第十五章

 そこで今度は別の手を考え出した。それは介護を受けている高齢者で、かつカジノ通いをしていそうな人を探し出すことだった。もし見つかれば、その人を通じて翔の様子やVIPルームの状況を知ることが出来ると思ったのだ。介護施設に出入りする医師達を通じ、そのような利用者がいるかと尋ねてみた。 

 すると複数の施設の職員達が口を閉ざした挙句、彼らからこれ以上詮索しない方が良いと釘を刺されてしまったのである。

 これはおかしいと思った加世は意を決し、翔に直接問い質してどのような仕事を、どのような状況で行っているのかを聞き出そうとした。だが当然のように彼は話すことが出来ないらしく、誤魔化されてしまったのである。

 しかも桜良までが翔の変化に気付いたのか、精神的に不安定な状態が続くようになり、やがて症状が深刻化して面会謝絶状態から拘束、さらには軟禁状態に陥ってしまったのである。

 その為加世はなんとか翔を説得し、今の仕事を辞めさせようとしたが、失敗に終わった。

「伯母は甥である僕の事も、今や認識できていない時の方が多いじゃないですか。それなのに僕の事を心配して、精神状態を悪化させたなんて考えられません。それに今は伯母さんが持っている預貯金で施設の使用料を支払っているようですが、それもいつまで持つか分からないでしょう。それにただでさえ今は容態が悪化して、暴れ出して会えない程じゃないですか。それなのに伯母の資産が枯渇して僕が仕事を辞めたら、施設から出なければならなくなります。そんな状態になった伯母を家に引き取って、僕が一日中面倒を看なければならないのですか。そんなことになったら、どうやって生活していくのですか。僕が介護疲れを起こしていたから、先生は入居型の施設を紹介してくれたのでしょう。仕事を辞めたら、経済的な問題に加えて僕の精神もどうかなってしまいます」

 そこまで言われてしまえば、精神科医の医師としては否定する言葉が見つからなかった。そこで手詰まりとなり、加世も翔の事は静観せざるを得ないと諦めかけていたのである。

 だが人の縁とは、時に思いもよらない巡り合わせをもたらすものらしい。複数の介護施設に問い合わせ、カジノに出入りしている高齢者を探していた行動は無駄ではなかったようだ。

 なぜなら同じく翔の事を心配し、彼の後を追っていた亜美という女性と繋がったからである。彼女の父が入居している施設は、翔が出入りしているVIPルームとは提携していなかったらしい。よって口止めされている介護士達もいない為、情報を得たがっている加世の話が耳に届いたという。

 何か知っている人がいれば電話して欲しいと、連絡先を教えていたことも幸いした。彼女はそこでピンと来たらしい。高齢者専用VIPルームについて詮索している人物なら、自分の知らない情報が得られるかもしれないと思ったのだろう。

 そこでカジノ側から情報漏洩に関して厳しい制限をされている彼女は、注意をしながら施設外にある公衆電話を使い、加世に連絡をしてきた。そして情報交換をしないかと持ち掛けてきたのである。

 まずはクリニックの受付をしている女性にこう言ったという。

「私はY地のIR施設で働いている者です。そちらにいらっしゃる日下部加世という先生が、カジノへ出入りする高齢者について調べていると伺いました。その件でお話ししたいことがありますので、取り次いでいただけますか」

「先生はただいま診察中なので、少々、お待ちいただけますか? それともそちら様の連絡先を教えて頂けるようであれば、こちらから折り返しお電話いたしますが」

 問い合わせがあった場合に備え、予め受け答え方を加世から指示されていた女性はその通りに応えたらしい。先方の名前を確認しない返答により、この件について慎重を期していることが伝わったのだろう。彼女は言ったそうだ。

「いえ、このまま待たせていただきます」

 下手に連絡先を伝えれば、後々どうなるか分からないと用心したと思われる。後にカジノ側から貸与されている携帯番号を教えれば、外部の人間と連絡を取っていることがばれる可能性を恐れていた事を知った。実際カジノ側は定期的にチエックを行っていたらしい。ネットのプロバイダー変更までさせたのも、おかしな通信をしていないか確認する為だったようだ。

 電話を受けた女性から説明を受けた加世は、別の医師に患者を任せて応対した。

「はい、日下部です。カジノに出入りしている高齢者についての情報をお持ちだそうですが、どのようなことでしょうか?」

 彼女は息を大きく吸って自分を落ち着かせ、質問で返して来た。

「その前にどうして日下部さんはそのようなことを調べてらっしゃるのかをお聞かせください」

 第一印象で、これはかなり気の強そうな女性だと感じた加世は頼もしく思い、有力な手掛かりが得られそうだという感触を持った。 

 しかしまずは軽く表向きの話から入った。

「それは簡単です。高齢者専用のVIPルームがあるようだと聞き、そちらの会員になりたいので紹介を頂こうと思ったからです。別のVIPルームに出入りしている会員さんは見つかったのですが、その方によるとVIPルームもいくつか種類があり、それぞれ完全に分離されていると伺いました。どうやら高齢者専用の会員になるには、そこに出入りしている会員さんの紹介でないと駄目らしいですね。ですから紹介者を探していたのですが、なかなか見つからなくて困っていた所です」

 普通に聞けば、単なるコネ探しだ。彼女にとっては当てが外れたと思ったらしい。それでもせっかく休みを潰し外に出て、わざわざ危険を犯してまで電話をしたからには、もう少し情報を得たいと考え直したようだ。

「失礼な事とは思いますが、会社の規則で仕事上の事を外部に漏らすことを禁じられているので、名前を名乗ることは控えさせていただきます。しかし私はIR施設内で働いていますが、カジノに高齢者専用のVIPルームがあるなんて聞いたことがありません。ただ社員同士でも、他の部署の情報交換はかなり制限されています。だから私が知らないだけなのかもしれません。本当にそのような部屋が存在するのでしょうか?」

「それは間違いなさそうですよ。こちらも個人情報になるので詳しくは言えませんが、私が担当している患者さんに付き添われている方も、そちらのカジノにお勤めされています。その人は介護福祉士の資格をお持ちで、高齢者を相手にしているようです。しかしあなたと同じく、会社の事を外部に話すことは固く禁じられているようですね。でも私があなたのお勤めされている施設に伺っても、介護福祉士の資格を使って高齢者のお客様の対応をしている職場など、表向きには存在しませんでした。そんな時にカジノの中で高齢者専用の部屋があるとの噂を耳にしたのです」

 加世はさらにどのような話を聞いたのかを説明したところ、どうやら彼女の頭の中でぼんやりしていたものが形となり、カチリと嵌ったらしい。これまで彼女も翔の居場所を探していたが、なかなか分からなかったのは、そうしたVIPルームで働いているからだと確信したのだろう。そこでストレートな質問が飛んできた。

「もしかしてそちらの患者さんに付き添っている方というのは、立川翔さんではありませんか?」

 加世は一瞬黙った後、答えた。

「プライバシーに関わることなので、お名前は申し上げられません」

「否定しないということは、そうなのですね?」

「そうではありません。何度も申し上げますが、個人情報なので、違うともそうだともお答えすることは出来ないのです」

 しつこく食い下がる彼女を、加世はやんわりといなした。だが心の中では、翔の事を知っている内部の人物と接触出来た事に喝采を上げていた。しかしそこで相手が沈黙してしまった。その為加世はこちらから話しかけた。

「こちらにお電話を頂いたので、カジノに通っている高齢者の方をご紹介いただけるのかと思ったのですが、違うようですね。それならあなたは、何のために連絡をしてこられたのですか?」

 すると彼女が答えた。

「私にはVIPルームを紹介できる力はありませんが、カジノ側に繋いでくれる人は知っています。私自身もその方を通じてIR施設へ転職することが出来ましたから」

「つまりあなたもカジノ施設で働いていらっしゃるのですね?」

「それは個人情報なので先生がおっしゃられたように、違うともそうだともお答えできません。ただ私の知人は、先程名前を挙げた立川翔という介護福祉士の資格を持った、今年三十七歳になる男性と面識があります。私は立川さんと同じ職場で働きたいとお願いしたら、IR施設で働けるようになりました。しかし情報規制が引かれていることもあって、未だに彼とは会えていません。でもカジノ施設で働いていることは間違いないのです」

 話が想像と少し違う方面へと逸れたため、加世はさらに尋ねた。

「その紹介してくれた方、というのはカジノの従業員ですか?」

「いいえ。ある介護施設で今も働いている介護福祉士です」

「なるほど、そうですか」

 加世はしばらく考えた。どうやら電話をかけて来た女性は、自分と同じく翔の事を心配しているらしい。そこで思い切って提案してみることにした。

「この件はお電話だけで済みそうにないですね。今、あなたはどちらにいらっしゃいますか? もしよろしければお会いして、ゆっくりとお話をしたいと思います。もちろんあなたがお知りになりたい事も、話の流れによってはお伝えできるかもしれません」

 すると彼女は即答した。

「それならそちらのクリニックにお邪魔して宜しいですか?」

 聞くと既にこちらの住所はスマホで検索済みらしい。時計を見ると十一時を過ぎている。今からどれぐらいで着くかと尋ねると、電車で行けば二十分程だと言うので加世は了承した。

「十二時までは診療時間ですが、午後は二時半からなのでその間は休診中です。もしよろしければ出前になってしまいますが、お昼をご一緒しながらでも詳しいお話をしませんか」

「それで構いません。それでしたら十二時五分前にお伺いしますので、よろしくお願いします」

「こちらこそ。お待ちしています」

 そうして電話を切った。クリニックは駅から歩いて三分程のところにある。加世は彼女の訪問を心待ちにしていると、ようやく約束の時間が近づいてきたと思った時、受付から声が聞こえて来た。どうやら到着したらしい。受付の女性から患者では無いけれど、先生とアポがあるというお客さんが見えたと告げられた、

 直ぐに出て行くと、そこには背筋の伸びた綺麗な女性が立っていた。二十代後半程度には見えるが、電話で受けた印象よりもさらに凛々しい感じがした。それは警戒してか、顔が強張っていたからかもしれない。その為加世はいつも以上の笑みを浮かべて接した。

「いらっしゃい。お待ちしていました。もう少ししたら休診時間になるので、椅子に座ってお待ちいただけますか。そういえば、まだお名前を伺っていませんでしたね。教えて頂けますか?」

 用心しているのか、彼女は下の名前だけを言った。

「亜美と呼んでください」

「では亜美さん。お待ちになっている間に、お昼のメニューをみて何を食べられるかお決め下さい。出前ですが味は良いと思います。お支払いはこちらで致しますから、遠慮なく何でも頼んでください」

 しかし彼女は首を横に振った。

「いいえ、自分の分は払います」

 だが加世も譲らなかった。

「いいんですよ。それ位させてください。本来なら私の方からお伺いしなければならないのに、わざわざ足を運んでいただいたのですから。それに大した金額でもありませんし」

 受付の子から手渡されたメニューを見て、確かにそれほど高くないことが分かったようで、彼女はようやく頷いた。席に座ってどれにしようかと悩んでいる間に、休診時間になった。看護師がドアの鍵を閉めてその旨の案内板を出し、奥へと引っ込む。私服に着替えた看護師や受付の子達は、診療室にいた加世に声をかけてきた。

「先生、それではお昼休みに出ます」

「はい、いってらっしゃい。鍵は外からかけて置いてね」

「分かりました」

 返事をした彼女達を見送り、加世は白衣を脱いで亜美と名乗った彼女に尋ねた。

「何を食べるか、決まった?」

「親子丼をお願いします」

「じゃあ私もそうしよう。あそこの親子丼は美味しいのよ」

 そう言って加世はお店に注文の電話をかけた。受話器を置くと今度は食事をする為、彼女に上の階へ移動するよう促した。扉の鍵を開け、二人で外に出ると再び診療所の鍵を閉めてから、階段を上る。彼女が後をついてくるのを確認しながら三階へと着いた。ここもクリニックが使っている診療所だ。

 加世が院長を務め他に二人の医師と六人の看護師で経営しているクリニックは六階建てのビルで、一階が駐車場になっている。二階が受付と診療室で三階は少人数だが短期入院もできるようになっていた。四階以上は他のテナントが入っている。

 ドアの鍵を開け、二人で中に入った。そこは下とは違い、いくつかのカーテンで仕切った場所があり、中にはベッドが備え付けられている。加世は奥へと進んで、別の扉を開けた。中は休憩所となっている広いスペースがあり、長机と椅子を置いていた。彼女にその一つへ座るようすすめ、加世は机を挟んだ正面に腰を下ろした。

「ここなら誰にも邪魔されず、ゆっくりと二人だけで話ができるわ。飲み物はこれしかないけどいい?」

 事前に用意していたペットボトルのお茶を一つ、彼女の目の前に置いた。

「はい、大丈夫です」

 加世は先に同じお茶のキャップを捻り一口飲んだ。間を持たせるように、彼女も同じく口を付けた。そこで加世から話を切り出した。

「早速ですけどあなたも立川翔君と同じ介護福祉士の資格を持っているの?」

 いきなりの質問だったが、彼女は正直に答えてくれた。

「はい。持っています」

「そう。じゃあ翔君が以前勤めていた介護施設で彼と知り合ったのかしら。元同僚だったの?」

「そうです」

「もしかして、あなたは翔君を探しているのかしら」

 しかし今度は問いに応えず、彼女は質問を返してきた。

「やはり先生は、立川翔さんをご存知なのですね? 彼の伯母さんの担当医ということですか?」

 個人情報に触れてきたため、用心しながら尋ねた。

「あなたは彼の伯母さんの事をどこまでご存知?」

 すると彼女はスラスラと答えた。実の母が伯父と不倫していたことはさすがに知らなかったようだが、離婚して事故死した事やその後伯母に育てられ病気に罹った彼女の面倒を看ており、経済面で苦しいことから転職した事までを語った。加世が知っている通りの内容だった為、彼女は相当翔と近しい人物だということが分かった。 

 そこで更に質問した。

「彼の転職先がカジノだと知ったのはいつ?」

「実は立川さんが退職された後、色々あって私も施設を辞めようかと悩んでいました。そんな時立川さんの事を思い出し、同じ職場で働きたいと考えたのです。一緒に働いていた時とてもお世話になりましたし、尊敬できる先輩でしたから。そういう人が働いている仕事場なら、やりがいがあると思ったのです。でもいざ連絡を取ろうとしたら、何故か以前住んでいた場所からは引っ越しをしていて、連絡先は誰も知らなかったことを知りました。そこで別の介護施設で働いている介護士の先輩に相談したのです。立川さんとも面識があったので行き先を知らないかと聞いた所、IR施設で見かけたことがあると聞きました。そこで彼に口を利いて貰い、面接を受けられることになったのです。でも採用されて中で働くようになると、立川さんはカジノ部門で働いていることを知りました。それまではIR施設の中で介護の必要なお客様がいらっしゃった時、対応する仕事に就いているものだと信じ込んでいたのです」 

「あなたもそんな仕事がしたかったけど、現実は違った訳ね」

「はい。しかし紹介してくれた人が、IR施設の中で立川さんと会ったことは確かで、ホテルではないけど介護士の資格を生かした仕事なのは間違いないと言ったんです。だからまさかそこがカジノだとは、想像もしていませんでした」

「でも今あなたはカジノの施設で働いているのよね。それなのに翔君とは会えないの?」

「私の職場がカジノかどうかはお答えできません。ただ採用の過程で立川翔という人物が、カジノ部門にいることだけは聞くことができました。しかしそれ以上は何も分かりません。あの施設では職員同士でも、交流が厳しく制限されています。他人に仕事上で知り得た情報を流してはいけないと誓約書も書かされました。だから同じ部門に所属していても、顔や名前を知らない人が沢山いるのです」

「なるほど。そこで高齢者専用のVIPルームが絡んでくるのね」

「カジノの中には一般客と区別されているVIPルームが、いくつも存在することは分かっています。これは私でなくてもカジノをご存知の方なら誰でも知っている事です。しかしあの場所に高齢者専用の部屋があるなんて、今回日下部さんから初めて聞きました。でもそういう場所で立川さんが働いているのなら、納得できます。私を紹介してくれた介護士の人は、おそらくその部屋で会ったのでしょう。それなら辻褄が合います」

「そうなの。私も翔君が転職したと聞いて心配していたけど、今一つ仕事の内容が分からなかった。本人はなかなか教えてくれないし。でもそれがどうしてかは、誓約書の話を聞いて頷けた。私はカジノに潜入して探そうとしたけど無理だった。VIPルームの存在を知ったのはそれからよ。だから最初は会員になっている人を探して、紹介して貰おうとしたの。でも一つの部屋に出入りする権利を得ても、彼に会えるか分からないことを知って困っちゃったのよ」

「そこで高齢者専用ルームの話を聞いたのですね」

「そう。私もそれでピンときた。翔君はそこにいるって。だから今度は介護施設のルートを使って、そこに出入りしている人を紹介してくれないかと思ったの。でも今度は途端に情報が入ってこなくなった。さらには変に詮索しない方が良いと忠告する人までいたから、余計不審に思ったの。そんな時、あなたから連絡を頂いて翔君の名前が出たから、何か聞き出せないかと会うことにしたのよ」

「私はカジノでの立川さんの事や高齢者の部屋について、全く知りません。それどころか教えて頂きたいくらいです」

「あなたも何か情報を得ようとして、私の事を知ったのね。それで連絡をしてきた」

「はい。おかげでどこの職場にいるかは推測できましたが、それを知ったところでどうすることもできません。そのような部屋で仕事をされているのなら、私が同じ職場に配属される可能性は、ほぼゼロに近いと思います。そう考えると絶望しかありません」

 肩を落とす彼女に対し、加世は首を振った。

「いいえ。私はあなたとお知り合いになることができて、とても幸運だと思っています。私達には共通点があるわ」

「共通点?」

「翔君のことを心配していることよ。そして彼が困った状況にいるとすれば、それを助けたいと思っている。そうよね?」

「は、はい。もちろんです」

「だったらまだ諦めずに、やることがあるわ」

「な、何ですか?」

 加世はそこでにやりと笑った。

「それをこれから相談するのよ」

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