、次の瞬間にはジェミーと目と鼻の先に肉薄していた。


「──……ッ!?」


 身をこわばらせるジェミーに向けて、俺は〈硝子の盾グラスシールド〉の魔法を発動する。

 間一髪のところで、俺の魔法が黒いナイフの切っ先を弾く。

 その後隙を埋めるようにネネがダークエルフに切り込んで、マリナがジェミーの壁となって立ちふさがった。


 よしよし、いいぞ。

 俺の指示なんてなくても、十分に動けてるな。


「ユーク!」


 うっすらとぼやけた意識を、レインの声が呼び戻す。

 これは、少しばかり危ないか?

 痛みがなくて、体が冷たい。


「レイン、みんなのフォローに。俺は、自分で何とかするよ」

「で、でも……」

「大丈夫だ。早いところ、シルクを追わないとな」


 軽く笑って見せて、俺は体の奥底に隠していた青白き不死者王の祝福に呼びかける。

 一般的には呪いに該当するものであり、人として使うべきでない力だと避けてきたが……この期に及んで出し惜しみはするまい。


 生と死を反転せしめる女神の力の一端。

 それを、少しばかり開放する。


「ぐっ……ぁ」


 ひどい痛み、倦怠感、眩暈。

 それが一度に襲い掛かって、情けない悲鳴が口から漏れてしまったが……どうやら、問題なく力を行使できたようだ。


「ユーク?」

「アンタ、大丈夫なの!?」

「無理しちゃダメっす!」

「治癒、まだ、だよ?」


 細剣を抜いて、進み出た俺に驚いたのは仲間達だけではない。


 ネネの攻撃をいなして、距離をとったサイサリアもまた驚きを表情に滲ませていた。


「治癒不能な致命傷だったはずですが」

「俺は赤魔道士なんでね。小細工が得意なのさ」


 痛みはまだあるし、大量の魔力マナを失ったことによる倦怠感も強い。

 そう何度も気軽に使えるような手段ではないが、俺がこうして戦線に復帰したという事実は、相手の動揺を誘うに十分な効果があったようだ。


「サイサリア、形成逆転だ。そこをどいてもらえないか」

「甘いですね。気味が悪い」


 憎悪を隠そうともせず、サイサリアが俺を睨みつける。

 確かに甘い提案だった、と心中で自嘲したものの……おかげで、覚悟は決まった。

 俺なりの確認作業に過ぎないのも確かなのだ。


 冒険者をしていれば、魔物でなく人を斃す機会もある。

 『グラッド=シィ・イム』や反転迷宮テネブラ、それに先ほどは木人に転じた人間を手にかけることになったが、そうでない『人間』を殺す経験というのを、これまで『クローバー』では経験してこなかった。

 できれば、この先もずっとしなければいいと願っていた。


「……ユーク」


 右後ろにいるジェミーが、少しばかり諫めるようにして俺の名を呼ぶ。

 ここで甘やかすな、って言いたいんだろう?

 君だって、初めての日に随分と憔悴していたものな。


「わかってるさ」

「わかってないわよ。アタシたちでやるって言ってんの」


 杖の先に魔力を集めて、決意した瞳を向けるジェミー。


「あの子たちには、まだ早い」

「そんなこと、ない」


 そう口にして一歩前に進み出たのは、レインだった。


「ボクらを、甘やかさない、で。それに、見て」


 レインの声に前を見やると……マリナとネネの背中が見えた。

 そして彼女たちはすでに、冷えた炎のような殺気を撒き散らしながら、サイサリアに対峙している。


「……なんだ、俺が最後か。そうか」


 仲間たちの決意を侮っていたのは、俺の方だったようだ。

 いつまでも、先生と教え子ではいられない。

 これを成長と呼ぶべきかはわからないが、彼女たちはもう一人前の『冒険者』なのだ。


「……」


 そんな俺達を冷えた目で見ていたサイサリアが、姿を消す。

 初見では面食らったが、ジェミーが攻撃されたあの時に、およそのトリックはわかった。

 俺達の前から姿を消した方法についても。


「〈灯りライト〉、〈灯りライト〉、〈灯りライト〉──……!」


 仲間達が動くより前に、そしてサイサリアが迫る前に、指先から連続して魔法を放つ。

 周囲を照らす小さな光を灯す、基礎魔法の中でも初期の初期に習得する魔法。

 それを何十と地面に灯してまるで昼の様に……いや、それ以上に広場を照らした。

 多方向に置かれた光源が、影という影が消していく。


 そして、消された影の中に潜んでいた者が無防備に姿をさらした。

 信じられない、という表情で。

 その動揺と焦りは、戦場で見せてはならない類いのもので──それを見逃す者もまた、ここにはいなかった。


「……」

「……」


 マリナとネネの得物が、同時にダークエルフを捉える。

 間一髪で致命傷を避けて跳び退った彼女だったが、レインとジェミーが放った攻撃的な魔法が追い打ちをかけるように降り注いだ。

 引き攣るような悲鳴が断末魔となったサイサリアは、そのまま倒れ込んで……動かなくなった。


「……行こう。シルクを追いかけないと」


 敵とはいえ、見知った者の命が失われる余韻を振り払うようにして、俺は未だ揺らめく『世界樹』の入り口を指さした。

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