第20話 嫌な予感と城門前
「どういうことだろう?」
「あたしにもわかんないよ。でも、あの時……確かにあたしの『侍』の部分が、人を斬ったって手応えを伝えてきたんだもん」
マリナを疑っているわけではないが、壁や床というものは当然、人間ではない。
何らかの要素が、マリナにそう誤認させたという方が、自然だろう。
……だが。
どうにもよくない推測が次々と頭に浮かんでは、それをなかなか振り払えずにいるのも事実なのだ。
あのロゥゲという老人の言葉を信じるのであれば、
彼の言う『みんな』とは?
あの化物どものことか?
救助した子供のような住み着いた人々のことか?
それとも……。
考えれば考えるほど、嫌な予感とおぞましい結論が湧き上がってきてしまう。
だが、それを口にすることはできない。
リーダーである俺がそれを口にしてしまえば、みんなに大きな不安とバイアスを与えてしまいかねない。
情報を整理して、一つずつ可能性を精査していくしかないのだ。
「この辺りを斬って、もう一度確かめてみるか?」
壁を指さして問うてみたが、マリナは首を振って応える。
「ううん。実は隣の部屋でもう試してみたんだよね……。でも、わかんなかった。あたしの『侍』が未熟なせいだと思うけど、命のやり取りをしている時しか感じられないみたい」
しょんぼりした様子のマリナの頭を軽く撫でて、考える。
確かにマリナの『侍』としての職能はまだ目覚めてから浅い。だからと言って、マリナのセンスの良さは俺たち全員が知るところだ。
それに素直なマリナが嘘をつくとは思えないし、少なくともこれまで遭遇したこの迷宮の奇怪な魔物たちから『人を斬った』感覚があったという共通点は、情報として大きい。
なまじ、それが『人』を示すものでなかったとして、あれらが姿かたちこそ違えども『同じモノ』であるという証左に他ならないからだ。
「なんかごめんねー……ヘンなこと言っちゃって」
「いや。話してくれてありがとう、マリナ」
再度、マリナの頭を撫でてやる。
ふわふわとした髪の触り心地は相変わらず上々だ。
「一休みしたら、予定通りに王城へ向かおう。それで、中を少しばかり確認したら引き上げだ」
「そうですね。少しこの迷宮はおかしい気がします。精霊も、妙な気配で……」
「妙?」
俺の言葉に、シルクが頷く。
「精霊はいます。四大元素の精霊もいますし、魔物以外はバランスも悪くないです。ただ……」
「ただ?」
「微妙に意思疎通に齟齬があるんです。言葉の通じない相手に身振り手振りで会話しているというか、返答の意図が違うというか」
本来、精霊との対話は相当難しいものだ。
エルフのような生来の特別な感覚があれば別だが、人間の精霊使いは非常に少ない。
そもそもに価値観や存在定義、概念が生物とは違うのだ。
精霊というのは、世界の一部だ。意志ある自然とでもいうべき存在で、精霊使いは彼等に魔力を添えたお願いをして、魔法的現象を起こす。
魔力と理詰めで世界の構成と常識を書き換える魔術師とはまるで真逆とすら言えるだろう。
そんな世界のありようを司る精霊と、精霊使いであるシルクがうまく意思疎通が図れないというのは些かおかしい。
「力は貸してくれるんですよ。でも、まるで慣れない外国語を話しているみたいです」
「迷宮だからか?」
「いえ、迷宮にしたって精霊の住み分けが強いくらいで、こんなことは──」
と、そこまで言ってシルクがハッとした顔をする。
「どうした?」
「強いて言えば……『灰色の野』に近いかもしれません」
それを聞いて、俺だけでなく全員が身体を強張らせる。
あの場所にはいささか強いトラウマめいたものがある。特に、俺は。
「でも、わかる、かも」
レインがうなずいて、考えるように目を閉じる。
「この迷宮は、魔力も、異質。空気が、ボクらの普段いる場所と違う」
「それは俺も何となく肌で感じてるよ」
『
だが、その中心が見えない。このおぞましい違和感の本質が何なのか。
『進めばわかる』という確信めいたものが心にあるが、深入りしたくないという気持ちも強くある。
いずれにせよ、この『グラッド・シィ=イム』という迷宮が、これまで発見された他の迷宮のような冒険心をくすぐる宝の山とは思えない。
ここにあるのは美しくもうすら寂しい街並みと、得体のしれない魔物の姿だけだ。
「私には気味悪いってことしかわかんないっすけど、元盗賊の勘は撤退を要求してるっす!」
「だろうな。だが、仕事は仕事だ。行くとしよう」
◇
ネネに先行警戒をかけてもらいながら、俺達は注意深く大通りを進んでいく。
「大きな城だねー」
正面に見える王城は、立派で大きかった。
行政府としても戦城としても使用に耐えうる、質実剛健でありながらも美しい造形をした城だ。
「内部は、やはり
「これまでのセオリーだとそうなんだがな……」
徐々に近づく城を見上げながら、セオリーが通用しないこの『グラッド・シィ=イム』で、どれほどそれがあてになるのかと自嘲する。
サポーターとして、それなりの経験を積んできた。
五年という歳月は、冒険者としてはようやく駆け出しを抜けた中堅ってところだろうが、多くを学び、経験してきたという自負はある。
だが、しかし。
そんなものがほとんど役に立たない現況に、俺は些か焦りを感じている。
この調査クエストの危険性は異常だ。
サポーターとして、リーダーとして俺は上手くパーティを……この娘たちを守れるのだろうか、という不安が胸によぎってしまう。
「ユークさん、あそこ……ッ!」
何かを見つけたらしいネネが、城門付近を指さす。
目を凝らすと、俺にも見えた。
黒い何かが、俺達を待ち構えるように佇んでいる。
「ロゥゲ……!」
顔を隠す黒いベールのローブ。そこから突き出す鼻。低い背に、体を支える杖。
初めてここを訪れた時に出会ったあの老人が、城門の前に立っていた。
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