第2話

 蝉時雨せみしぐれにも飽き、おもむきではなく苛立ちを感じ始めた頃、学校中がそわそわとしていた。

 夏祭りが来週末に迫っているのである。


 付き合っている者、これから付き合うかもしれない者、好きな人がいる者、皆一様にわずかな期待を隠し切れずに学校生活を送っていた。

 僕はと言えば、重圧にし潰されそうになっていた。


 僕は、元々自発的に何かをすることが苦手で、常に誰かの後をついて回るような人間だった。それに口数は少なく、感情や考えを言葉にすることがひどく苦手だった。

 そんな僕でも、今回ばかりは自分からデートに誘うべきだと分かっていた。分かってはいるが、未だ誘うことができていない。

 彼女はというと、男女問わず多くの人に誘われているが、そのすべてを断っていた。きっと僕からの誘いを待っているのだ。その証拠に未だ夏祭りへの誘いを僕は彼女から受けていない。

 僕らは学校の皆には内緒で付き合っていた。帰宅部だった僕らは下校の時だけ話すような関係だ。話すたびに少しずつ惹かれていき、今は彼女からの告白を受けて付き合うことになった。情けない僕は、ずっと情けないままだった――。



 響くチャイムが生徒たちの時間を放課後に塗り換えていく。

 いつものように席に残り部活や用事のある生徒が教室を出るのを待った。いつもは、彼女が席まで迎えに来るが、今日はそうはならない。僕は今日、彼女を夏祭りへ誘うつもりだ。教室を出る前から受け身だと、そのまま流されてしまいそうな気がして、僕は席を立った。


「そろそろ帰ろう」

 短く彼女に告げると、少し驚き嬉しそうに笑った。

「うん」

 わずかに頬を染め、彼女は頷いた。

 廊下でもいつもは彼女が少し前を歩くが今日は逆だ。

「今日の君はいい感じだね」

 彼女が茶化すように後ろからつついてきた。

 こうやって、思っていることを言葉にできる彼女を、僕は羨ましく思うことがある。いつだって、僕は思っていることの2割くらいしか伝えることができない。残りの8割の内半分くらいは、彼女なら察してくれていることに僕は最近になって気付いた。彼女はいつだって、僕の変化を言葉にして、背中をそっと押してくれるのだ。

 今日は、僕がそれに応える番だ。

「あ、あのさ、来週の土曜空いてる?」

 振り返らず背中の彼女に問う。

「空けてるよ」

 ふふっと笑って彼女はそう言った。

 それがとても、とても嬉しかった。だから、僕は言葉にすることができたのかもしれない。

「夏祭り、一緒に行って欲しい」

 彼女の返事が無かったので振り返ると、彼女は驚き立ち止まっていた。

「あぁ、ごめん。もちろんそのために空けてたんだけどさ。どうしたの? 死んじゃうの?」

 棒立ちになってしまったことを詫び、彼女が僕の隣に並び問う。

「なんでそうなるのさ」

 恥ずかしくて彼女の顔が見れない。きっと僕は耳まで赤くなっているだろう。体の熱が、外へなかなか逃げてはくれない。

 僕は逃げるように下駄箱までの歩みを進めた。

「ごめん。今のは私が悪かったね。ちょっと驚きすぎちゃってさ。ありがとね、言葉にしてくれて。すごく嬉しかった」

「え?」

 そう言って、手を繋いできた彼女に僕は驚き妙な声を出してしまう。

「まだ学校だよ? 誰かが見てるかもしれないし」

「だからなに?」

 彼女には驚かされてばかりだ。

「なにって、僕はいいけど君が……」

 彼女は人気者で、僕はそうではなかった。だからこそ、僕は隠していたかったのだ。

「私は気にしないよ。最初から気にしてるのは君だけだよ。それに私は、みんなにもっと君のことを見てもらいたいんだ」

 彼女の言っていることの意味が、僕には理解できなかった。

「よくわかんないけど、僕は止めたからね。後のことは知らないから」

「ま、後のことは私に任せておきなさい。だからさ、今だけは好きにさせてね」

 その声音こわねは何か妙な違和感を付帯させていた。それが何なのかは、僕にはわからなかった。

 戸惑う僕の指に、彼女の指が絡んだ。


[つづく]

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