第71話 大声に呼び寄せられた人々(トッレ視点)
トッレが初めてリリアンヌに出会ったのは、婚約後に相手の実家を訪れたときだった。
とはいえ、会う予定だったのは、リリアンヌ本人ではなく彼女の父親だが。
リリアンヌの生家であるルミュール家は、代々デズニム国の軍事部門で騎士を多く輩出する家だった。
そんな家に生を受けた令嬢の役目は将来有望な騎士を婿に迎え、ルミュール家に優秀な血を取り込むことと、夫に逆らわず従順な妻として尽くすこと。
ルミュール家に武術に向かない息子として、または娘として生まれると厳しい人生を余儀なくされる。リリアンヌも例に漏れず半ば虐待ともとれる子女教育を押しつけられていた。
リリアンヌの父親に会った帰り、トッレはどうしても婚約する相手が気になって、こっそり彼女の部屋があるという庭沿いの一室を覗いた。
すると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
泣きながらダンスのレッスンを受けるリリアンヌ、彼女の失敗を叱り容赦なく鞭を振り下ろす教師。壁際で「できが悪い」と娘を貶す母親や侍女たち。リリアンヌの味方は誰もいなかった。
にもかかわらず、涙を流す婚約者は歯を食いしばり、必死にダンスの授業に食らいついていく。トッレはそんなリリアンヌの姿に心を打たれた。
あまりにショッキングな光景を目にしたトッレは、婚約者の授業について彼女の父親に訴えた。こっそりリリアンヌを覗いた意味がなくなったが、それも気にならないくらい頭に血が上っていた。
しかし、ルミュール家当主は、眉一つ動かさず言い放ったのだ。
この教育には娘の自尊心を打ち砕き、自分の意見を持たぬ従順な人間にする意味も含まれており、婿をとり家を守るために必要なことなのだと。「そんなわけがあるか!」とトッレは叫びたくなった。
人形のように都合良く動く妻でないと家を守れないなんて、馬鹿らしいにもほどがある。当主の手腕が足りず人としての器が小さいから、おかしな考えに走るのだ。
とはいえ、ルミュール家の当主は騎士団副団長でトッレの上官に当たる。だからこそ、彼にリリアンヌの婚約者の座が回ってきたのだ。上の命令は絶対という風土の騎士団で育ったトッレは、面と向かって上官を否定できない。
だから待つと決めたのだ、自分がリリアンヌと結婚してルミュール家の当主になる日まで。
そして、地位を手に入れると同時に、リリアンヌをルミュール家のしきたりから解放しようと考えた。
だが、トッレの判断は甘かった。リリアンヌの心はすでに、どうにもならない域まで追い詰められていたのだ。辛い現実から逃げるようにリリアンヌがロビンに依存するのに時間はかからなかった。
そうして、家を勘当されて行き場をなくし、ロビンの甘言に乗って辺境スートレナへやって来たリリアンヌ。彼女は領主であるナゼルバートを害そうとして失敗、兵士たちに捕縛されたのだ。
辺境で暮らす以前、トッレの実家にはリリアンヌの妹との縁談も持ち込まれた。
しかし、姉がダメなら妹と夫婦になれなんて酷い話だ。自分には簡単に割り切れない。
条件の良い内容だったが、トッレは丁重に辞退した。三男だったのもあり、両親はトッレの好きにさせた。
それでも問題なくスートレナへ向かえたのは、城で出会った人物の手助けがあったからだろう。辺境では「商人のベル」を名乗っているらしく、それ以外の名で呼ぶと叱られる。
リリアンヌの沙汰に関しても、王都でのやり取りは、ベルが上手く立ち回ってくれるだろう。
「それにしても助かった。ナゼルバート様は、なんと心の広いお人なんだ」
辺境へ追いやられた公爵子息はどこまでも善良な人物。だからこそ、トッレは彼を尊敬しているし、力になりたいと感じたのだ。
命を狙われたにもかかわらす、ナゼルバートはリリアンヌに破格の処遇を与えた。
※
一仕事を終えたトッレは、しばし仮眠をとろうと宿の個室へ向かう。
いろいろと仕事に追われ続けるうちに、朝になってしまったのだ。
ちなみに領主夫妻は揃って部屋で休んでいる。
リリアンヌの部屋の前を通りかかったトッレは、元婚約者の部屋に入るか否か迷った。
ちょうどケリーも睡眠をとるためリリアンヌの部屋を離れ、その間は兵士が部屋の外で彼女を見張っていたのだ。
二人で会話したのは数えるほどで、最後の自分の印象はロビンに暴力を振るおうとしたという最悪なもの。向こうはトッレと顔も合わせたくないかもしれない。
それくらい、自分は情けない婚約者だった。
けれど、トッレは決意している。
もし、リリアンヌが罪を償って釈放されたならば、もう一度婚約を申し込もうと。
いい結果は期待できないが、まだ彼女に未練があった。
ためらっていると、部屋の扉が開いて当のリリアンヌが顔を出す。彼女は見張りの兵士に「水をもらえないか」と頼んだ。兵士は良いタイミングで現れたトッレを見る。
「トッレ様、水を汲んできますので、その間ここの見張りをお願いしても?」
彼は扉の前でウロウロと悩むトッレの心を見抜き、気を利かせたのだ。
「あ、ああ……わかった」
感謝の気持ちと、いきなりリリアンヌの前に放り出された戸惑いでトッレは混乱状態に陥る。なにか言わなければと焦るのに言葉が出てこない。
すると、リリアンヌがそっとトッレを見上げて、口を開いた。
「申し訳ございませんでした、トッレ様。あなたの言葉が正しかったのに、私は愚かにもロビンの言いなりになってしまいました」
トッレもしどろもどろになりながら答える。
「過ぎたことだ。それに、俺にも反省する点はある……もっと早くに、リリアンヌの心に気づいてやるべきだったのだ。婚約者なのに、俺は君があそこまで追い詰められているなんて知らなかった。屋敷で文字通り血のにじむような努力をする光景を見たのに」
「……ご存じでしたのね。あなたには私の生活をお話ししなかったので当然です。ご自分を責めないで」
「俺が相談するのに足る男ではなかったのだろう。虐待じみた教育を受けるリリアンヌを知りながら、俺は上官を恐れてすぐに君を助ける選択ができなかった」
「私のことはもう気になさらないでください。今だって、ナゼルバート様の寛大なご処置により生きながらえているだけ。全てを失った、居場所のない平民の女です」
リリアンヌはまだ孤独の中にいる。誰にも頼れず、日々自分を責めて追い詰めて……唯一事情を理解し動けるトッレが何も手を打たなければ、それはこれからも変わらない。
だから、トッレは慌てて彼女に告げた。
「リリアンヌ、屋敷と城しか知らない君に言うのは酷だが……居場所はじっとしていて与えられるものではない。自分にできる役割を探し、自分自身で作っていくものだ」
「そう……ですか……」
「だが、もし君が罪を償い自由の身になってもなお、居場所を見つけられなかったら、そのときは迷わず俺のところへ来てくれ」
「トッレ様?」
「俺は今でもリリアンヌが好きだ。誰より努力家で、人一倍まっすぐな君が」
リリアンヌが学んできた内容は決して無駄ではない。これからの生活で彼女を支えるだろうとトッレは考えていた。
「俺は待つ。君が罪を償って自由を得る日まで」
「どうやら私は大切なものを見落としてしまっていたのですね。トッレ様、ありがとうございます。お気持ちだけで十分ですわ」
「本気だ! 俺はリリアンヌと結婚したい!!」
トッレは大きな声でプロポーズする。その声はやはり宿じゅうに響いていた。
釈放された後で婚約しようという手順は、すでに吹っ飛んでいる。
「困ります、私が釈放されるのは早くて数年後でしょう。結婚適齢期を過ぎてしまいます」
「待つ!」
「それまでに良い人が現れますわ」
「嫌だ! リリアンヌがいいんだ!!」
強い意志を伝えるトッレを前に、リリアンヌの目が潤み始める。
「……女性を見る目が……ありませんね」
「そんなことはない!」
力強く断言するトッレとリリアンヌは静かに見つめ合う。
二人を見守るギャラリーの数が徐々に増えている事態に、彼らだけが気づかないのだった。
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