第11話 異界の気配と奇妙な老人

 十分な休息で気力と腹を充実させた俺達は、黄昏の光が漏れる階段を上っていく。

 見上げればもうすぐそこに出口があり、忌まわしい記憶にこびりついた夕焼け色の空がどんどん近づいていることに、少し落ち着かなさを感じたが、フラッシュバックが起きるほどではない。


 階段半ばで、ネネが一足飛びに階段を駆け上がっていく。

 ギリギリのところで周囲を見回して、こちらを振り返りコクリと頷いた。

 階段の出口に危険はないようだ。


「これは……」


 階段を上りきったところで、その光景に俺達は息をのむ。

 おそらく、配信を通してみているギルドマスターや学者、冒険者たちも同じだろう。

 地下水路がメインと考えていたのに、これは少しばかり予想外が過ぎた。


「街、だね。建築様式はボク達と、あんまり変わらないか、少し西より、かな」


 レインの言葉にうなずいて、周囲の景色を見る。

 俺達が出てきたのは、小さな広場のようになっている場所で、背後には城壁、眼前には住宅街らしき家々が連なっている。

 俺達が出てきた階段はアーチ状の小さな建物に備えられており、文字通り、地下水路管理用の入り口になっているようだ。


「ドゥナ、じゃないよね?」

「違うっすね。念のためにドゥナの街並みは一通り見て回ったっすけど、あんな場所はなかったはずっす」


 マリナに首を振って答えるネネの視線が注がれる先、そこには街並みに遮られながらも、ひっそりと城が姿を見せていた。


「迷宮、なのでしょうか? ここも」

「どうだろうか……」


 廃墟ではない。

 建物に大きな損傷や痛みはないし、石畳も整備されている。

 だが、人の気配もしない。


「都市型迷宮……?」

「そうかもしれないが、通常のフィールド型迷宮ってわけでもなさそうだ。時間的に、夕暮れ時って時間でもないな」


 レインに応えながらも考えを整理していく。

 都市型の迷宮というのもあるにはある。

 例えば、『オーリアス王城跡迷宮』は本迷宮メインダンジョンに入る前に、小迷宮レッサーダンジョンに分類される城下町への踏破が必須で、当時の面影を残す廃墟の城下町は地上にありながら夜になればアンデッドたちが徘徊する危険な場所となっている。


「ユークさん、どうするっすか?」

「……一時撤退だな」


 即座に判断した。

 これは、ギルドマスターや国選依頼ミッションの発注元である王立学術院とも協議が必要だろう。

 依頼内容としては『地下五階層までの踏破』となっていたが、これではあまりに変則的過ぎるし、正直言って、この場所は奇妙すぎる。


 これは感覚的なものだが……ここは、『無色の闇』と同じ空気を感じてしまう。

 つまり、異世界の気配を感じるのだ。

 地下水路の中でもうっすらとは感じていたが、特にこの黄昏に染まる都市を目にした瞬間、その気配が強くなった気がする。


 ベンウッドは先だって起きた迷宮各所の異常が、この迷宮出現によるものではないかと推測していた。

 今、ここに立ってみて、俺はそれを強く意識している。

 推測を思考しすぎれば視野が狭くなるのは重々承知だが、この場所の空気や気配はあまりにも似すぎているのだ。『無色の闇』で感じたものに。


「ユーク、顔色、悪い」

「どうにも嫌な予感がするんだよ」


「──それは、実に正しい認識ですな」


 妙に甲高い声が、急に響いた。


「警戒ッ!」


 俺の発した指示に全員が得物を抜いて、背中合わせに円となる。

 どこから発せられたかわからない以上、死角を作るわけにはいかない。


「誰だ……ッ?」


 俺の問いかけに応えるように、石畳の隙間から何かがにじみ出てきて一つの姿を取る。


「吾輩はロゥゲ。旅の人よ、あなたのお名前をお聞かせ願えますかな?」


 それは奇妙な姿だった。

 おそらく、声の質からして老人だとは思う。薄いベールのようなものが何重ともなった黒い外套に身をすっぽり隠し、長い鼻と皴の深い口元だけが覗き見える。

 なりは小さく、曲がった背中を杖で補っているようだ。


「俺はユーク。あなたは何者だろうか」


 ベルセポネの件もある。

 この奇妙な老人が一体何者なのかわかるまでは、油断できない。


「吾輩は哀れな老人に過ぎませぬよ。この狂った世界で、最初から狂っていたが故に狂いきれなかった、哀れなる、ね」


 なるほど、彼は狂っているのだろう。

 言葉とは裏腹に、その口は弧を描いていた。


「ところで、なぜ迷宮ダンジョンの中に?」

「『迷宮ダンジョン』……。ほほ、左様でございますか。ここは、迷宮の中というわけですな。実に狂った結果でございますな。結構結構」


 どこか納得するように、老人がうんうんと頷く。


「あなたは『この世界』と言った。ここは、迷宮ではないのか?」

「では、旅人様方……我が麗しの王都をご紹介いたしましょう」


 くるりと振り返り、杖で指すロゥゲ。


「この黄昏に満ちたまま狂う王都の名を『グラッド・シィ=イム』と申します」

「グラッド・シィ=イム……」

「かつては“喜びの都”などと呼ばれていましたが、今や迷宮となってこの有様。実に滑稽でございましょう?」


 背を揺らして含み笑いを漏らすロゥゲ。


「ねぇ、おじいちゃん。あなた以外に人はいないの?」

「いますとも。皆おりますとも。王と臣民たちは今もここにありますとも」

「どういうことだ?」

「吾輩の口からはとてもとても……」


 一層、愉快気に背を揺らすロゥゲ。

 その姿が徐々に黄昏に溶け始める。


「そろそろ時間でございますな。さようなら、旅のお人。いずれまた」

「お、おい……!」


 俺の声が届いたのか届かなかったのか。

 老人は小さく会釈すると、その姿をすっかりと消してしまった。


「報告に戻ろう。どうにも嫌な予感が止まらない、ネネ、先導を頼む」

「最短距離を行くっす」


 頷いて地下水路の階段に振り返った瞬間、殿にいたマリナが声を上げた。


「まって、ユーク! 誰か倒れてる!」

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