第66話 陰謀と空から降ってきた妻(ナゼルバート視点)
ナゼルバートは機嫌が悪かった。
カッテーナに来てからいろいろと思うところはあるが、キギョンヌ男爵の屋敷についた途端、初対面の令嬢に囲まれアニエスと引き離されてしまったからだ。
まさか、これほど常識のない真似をされるとは予想しなかった。
今までは王女の婚約者だったので、王家の力を恐れた貴族たちはおいそれとナゼルバートに近づかなかったのだ。だが、今は牽制が効かない。
「そのせいか……」
ナゼルバートは追放された公爵令息で、えん罪とはいえ以前より肩身が狭い。
そして、エバンテール家から勘当されたアニエスには後ろ盾がない。正確には、ナゼルバートしかいない。
だから、あの場にいた令嬢たちは彼女を軽んじた。ナゼルバートの気さえ引ければ、どうとでもなると考えているのだ。
さらに、アニエスを取り囲んだ貴族子弟たち。
いくら彼女が可愛いからといって、人妻に手を出して良いとでも思っているのだろうか。
それとも、このあたりでは結婚した夫婦でも不貞を働くのが当たり前なのか。
たしかに、キギョンヌ男爵には妻の他に妾や愛人がいたような……
そこまで思い出し、ゾッとした。早くアニエスを助けなければ!
全員を押しのけてでもアニエスの方へ行こうと動いた瞬間、栗色の髪の令嬢が突っ込んできた。
彼女の髪は不自然に膨れ上がり、鋭い棘となってナゼルバートを貫……かなかった。
アニエスのおまじないのおかげで、ナゼルバートの体は魔獣の攻撃すら効かない状態だったのだ。令嬢の髪はナゼルバートの体をかすめるだけに終わった。
髪が尖ったのは、令嬢がそういう魔法の持ち主だからだろう。ナゼルバートを刺すことに失敗した彼女は、脅えた表情を浮かべて逃走した。
「待っ……!」
追いかけようとしたら、屋敷の警備する兵士たちが、なぜか妨害してくる始末。
怪しい、怪しすぎる。
「やはり、罠だな」
先ほどまで騒いでいた令息や令嬢たちは、会場の状況に脅えて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
おそらく、彼らのほうは何も知らされていないのだろう。
「アニエス、ここは危険だから逃……」
愛する妻に声をかけようとしたナゼルバートだが、アニエスはすでにその場にいなかった。傍にいたトッレが「アニエス様は出口から廊下へ逃げられたようです」と告げたので、ひとまず安堵する。この場には、まだ物騒な兵士が残っているのだ。
「早く片付けて、アニエスを迎えに行かなければ」
襲ってくる兵士を片付けて屋敷の外へ出ると、ヘンリーとベルがいた。
「ナゼルバート様、アニエス様とケリーさんは無事に避難しました。町で部下のもとにいるそうです」
「……良かった」
一気に体の力が抜ける。しかし、これでまだ終わりではない。
「あの令嬢を探すよ」
そう告げると、黙っていたベルが話しだした。
「彼女や男爵たちの行方は見当がつく。私の魔獣を追うといい、男爵の匂いを覚えている。全員同じ場所に集まるはずだ」
手際が良すぎる……
だが、今はそんなことに構っていられない。ベルについては後回しだ。
彼の足下には黒い犬がいた。魔狼の子供だろう。
魔狼は数の多い魔獣の一種で仲間意識が強い。家畜を襲うこともあるが、人間に慣れさせれば軍用犬のように心強い味方になる。
「ウォン!」
勇ましく吠えた魔狼は駆けだし、すぐ傍の坂道を上へと上っていく。ナゼルバートたちは慌てて後を追った。
しばらく走ると、誰かが言い争う声が聞こえてくる。
「ナゼルバート様、先に行きます!」
焦った様子のトッレが、魔法を使って巨大化し、声のする方向へ突っ込んだ。
「リリアーーンヌウゥゥッ!!!!」
たしか彼は、屋敷の中でもその名を呼んでいた。
「そういえば、トッレの婚約者の名前がリリアンヌだったような」
なぜ、トッレの婚約者がこんな場所に来ているのか。
ナゼルバートは男爵たちの背後に陰謀めいたものを感じた。全員捕らえ、詳しく話を聞く必要がある。
主にトッレが暴れ、ナゼルバートは彼が取り逃がした者を片付けていった。
数分後には男爵たちは全員気絶し、トッレも元の大きさに戻る。彼の前には茫然自失状態の令嬢が座り込んでいた。
「さて、彼らを麓の町まで運ばなければね」
リリアンヌがこの場にいることを不可解に思いつつ、ナゼルバートは一息ついた。
すると、上空から大きな羽ばたきの音が聞こえてくる。そして……
「ナゼル様ー!」
世界で一番可愛らしい妻の声が降ってきた。
「アニエス?」
見上げれば、ピンク色のワイバーンがクルクルと旋回している。ジェニだ。
やがて、ジェニとアニエスはゆっくり地上へ降りてきた。
「ナゼル様、ご無事で何よりです」
「アニエス、君こそ何もなくて良かった。ところで、その手に持っているのは……」
「ジャガイモです。ナゼル様がピンチだったら、上から援護しようと思って」
なぜ、そこでジャガイモが出てくるのか? アニエスの考えることは、時々よくわからない。でも、そこが可愛い。
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