第73話 領主夫妻と食えない王子様

 現在、私は水着の上にナゼル様の上着を被り、客室を訪れている。

 ソファーに座るベルの向かい側に並んで腰掛ける私たちの後ろには、相変わらず無表情のケリーが静かに立っていた。

 上着の前ボタンは全てきっちり閉められて暑いけれど、開けようとするとナゼル様が赤い顔で「駄目」というので。

 

 商人のベルがニヤニヤ笑いながら「お気に召しました?」なんて言うけれど、ナゼル様は私の水着程度ではなんとも思わないはず。

 だって、あの肉感的なミーア王女の婚約者だったのだから。

 比べると私なんて芋くさだし、王女殿下よりいろいろ足りていないのは一目瞭然だ。

 ナゼル様はベルを見てコホンと咳払いし、続いて改まった口調で彼に話しかける。

 

「お遊びはそれくらいにしていただけますか、ベルトラン殿下」

「んっ?」

 

 瞬間、客室が沈黙に包まれる。

 ベルトラン殿下はこの国の第一王子の名前だけれど、彼は体調が思わしくなく城の部屋で寝たきりと聞いていた。

 たしかに、王家と同じ金髪に華やかすぎる雰囲気の人だとは思っていたけれど。いったい、どういうことなのだろう。

 

 ややあって、ヘラヘラ笑うベルの纏う空気が凜と研ぎ澄まされたものに変わる。

 続いてベルは姿勢を正し、堂々とした声音でナゼル様に話しかけた。

 

「もう気づいたのか。面白みのない男だな、ナゼルバート」

 

 ナゼル様は納得がいかないという顔でベルトラン殿下を見返す。

 私はただ呆気にとられて殿下の変貌ぶりを眺めていた。

 それを感じ取ったのか、ベルトラン殿下が私を観察しだす。

 

「悪いな、私が寝たきりの第一王子だ。驚いたか?」

 

 驚いたのはもちろんだけれど、意味がわからない。

 なんで、王子が商人をやっているの? どうして病弱なのに辺境へ? 周りの人は誰も止めないの?

 ぐるぐると疑問が渦巻く。

 ナゼル様も戸惑ったようにベルトラン殿下に質問した。

 

「あの、体調は大丈夫なのですか?」

「ははは、最初の質問がそれとは優しいやつだな。俺の〝病弱〟は仮病だから気にするな。寝たきりというのは演技だ、昔王妃に何度も毒を盛られてな。命を狙われるのが面倒だから寝たきりになったということにした。おかげで、今は誰も私の様子を見に来ず気楽なものだ」

 

 たしか、第一王子の母親は正妃ではなく側室で……もっとも陛下から愛されていたという噂だった。しかし、ベルトラン殿下がまだ幼い頃に亡くなっていた。

 

「城を抜け出して、誰にもバレないのでしょうか?」

「問題ない、妻が幻覚の魔法で誤魔化しているからな。幻覚で出せる人物は二人が限界で複雑な動きは難しいが、俺は寝たきり設定なので大丈夫だ。たまに確認しに来るやつらはそれで誤魔化せる。誰も俺なんかに興味はないしな」

 

 それから、ベルトラン殿下は今までの経緯について私たちに語った。

 王妃殿下や王女殿下の権力は強く、国王陛下は日和っている。

 そして第一王子殿下と第二王子殿下は圧倒的に力が足りない。

 差を埋めるべく、ベルトラン様は昔からコツコツと王妃派の悪女の証拠を集めたり、仲間を増やしたりと動いていたそうだ。

 

 その最中にナゼルバート様の婚約破棄騒動が起こり、ベルトラン殿下はあろうことかこれを「チャンス」だと考えた。彼はロビンと王女の婚約をきっかけに、芋づる式に王妃派を引きずり下ろそうと企んでいたのだ。

 巻き込まれた側はたまったものではないのに、ベルトラン殿下には全く悪気がない……

 

「それでは、キギョンヌ男爵家付近にいたのも、わざとですか」

「ああ、ナゼルバートが動くと知って先回りした。ロビンの弱みを握れそうだったから」

「そうですか。私も彼女から話を聞き、協力を取り付けました。また刺客を送られては困りますから手を打ちたいのです」

 

 ベルトラン殿下はナゼル様の言葉に鷹揚に頷く。そして、難しい顔になった。

 

「ナゼルバートとは別行動をしていだが、今回の事件の話は大体把握したし、伯爵や男爵がロビンと繋がっている証拠も手に入れた。だが、今情報を出すのは悪手だ。下手を打つと、お前が追放されたときのように王家にもみ消されるぞ」

「そこは殿下が頑張ってください」

 

 ナゼル様はいい笑顔になり、ベルトラン殿下へ目を向ける。

 

「無茶を言うな、俺もレオナルドも力不足だ。今のままだと陛下は見て見ぬフリだし、こちらが潰される。もっとこう……大々的に、陛下が動かざるを得なくなるような馬鹿をやらかしてもらわないと。せめて城で内政に携われていたら、裏で手を回せたのだが」

 

 レオナルド殿下に指示して地道に王妃派を追い詰めることしかできないらしい。

 私やナゼル様にとっては王妃殿下がどうこうよりも、ロビンが辺境へ手出ししてこない方が重要なのだけれど。

 それでも、利害が一致するならナゼル様もやぶさかではないのか、真剣な表情で殿下の話を聞いている。

 

「まあ、そういうわけだ。お前も一応第二王子派になっているのだから、何かあれば手を貸してくれ」

「わかりました。ところで殿下」

「なんだ?」

「今アニエスが着ている水着は、あなたが勧めたのですか?」

 

 ベルトラン殿下は一瞬きょとんとした表情をしたあと、体を折り曲げて盛大に笑った。

 

「お前が喜ぶだろうと思って特別に選んだが、それにしても辺境へ来て面白いやつになったなあ。ナゼルバートに人間味が出て私は嬉しい!」

「妻に変なものを着せないでください」

「返品不可だ。ちなみに、着替えさせるのは全部ケリーがやったぞ」

「当たり前です!」

 

 壁際で佇んでいたケリーは、無表情のまま視線をそらせていた。

 ベルトラン殿下は、なかなか食えない性格の人みたいだ。

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