第51話 小賢しい赤魔道士と再会の抱擁
「不敬であろう。それでは我がお前から何か奪ったようではないか」
軽いため息と共に、顎をしゃくるマストマ王子。
その仕草に視線を向けると、そこにはサルムタリア風の装いをしたレインが、先ほどの女性に連れられて立っていた。
「ユーク!」
「レイン……!」
「おかえり、おかえり……ユーク!」
「ただいま」
駆け寄ってきて、その勢いのまま抱き着いてくるレインに抱擁を返して、俺はマストマを見る。
その顔には貫禄のある悠然とした笑みが浮かんでおり、満足げに俺達を見ていた。
「賭けはお前の勝ちだ、豪胆な女よ。手に入らぬのが心底惜しい」
マストマが口角を上げて小さく笑う。
俺に抱きついたままのレインが、それに小さくうなずいて返した。
「賭け?」
「うむ。その女はな、自らの身を賭して我に勝負を挑んだのよ。もし、貴様が死んでいたら我のものになるから、とな」
「レイン、なんてことを……!」
「ユークは、絶対、大丈夫、だもん」
しゃくりあげながら俺を離さないレイン。
心配をかけてしまった手前、無茶を責めるわけにもいかない。
そもそも、俺の不在が蒔いた種なのだ。
「お前が生きている以上、我のものにはできん。小賢しい手を使ったな?
「サルムタリアでは重要なことだと、聞いていましたからね」
「くくく……食えぬ男よ」
あらかじめ打っておいた手が、功を奏したようだ。
このマストマという王子が、サルムタリアの法としきたりを守る男でよかった。
もし、悪辣な考えと権力を振りかざすような人間だったら、いまごろレインは俺の腕の中にはいなかっただろう。
そんな事を考えている俺の背後から、誰かが部屋に飛び込んできた。
「──……金が払えぬとはどういうことですかな!? 殿下!」
見覚えのある初老の小男が、顔を赤くして怒鳴り込んでくる。
そして、抱き合う俺とレインを見て小さく息をのんだ。
「き、貴様……ユーク・フェルディオ! 死んだのでは……!」
「生憎とこの通りぴんぴんとしているよ」
複雑な表情のブランを睨みつける。
俺のいない間に、よくも好き勝手やってくれたものだ。
この男が貴族だからとて、そう怒りが収まるものではない。
……が、怒る俺の頭を飛び越して、冷え冷えとした言葉を放った者がいた。
マストマ王子だ。
「ブラン。貴様、我をたばかったな?」
「そ、そんな事は……」
「その女、レイニースはな、ユーク・フェルディオに所有権のある財産だ」
マストマの言葉に、ブラン・クラウダが心底驚いた顔をする。
「は? そんなはずは……。そのようなバカげたこと」
「本人の口から聞き、我が調べさせた。レイニースは、ユーク・フェルディオの財産として、公的に記録がある」
「うん。ボクは、ユークの、もの」
俺の財産、というのは些かサルムタリア風の表現が過ぎると思う。
レインにクラウダ家からの手紙が届いたあの日、俺とレインは暫定ではあるがお互いをパートナーとして、ある登録を行った。
婚姻というには些か味気ない、どちらかというと冒険者登録上の契約のようなものだ。
冒険者ギルドで申請可能な、お互いの私有財産共有と、死後において遺産や権利の委譲を可能とする登録である。
権利と財産を預け合うという制度の特性上、お互いの身の上が財産といえなくもない。
そして、強力な男性社会であるサルムタリアの感覚からすれば『レインという女性はユーク・フェルディオの所有物である』と誤認されるだろう……という俺の目論見は、見事に効果を発揮したようだ。
そして、もう一点。
いや、二点か。俺はウェルメリア王国のAランク冒険者であり、現在は〝勇者〟としての称号をも担いでいる。
広義でいえば、ウェルメリア王ビンセント五世に直属する人材資産なのだ。
レインはそんな俺の相互権利保有者であり、〝勇者〟が率いるAランクパーティ『クローバー』のメンバーでもある。
さすがにサルムタリア王家とはいえ、ウェルメリア王個人が所有する資産に一方的に手を付けるにはリスクがあるはずだ、と俺は考えたのだ。
だが、そんな事を実行したバカがいる。
そう、目の前で青くなっている小男──ブラン・クラウダだ。
たかが冒険者と侮って、ロクに調べもしなかったのだろう。
この男がやったことというのは、つまるところ『王の資産を自分の資産と偽って、他国の王族に横流しした』という重大な背信行為である。
「我に恥をかかせた罪、贖ってもらうぞ」
分厚い殺気が、冷えた圧力となってブランに向けられる。
その間にいる俺としては、たまったものではない。
レインだっているんだぞ。
「ヒッ……」
尻もちをついたブランが、そのままの体勢で後退る。
その背後には、俺を案内してきた警備兵の男が直立不動で立っていた。
「そのタヌキを叩きだせ。今は話の邪魔なのでな」
「で、殿下……! 話が違う! 私は知らなかった、本当です!」
「知らぬで済むか、愚か者が。失せよ、次に見かければ目を抉り取る」
払うように手を振るマストマに応じて、警備兵がブランの首根っこを掴んで引きずっていく。
ブランは何かわめいていたようだが、やがて声は聞こえなくなった。
「サルムタリアの王脈に在るものとして頭は下げられぬが、詫びはしよう……ユーク・フェルディオ」
「いいえ、マストマ殿下。レインの身を慮ってくれたこと、感謝いたします」
彼の権力や立場からすれば、レインを強引に手に入れることだってできたはずなのだ。
たとえ、俺とレインとの契約を知っていたとしても、それこそ仲介人であるブランの責任にしてしまえばいいのだから。
「いい主人を持っているな、レイニース」
「うん」
そこで頷くから誤解が広がる。
まあ、今はいい。今だけは、レインが腕の中に納まっていてくれることに、俺自身が深い幸せを感じているのだから。
「しかし、困ったな。なぁ、ユーク・フェルディオ」
「何でしょうか」
「無理を承知で尋ねるが……『クローバー』の者たちを、我に譲る気はないか?」
「ないですね」
失礼だとか、彼女たちは所有物じゃないとか、そういうことを考える前に、俺の口からは拒否の言葉が放たれていた。
マストマ王子はそれに気を悪くした様子もなく、ただ「で、あろうな」と小さくため息をつく。
この問いかけにどういった意味があるのかと、不思議に思って考えているとレインが、俺を見て、それから何かを言いたげにしてマストマ王子に向き直った。
その気配を察したらしいマストマ王子が口を開く。
「良い、申せ」
「きっと……ユークなら、力を、貸してくれる、です」
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