芋くさ令嬢ですが悪役令息を助けたら気に入られました
桜あげは
第1話 化石貴族の芋くさ令嬢
「この役立たずがぁっ!」
張り飛ばされた衝撃で、私――アニエス・エバンテールは固い石の壁に強く背中を打ち付けた。よろけて床に崩れ落ちた体を起こし、張り飛ばした相手である実の父を見上げる。
「王子どころか、格下の伯爵令息まで射止められなかったとは! この十七年間、どれだけお前に金をかけたと思っている! 侯爵家の穀潰しめ!!」
のろのろと起き上がって腫れた頬をさすったら手首に血がついた。口の端が切れたみたいだ。
「申し訳ありません」
冷静にハンカチを取り出して口元を拭いつつ、私はこれ以上叱られないようにと、怒鳴り散らす父を観察した。
哀れな父は、私が貴族の子息たちの心を射止められると信じて疑わないらしい。
そんなことは不可能だと、少し考えれば誰でもわかるのに。
――「芋くさ令嬢」
それが社交界で同年代の貴族が噂している、私の呼び名なのだから。
由緒正しきエバンテール侯爵家。我が家がそう呼ばれていたのは、かつて宰相の右腕として活躍した曾祖父の時代のこと。
現在は血筋だけを誇りに、最も繁栄した古き良き時代を重んじるばかり。
時代に合わせた生き方や事業を放棄してきた我が家は、今やカビの生えた価値観を持つ、魅力ゼロの化石貴族として周囲に認識されていた。
私の家族たちは時が止まったまま、当時の価値観のまま今を生きているのだ。
当然、その古くささはこの家の娘である私にも適用されている。
幼い頃から古き良き時代の、由緒正しい貴族令嬢の装いを強要され、当時の子女の教育をたたき込まれ、少しでも流行り物に興味を示そうものなら全力で否定されるような教育を受けてきた。
よって、私は同年代の令嬢の話題についていけない。そして、私が知っている古めかしい話題に彼女たちは興味を持たず、双方の距離は自然と開いていった。
その結果、顔を合わせればクスクスと笑いものにされる関係のできあがりだ。
令嬢だけではなく、年頃の貴族男性の間でもそうだ。むしろ、彼らの方が酷いと言える。
あからさまに私を見て馬鹿にするような笑いを浮かべ、私に告白するという罰ゲームを生み出し、ついには私に「芋くさ令嬢」などという不名誉なあだ名を付けた。
ちなみに、「芋くさい」とは田舎者で野暮ったく、センスがないという意味だ。
たしかに、うちの領地は田舎にあるのだけれども……
よろよろと立ち上がり、父から逃げるように部屋を出る。ここにいては危険だ。
「おい、まだ話は終わっていないぞ!」
扉の向こうから父の怒鳴り声が響いてくるけれど、少しすれば落ち着くだろう。
私のふがいなさへの怒りは消えないが、父だって娘に傷が残って政略に使えなくなることと、怒りの衝動を天秤にかけるくらいには思考が回復するはずだ。
――まあ、相手を選ばなければ政略結婚自体はできると思うし。
とにかく、伯爵家のパーティー帰りで疲れている私は、お下がりのドレスの埃を払って小さな自室に駆け込み扉を閉めた。
「はあ、本当にくたびれた。伯爵家は遠かったなぁ」
すでに窓の外は闇色に染まっていて、どこか遠くでホウホウとフクロウが鳴いている。
やや乱暴にドレスの裾を持ち上げた私は、感情のおもむくままソファーに勢いよく座った。
「それにしても腹が立つわ。なにが、『婚約者候補を射止めて来い』よ! 私にそんな真似ができるわけないでしょ! 伯爵の息子は華奢で華やかな美人が好きなのよ! 私なんて、その正反対の芋くさ令嬢なのに!!」
どちらかというと骨太で、女子にしてはしっかりした体つきの私。
骨格の影響か、昔から、どうあがいてもほっそりと華奢な体にはなれなかった。
そして極太の眉毛、直毛すぎてまとめられない量の多い髪、強制される伝統的すぎる化粧。
おまけに身につけているのは、祖母のお下がりである白いドレスや年季の入ったアクセサリーだ。質の良いものだから、サイズが同じくらいだからと無理矢理押しつけられた。
黒髪だった祖母とは違い、私の髪は白に近い銀髪で肌もどちらかというと色白。
……わかるだろうか。そんな私が白を着ようものなら、全身真っ白になるのである。
伯爵家の大広間にあった、白いカーテンに紛れても、わからないくらいだ。
しかも、昔の作りのドレスは、ものすごく重かった。
今は軽量化されたドレスが方々で作られているのだけれど、私の家族ときたら「あんなものは安っぽい」などと敬遠するのである。
王女様も身につけているのに、安っぽいも何もあるかと言いたい。
うちがさほど裕福でないこともあり黙って従ったけれど、なんとなく釈然としない。
華やかな令嬢たちが集まる会場で、私だけが明らかに浮いていた。
そんな悪目立ちする女を、伯爵令息が将来の相手に選ぶはずがない。
相手の家には、うちの家から政略結婚の打診が行っていたけれど、まだ正式に決まった話ではなかった。
今日のパーティーで距離を縮め、周囲に認識させるという話だったものの、当の伯爵令息は私との婚約から逃げるように別の令嬢を連れ回し、挙げ句皆の前で彼女と何度もダンスを踊った。参加者たちは、その令嬢こそ伯爵令息の相手なのだと認識しただろう。
そして、止めとばかりにパーティーが終わる直前に、皆の前で彼女に求愛したのである。
「は?」
馬鹿みたいだ。
私はなんのために、あの苦痛なパーティーに参加したのか。
長時間、重いドレスに耐えたのか。
馬車に乗って長い距離をはるばる伯爵家までやって来たのか!
事情を知る一部の貴族たちは、私の方を見てクスクスと笑い合った。「ま、相手が『芋くさ令嬢』ではね……」と。
ふざけないでいただきたい。これは利害だけの政略的婚約なのだ!
伯爵や伯爵夫人はというと、あとで私に「ごめんなさいね」と謝罪し、さっさと父に婚約の打診を断る手紙を書いて私に託した。
私の方も「いや、手紙は別で送ってくださいよ」とは言えずに、ついそれを受け取ってしまい、父に渡して殴られたというわけである。
ちなみにその前の王子の件は、第二王子のお妃の座を巡る争奪戦に強制参加させられ、一度も王子と話す機会もなく敗れ去った。今でも苦い思い出だけが残っている。
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