第85話 弟の旅立ちと大人の階段
事件のあと、レオナルド殿下が様々な証拠を掴んで実行犯たちを捕まえていった。
そうして、犯罪に加担したエバンテール家の取り潰しが大々的に発表され、ポールは予定より早く隣国へ行くこととなる。
私たちは、総出で彼を見送った。
「それでは、行ってきます」
ポールはラトリーチェ様の部下に連れられて国境へと向かう。
ベルトラン殿下とラトリーチェ様は用事があり、先にスートレナを出発したが、部下たちは数人残っていた。
「姉上……」
どこか決まり悪げにポールが私を見つめ、ぽそりと言葉を紡ぐ。
「その、いろいろとすみませんでした。領主宅で匿ってくださったこと、感謝いたします」
プライドの高い弟から謝罪が来るとは思ってもみなくて、思わず目を瞬かせた。
「ポールも……気をつけてね……いってらっしゃい!」
頷いて、ラトリーチェ様の部下と一緒に天馬に乗り込むポールは、エバンテール家にいたころよりも逞しく感じられる。
天馬はバサバサと羽を広げ、明るい大空へ飛び立った。南へ進んでいく小さな影を、私はいつまでも見送っていた。
ポールが見えなくなったところで、ふと我に返る。
「あれ、エバンテール家が取り潰されたら、私はナゼル様の妻に相応しくないのでは?」
ただでさえ、釣り合わない結婚だったのに、最後の砦だった身分も崩壊してしまった。
「どうしましょう!」
オロオロと落ち着きなく庭を歩きまくっていると、ナゼル様が追いかけてきた。
「アニエス、大丈夫? 猛スピードで庭を徘徊して……」
「ナゼル様、私はあなたの妻に相応しくありません!」
「え? 急にどうしたの!? エバンテール家の取り潰しを気にしてる?」
「だって、取り潰された家の令嬢なんて、ナゼル様の不名誉にしかなりません! かくなる上は、り、離婚……」
「ちょっと待った!」
余裕がない様子のナゼル様は、私を捕まえて自分の方へ向き直らせると、美しい顔に真剣な表情を浮かべて告げた。
「実家は関係ないよ、俺はアニエスに妻でいて欲しい……」
「ですが、私は罪人の娘になってしまいました」
「アニエスは彼らを捕らえた側でしょう。それに、俺の気持ちを知っているのに、どうして酷いことを言うの?」
「だって、ナゼル様に迷惑をかけたくな……」
「そんな話ばかりする口は塞いでしまうよ?」
言うやいなや、私の口はナゼル様の唇によって物理的に塞がれる。
慌てて後退するけれど、こんな時に限って後ろには巨大に育った果樹があって私の退路を阻むのだ。
「ふ……もう、逃げられないね?」
小さく笑ったナゼル様は一瞬唇を離してくれたけれど、すぐさま口づけを再開した。
何度も何度も執拗に追い詰めてくるナゼル様のせいで、私は木にもたれたままズルズルとへたりこむ。
そんな私を「よいしょ」と抱き起こしながら、ナゼル様は琥珀色の目を色っぽく細めた。さっぱりした香水のいい匂いがする……
「アニエスが俺に慣れるまで我慢していたけれど、あんまり聞き分けが悪いと、すぐにでも既成事実を作ってしまうよ?」
ナゼル様が口に出す甘い言葉の意味に気づいた私は、「ひゃあ!」と大声を上げて固まった。
普通に考えれば、当たり前のことかもしれない。
きっかけはなんであれ、ナゼル様とは夫婦なのだ。でも、でも……!
「は、恥ずかしいです」
「うん、そうだけど。アニエスの心配事を打ち消すためだから」
「ま、待っ……」
「待たない。もう、だいぶ慣れてくれたよね?」
「ひっ……」
いつも優しいナゼル様の琥珀色の瞳には、どこか獰猛で艶めいた気配が感じられる。
頭の奥で警鐘が鳴るけれど、美しく微笑む夫を前にしては、どうすることもできなかった。
そして……その夜、私は大人への階段をまた一つ上ったのだった。
※
ミーア王女の婚約破棄騒動から、おおよそ七ヶ月が過ぎたある日、デズニム国中を「王子誕生」という衝撃的な情報が駆け巡った。
母子共に健康で王女と王妃は孫の誕生に喜んでいるとか。
一方、ロビンは今まで史上最大に顔を歪めた。
「ナゼルバートめっ!」
自分の地位を確固たるものに変えた我が子の誕生はもちろん喜ばしい。
しかし、芋くさ令嬢の実家をアッサリ切り捨ててロビンの作戦を台無しにしたナゼルバートへの怒りが勝る。
あわよくば、誘拐に加担した妻の実家を庇ったと騒ぎ立て、エバンテール家もろとも貴族籍を剥奪してやろうと思ったのに。とんだ計算違いである。
しかも、第二王子に誘拐犯たちが一網打尽にされてしまった。
幸い、ロビンにまで手は回っていないが、都合の良い収入源は絶たれた。
「どうすっかな?。まだ、関係を清算したい令嬢が残ってんだけど。ミーアに浮気がバレて散々だし?」
しかも、最近は自分たち夫婦についての良くない噂が広まっているらしい。
そして、評判を気にした国王や王妃は、ナゼルバートを正式な夫として連れ戻そうかと迷いを見せ始めている。そうなれば、ロビンは愛人枠に格下げだ。
もしかすると、都合の悪い部分を全部なすりつけられて切り捨てられるかもしれない。
ロビンの心を初めて不安が襲った。
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