第25話 覚悟と抱擁

「おかえり、です」


 『歌う小鹿』亭に戻ると、一階で俺を待っていたらしいレインが出迎えてくれた。


「ただいま」

「どう、だった?」

「厄介なことになったよ」


 俺の返答にレインが小さく首をかしげる。

 全員の前で説明するべきだが……俺自身、考えがまとまらない。

 レインに先だって相談しておくのも手かもしれない。


「いいよ。こっち。話、聞かせて?」

「あ、ああ」


 迷いを見破られてしまったのか、少し笑ったレインが俺の手を引く。

 その手に引かれるまま、一階の談話スペースに俺は腰を下ろした。


「えーっと……何から話すかな」

「他の人には、言いにくい、ことから。言うかどうか、迷ってること、あるんでしょ?」

「そうなんだよ」


 どうしてレインという女の子はこうも俺に心地いいのか。


「国のお偉いさんと会って、今回の件について話し合った」

「うん」

「その中でさ、ヒルデに名指しされたことについて言及があったんだ。俺が、今回の異変の中心になるんだと、言われた」

「うん」

「それで、『淘汰』という現象の話の中で、〝勇者〟なんて存在のことを示唆されたんだけど……俺はその候補らしい」


 レインの顔が驚きに満ちる。


「すごい」

「俺には荷が重いよ」


 目を輝かせるレインに、俺は苦笑してしまう。

 こうして高く評価してくれることは嬉しいのだが、今回ばかりは期待に応えられるとは思えない。

 冒険者になって六年近くになる。Aランク冒険者にもなったし、それなり強くなったという自負もある。

 しかし、世界の危機を救うなどと言う英雄の舞台に立つには、俺という役者は些か力不足だ。


「ユークが、辛いなら断ればいい、よ?」

「そうすると、『クローバー』の誰かにそれを押し付けると言われた」


 おそらくその標的になるのはマリナだろう。

 『クローバー』唯一の純前衛として先頭で剣を振るうマリナは、一部界隈で“戦乙女バルキリー”などと呼ばれているくらいに、彼女の人気は高い。


「困った、ね?」

「ああ。おかげで逃げ場がないのに悩むことになっている。『グラッド・シィ=イム』に挑戦すること自体はそこまで忌避感があるわけじゃないが、世界の危機だのってのは手に余る」


 俺は冒険者である。

 さらに言うと、その中でも自由と夢を追うタイプの人間だ。

 国の為、世界の為にその身を犠牲にして戦うなんて立派なことは考えちゃいないし、場合によっては自分と仲間の保身のために、それ以外をかなぐり捨てる選択肢を選ぶ覚悟もある。


 例えば、この町全員の命と目の前のレイン一人の命なら、後者の方が圧倒的に重い。

 もし、「世界のために死んでくれ」と言われたら、「世界が死ね」と躊躇なく答えるだろう。

 そんな感覚の人間が、勇者の看板を背負うなんて逆に危険が過ぎるんじゃないだろうか。


「うーん……。でも、ヒルデは、ユークの名前を呼んだ、よね? きっと、意味がある、ことだと、思う」

「意味?」

「うん。ユークにしかできない、ユークにしか頼めないことだから、ユークを、待ってた」

「俺にしかできない……?」


 レインの言葉を反芻して、俺という人間を走査する。

 ヒルデは名指しで俺を呼び「黄昏の王を止め、黄金を破壊しなさい」と言った。

 それが、あの黄昏に染まる狂った王都で俺にしかできないことなのだろうか?


「どちらにせよ、八方塞がりか。ベディボア侯爵は俺達を見逃してくれそうにない」

「逆に、考えよ?」

「逆に?」

「いつも通り、冒険者の仕事を、したら……いいと思う。結果的に、世界が、救われる?」


 にこりと笑うレイン。

 その笑顔に、俺は自分の狭量な視点を恥じ入る。

 それもそうか、と。もともと『グラッド・シィ=イム』の調査攻略はするつもりだった。

 世界を救うために黄昏の王都に行くのではない、冒険者として黄昏の王都へ行く……それでいいのだ。


 事の重大さに、知らず知らずのうちに視点をずらされていた。

 世界の危機だろうが、勇者だろうが、やることは同じだ。


「ありがとう、気分が軽くなった」

「どういたし、まして」


 ふわりと笑ったレインが立ち上がって、俺のそばに歩み寄る。

 そして、そのまま自然に俺の膝に座って抱擁した。


「大丈夫。どうなっても、ボクは、ユークの味方。世界が滅んでも、誰もいなくなっても。最後まで、ずっと一緒、だから」

「……」


 甘えるように頭を押し付けてくるレインに抱擁を返し、思考と覚悟をまとめていく。

 いや、思考はちょっとまとまらないな。

 覚悟は決めておこう。


「ありがとう、レイン」

「元気、出た?」

「ああ。みんなに話して、ベディボア侯爵に返事をしに行くよ」


 レインの甘い匂いと柔らかな温もりにすっかり悩みを吹き飛ばした俺は、ようやく冷静さを取り戻していた。

 ベディボア侯爵の話にしても、俺達にまったく利がないかというとそうでもない。

 どうせ、断れないならできるだけ大きい報酬を引き出すための交渉をしなくては。


 なにせ、世界の危機だ。

 それに見合った成功報酬を用意してもらわなくては、割に合うまい。


「んふふ」

「ん?」


 腕の中で小さく笑うレイン。

 なかなかご機嫌だ。


「ううん。ユークにくっつくのは、悩んでる時に、限る」

「なぬっ」

「照れないし、逃げない、もの」


 腕を背中に回して心もち強めに抱き着くレイン。


「不安にさせたか?」

「大丈夫。ちゃんと、相談してくれた、から。それに、みんなもきっと同じ。ユークが思ってる以上に、ボクたちは、強い」

「ああ、知ってるさ。それでも、俺は悩んじまうんだよ。我ながら、情けないやらで自己嫌悪になる」


 俺の言葉にくすくすとレインが笑う。


「だからこそ、ボクらは、ユークが好きなんだよ」


 レインの言葉がくすぐったくて、俺はどんな顔をすればいいのかわからず、ただただ若造のように顔を赤くするしかなかった。

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