第十章
真壁と連絡を取ってから一週間後、仕事が終わって家に着いた時亜美のスマホが鳴った。出てみると相手はIR施設の採用担当者と名乗る女性からだった。
「深野亜美さん、でいらっしゃいますか? 真壁直樹さんから、こちらの施設で介護士の資格を生かした仕事をされたいとのご希望だと伺いました。今、お時間はよろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
真壁ではなくIR施設からの電話だった為、亜美のテンションは上がった。少なくとも門前払いされなかったことを意味する。彼には連絡をくれるのなら、昼間は仕事中だとでられない事が多いので、夜にして欲しいと伝えていた。だからすぐに対応できて助かった。
「早速ですが、一度書類審査をした上で、面接を受けて頂くかどうかを判断したいと思います」
やはり上手く繋いでくれたらしい。なんとか第一段階はクリアできたようだ。この一週間、どちらから連絡が入るだろうとドキドキしていた。それでも結果が出るまでしばらく時間はかかるだろうと覚悟していた。しかし思った以上に早く話が進んだらしい。
「有難うございます! それではどのように手続きをすればよろしいでしょうか?」
亜美が質問すると、先方が答えた。
「個人でインターネットと接続されたパソコンはお持ちですか?」
「はい。持っています」
「それではこれからお伝えするメールアドレスに、件名で深野さんの名前だけを入力して送って頂けますか。こちらで確認でき次第、履歴書に当たるエントリーシートのファイルを添付して返信します。そこに必要事項を記入し、二、三日中にメールで返送ください。併せて本人確認も兼ね、胸から上の顔写真を添付して頂けますか。携帯などで撮影して頂ければ結構です。ただし加工はしないで下さい。それだけで審査から外されてしまいますから」
「分かりました。結果はいつ頃になりそうでしょうか?」
「こちらがメールを受け取ってから、一週間程お待ちいただけますか。審査が通れば面接へと進むことになりますが、合否も含めて後日メールでご連絡させていただきます」
「ありがとうございます。今すぐにでも送りますので宜しくお願い致します」
話を聞いている途中でノートパソコンを起動していた為、通話を終えた時にはメール画面がすぐに開いた。そして言われた通りのアドレスを入力し、自分の名前を入れて送信する。直ぐには返信が来ないだろうし、送られてきたとしてもエントリーシートの入力には手間取るはずだ。よって送り返すまでには時間がかかる。
焦る必要もなかったが、少しの時間でも惜しい。そこで亜美は添付する写真だけでも先に取っておこうと思いつく。まだ帰宅したばかりで、化粧を落としていなかったことが幸いした。それでも軽く化粧直しをしてから、スマホで何度か自撮りしてみた。
その中で一番マシだと思う一枚を自分のパソコン当てにメールし、その画像を保存する。後は相手からシートが送られてくるのを待つだけだ。
食事は既に帰宅途中で買ったお弁当で済ませている。化粧を落とし、お風呂でも入って髪の毛を乾かしている間に届くだろう。そう思ってパソコンの電源を落とさずに起動させたまま、亜美は着替えることにした。普段なら仕事で疲れてぐったりしているところだが、この時だけは違った。
まだ面接して貰えるかどうかも決まっていないが、一つ壁を越えられただけで嬉しい。気分次第で日頃の行動などすぐに変わる。食事だってそうだ。精神的に余裕がある時は、健康面も考えて自炊もなるべくするようにしていた。だが近頃はそんな気力などなかった。
一時期に比べれば早く帰宅できるようになったものの、相変わらず職場の雰囲気は悪いままだ。その為なるべく早く別の職場を探して移りたいと考えてばかりいた。そんな精神状態で仕事に身が入るはずもない。これまでは苦にならなかったことでも、全てが面倒に感じられた。
そんな時に転職できる可能性がでてきたのだから、浮かれない方がおかしい。しかも再び翔と同じ職場で働けるかもしれないと想像するだけで、気持ちに張りが出た。今回の電話は暗闇のトンネルを歩いている先に、小さな光を見つけたようなものだ。もちろんこの先に出口があるとは限らない。近づいて行けば、途中で消えてしまうことだってあり得る。
それでも先が見えただけでも有難い。その為お風呂から上がり再びパソコンの前に座って画面を開いた瞬間、先方からのメールが届いていたことに気付いた時には、思わず叫びそうになった程だ。いつもならテレビをつけ、溜まっているお笑い番組の録画を見てだらだらと過ごしていたが、今日はそんな気分ではない。すぐに添付されたエントリーシートを開いて保存し、早速記入し始めた。
履歴書に書くような自己PR等の他、それ程頭を悩ませる項目は多くなかった。強いて言えば志望動機くらいだ。これならばすぐに返信できるし、面接してもらえるかどうかの結果も早く出る。
亜美は夢中でキーボードを叩き、スペースを埋めていく。書き終えた後は何度か見直し、これでいいだろうと思った所で保存した。本当は志望動機など、もっと慎重に考えた方が良いのかもしれない。
しかし頭の悪い自分がいくら悩んでも、無駄な事は分かっている。だからといって添削してくれるような、頼りに出来る人も周りにはいない。だったら少しでも早い方がやる気があると感じて貰えるかもしれないと思い、先程撮影した顔写真も一緒に添付し、メールを送信した。気付けば既に夜中の一時を回っていた。あまり遅くなると明日が辛い。そこで亜美は早々にベッドへと向かったのだった。
その後、話は意外にもとんとん拍子に進んだ。エントリーシートを送付してから四日経った頃、書類審査が通ったので一次面接をしますとのメールが届いたのだ。亜美は思わず飛び上がって喜んだ。日時は三日後の金曜日の昼間を指定されたため、即刻施設に未消化の有給休暇申請を出した。
事務局長や介護リーダーらは渋い顔をしていたが、亜美に対して駄目だと言う度胸も無かったのだろう。すんなり休みは取れた。当然だ。もし何か文句の一つでも言おうものなら、再度啖呵を切るつもりだった。その気迫が相手にも伝わったのかもしれない。
そして約束の日、指定されたIR施設内にあるホテルのロビーで待ち合わせをした。そこへ共に三十代位の男女二人組が現れたのである。緊張しながら簡単な挨拶と名刺交換をした後、亜美はホテル内にある会議室のような小部屋に連れていかれた。その為やはり翔はホテルの利用者に対する介護の仕事をしているのだと想像した。
これから何度面接を受けるか分からないが、それらをクリアしていけば、彼と同じ職場で働けると考えただけで気合が入る。亜美は意気揚々と入室した。
そこで椅子に腰かけるよう言われた後、まずは事前に記入したエントリーシートを基に、経歴の確認と志望動機などについて簡単な質問をされる。特に高校へ再入学した時期が遅かったことから、やはりその点についてはしつこく尋ねられた。
悪さをしたことなどはできるだけ省略したが、親の職業などの事で差別を受け、学校に馴染めなかった為に一時荒れていた事を隠さず説明した。またそのせいで、父親が襲われて施設に入らなければならない程の被害に合い、それを機に改心し介護の道へ進むと決心して福祉系高校に入学した事など、今に至るまでについてできるだけ正直に話したのだ。
すると思った程意地悪な質問はされなかった。亜美が心配していたような反応も無くて済んだ。しかしこの施設でも介護の仕事に就きたいとの希望について話が及ぶと、何故か顔を
「確かにこのIR施設には、世界各国から様々なお客様が来場されます。その為サポートの一環として、そのような仕事に就いている者もいることは確かですが、あなたが今勤務しているような施設はありません。ですから想像されているような勤務に就けるかどうかといえば、難しいとお答えせざるを得ないでしょう」
そこで亜美は尋ねた。
「しかし私のいる施設で以前介護士をされていた立川翔という方が、介護士の資格を生かせる仕事があるからとこちらから声がかかり、働いているはずです。もちろんあの方は介護の世界で十六年以上いて私の倍以上キャリアがあり、とても優秀な方です。ですから全く同じ仕事ができるとは言いません。それでも立川さんのアシスタントのような仕事であれば、私にもできると思います」
そう精一杯アピールすると、男性の面接官が手元の資料に目を落とし、頷いた。
「なるほど。立川さんがこちらで働いていると聞いて、真壁直樹さんを通じ、こちらに面接希望を出されていたようですね。しかし彼は現在少し特殊な部署にいます。ですから深野さんの場合、同じ職場に就くことは難しいでしょう。今の所、そちらの人員が不足しているとは聞いていませんし、募集もかけていません」
それを聞いて亜美は肩を落とした。それならば何故面接に呼ばれたのか。そう不思議に思っていると、男性は続けて説明をし出した。
「しかし諦めることはありません。今は無くても将来的に欠員が出て、そこから声がかかる可能性も無いとは言えないでしょう。立川さんも最初から今の部署にいた訳ではありませんから。別の部署に配置されていましたが、急な異動により職場変更されたはずです。だから深野さんも最初から希望通りの仕事には付けないでしょうが、タイミングが来れば立川さんと一緒に働けるかもしれませんよ」
「そうなんですか?」
一度谷底に突き落とされたかのように思えたが、再び希望があることを知って元気がでた。さらに先方は気になることを言った。
「将来的に立川さんがいる職場をご希望ならば、全く同じではありませんが、管理している部署が同じ管轄の職場で、募集している職種があったと思います」
亜美は思わず飛びついた。
「どういった仕事ですか?」
「接客業と言った方が良いでしょうか。必ずしも介護士の資格を必要とするものではありませんが、先程も言いましたように個々の施設には様々な方がいらっしゃいます。もちろん深野さんが普段接しているような、ご高齢のお客様もおられます。ですからあなたの経験は、決して無駄にはならないでしょう。それに介護士のお仕事だと、ご親族の方とお話をすることもありますよね。中には面倒な事を言う方もいるのではありませんか? それでもにこやかに対応しなければならないでしょう?」
「中にはそういう方もいらっしゃいます」
亜美が神妙に頷くと、彼は笑った。
「そうしたお客様も中にはいるでしょう。そんな時でも相手を怒らさずに対応できる能力は、大変貴重です。それに昔、少し道を外された経験がある分、度胸もおありですよね。そういった方には最適な職場があります。そこなら採用される可能性もあると思います」
「本当ですか?」
「はい。もし深野さんがよろしければ、立川さんと同じ部署の上の方と改めて面接を受けて頂くことになります。いかが致しましょうか。もちろん採用されれば、給与面だと今のお仕事の五割増しは間違いないでしょう。仕事ぶりが評価されれば、三倍から五倍以上になる方もいますから」
亜美は即答した。
「よ、よろしくお願いします!」
経済的な面でも魅かれたことは間違いないが、翔と近い職場で働くことが出来るかもしれないとの言葉が決定的だった。しかし介護の仕事で無い事が、一瞬後ろめたい気持ちにさせた事は確かだ。
ただそれが無駄にはならないと言われた事と、将来は資格を活かせる仕事に就けるかもしれないとの誘い文句に、亜美は負けた。それに今の職場から、一刻でも早く離れたいとの気持ちが日々強くなっている。その為こんな良い話に飛びつかない手は無かった。
そして後日指定された面接日に再び休みを取り、IR施設を訪れた亜美の前に、今度は三十代後半と二十代後半らしき男性二人が現れた。そして前回と似たような会議室へと連れて行かれたのである。
今回は名刺交換をせずに挨拶をして名乗り合ったところまでは良かったものの、先方の所属する部署名を知った亜美は驚きを隠せず、聞き返してしまった。
「すみません。今、そちら部署の中にカジノという言葉が入っていたようですが、ホテルを管轄する部署とは違うのですか?」
長机を挟んでパイプ椅子に座るよう促されたが、亜美は立ったままだった。その為斎藤と名乗った年上の方の男性が、笑みを浮かべながら言った。
「まずはお座り下さい。その点も含めてお話をさせて頂きます」
確か前回、次は翔がいる部署の担当者に会うと教えられたはずだ。目の前にいる男性の言葉が本当なら、翔はカジノで働いていることを意味する。介護士の仕事とギャンブルの施設とのイメージが余りにもかけ離れていた為、亜美は混乱していた。しかしその疑問を察したかのように、椅子に腰を下ろした亜美を見て、説明がなされた。
「驚かれたようですが、ここのIR施設における全体の売り上げは、私達が所属するカジノ部門が六割から八割を占めています。ですから他の施設と同様、世界中から様々なお客様が参りますが、その中でも特に厚くおもてなしが必要となるのは、カジノに来られる方々なのですよ。多い方だと一晩で何十億ものお金を使われます。そうしたお客様の中には障害を持った方々や、介護の必要なご高齢の方もいらっしゃいます。その為介護士の資格を持った従業員を随時揃えているのです」
何十億と言われても、余りに桁が違い過ぎてピンとこなかった。だがとにかく大事なお客様がいらっしゃる為、特別手厚いサービスが必要になることだけは理解できた。
カジノはVIP中のVIPが出入りする場所らしい。相当なお金持ちでセレブと言われる人種が集まるのだろう。亜美達が普段接している利用者の中にも稀に資産家らしき人もいるが、大抵は普通または少しゆとりがある程度の庶民だ。
それらの人達とは桁違いのお得意様を介護する必要があるのだろう。その為翔のように有能で経験のあるベテランの介護士が、高い給与で雇われているのかもしれない。それなら以前匂わされたが、亜美程度の能力や経歴では採用されるはずがないことも判った。だから翔と同じクラスではないにしろ、もう少しランクを下げたお客様を相手にする仕事なら有ると言うことらしい。
続けて斎藤が説明してくれた仕事内容の概略を聞き、ようやく納得することが出来た。つまり翔と同じ部門で働けるようになるには、やはり実績を積み上げ評価される必要があるようだ。最初はカジノという言葉に驚き不審感さえ抱いた。普通なら会うことも叶わないような、世界的有名人と接する機会があるかもしれないと聞いても全く興味を持てなかったくらいだ。
しかし給与体系を説明されて驚いた。労働時間は今いる介護施設並みになるようだが、基本給だけで五割増し近かったからだ。それだけではない。プラスして歩合給が設定されていた。働きようによっては、お客様から高額なチップを頂けるという。ただし個人に渡されても、そのまま懐に入れることは禁止されているらしい。原則として一旦施設側が預かった上で、他の従業員にも分配される仕組みのようだ。その割合がそれまでの働き具合やお客様からの評価を基準に、歩合として上乗せされる体系となっていた。
そうした説明を受けた上で、いくつか質問をされた。亜美は採用されるよう、必死にアピールをしながら答えた。話が進むにつれて面接官の反応も良かったため、採用は遠く小さな光からどんどん大きくなった。
もうすぐ手が届きそうなところまで来ている。亜美はそう実感した。そして最後にはこの書類にサインを頂ければ、この場で採用しても良いとまで言われたのである。
そこで見せられた書類には、細かい文字で小難しい事が書かれていた。頭の悪い亜美にとって、この手の文章を読解する能力はない。 首を傾げ思わず眉間に皺を寄せながら、何とか読解しようと苦心していた為、斎藤が簡単に説明をしてくれた。
「この書類は要するに、先ほど説明した給与や福利厚生に関する記述の確認と秘密厳守の誓約書です。カジノには誰にも知られない様、こっそりと極秘で来日する大物や訳ありの人達が来られるので、仕事中に見聞きした事などは、絶対に口外してはいけません。介護施設でも、仕事上で知り得た話をむやみやたらと言い触らしてはいけませんよね」
「はい。そうした指導は受けています」
「しかしカジノでは、相手をする客のレベルが違います。下手をすると世界を動かす程の情報がポロリと漏れ聞こえてくることや、人の生死に関わる話がでないとは言えません。それは分かりますよね」
「分かります」
「ですからどんなことがあっても、仕事上で起こったことは外部に漏らしてはいけません。この書類に書かれているのは主にそれを守りますというものです。他にもありますが、そう難しく考えることはないでしょう。要は真面目に目の前の与えられた仕事、求められる仕事を施設の規則に反しないよう一生懸命取り組んでいれば、問題ありませんから」
そのようなごく当たり前のことを言われ、ここにサインさえすれば採用が決定となることに心が奪われた。そして完全に読み終え理解することなく、亜美は自分の名前を書き、事前に用意するよう言われていた印鑑を押したのだ。
その用紙を手にした斎藤は、満面の笑みを浮かべ立ち上がり、握手を求めて来た。亜美も同じく立って彼の手を握ると彼は言った。
「おめでとう。これで我が社への採用は決定です。今の施設を辞める期間も必要でしょうし、こちらが用意する女子寮への引っ越しも必要でしょう。いつにしましょうか?」
「引っ越し、ですか?」
「何を言っているんです。ここに書いてあるじゃないですか。こちらに就職された方は、会社が用意するIR施設内にある寮に入って頂くことになると。でも自己負担は月二万円ほどで、残りは会社から補助が出ます。広さも一LDKの五十㎡で去年できたばかりの物件ですよ。深野さんが先程言われた、今住まれている所より広くて賃料も格安になります。もちろん引っ越し代の実費も会社持ちですから、ご心配はありません」
そういえば質問の中で、今住んでいる部屋の間取りや広さ、家賃を聞かれた気がする。仕事に関係しない事柄だった為、すっかり忘れていた。給与だけでなくそんな良い条件が付いている事など、全く気付かなかった。
そこでふと翔の事を思い出す。そういえば連絡先や住所を変えたまま行方不明状態になっていたが、彼も同じ条件でこのY地の寮に入っているのかもしれない。そう思って質問した。
「こちらで働かれている立川翔さんも、寮に入っているんですか?」
一瞬間が空いた後、斎藤が答えた。
「もちろん深野さんが入るのは女子寮ですから、男性とは別の所になります。しかしセキュリティーや秘密保持の観点から、他の従業員がいる場所までは教えられません」
「ああ、すみません。どこの部屋にいるかを知りたかった訳ではありません。ただ同じようにこのY地の敷地内へ引っ越されたのかなと思っただけです。以前いた職場の人も誰一人転居先を知りませんでしたし、私なんか引っ越されている事さえ、最近まで知りませんでしたから。前に住んでいた場所も知りませんし、それ程親しい間柄ではなかったので、当然ですけどね」
「そうでしたか。こちらに採用された従業員は、大抵皆そうです。ですから深野さんも、どこへ引っ越すかはお身内の方以外に教えてはいけません。今お持ちの携帯も、立川さん同様番号変更をしてもらいます。それもここに書かれていますよ。大丈夫ですか?」
深く読み込んでいなかったことがばれてしまい、引っ越すまでの手順が書かれた別の用紙で、再度説明を受けることになった。身内以外に教えてはいけないと言うのは、秘密保持の観点からだそうだ。
とはいっても、兄や父の居る施設には伝えても問題なかったし、友人との連絡は会社が貸与する携帯番号からなら良いらしい。ただし貸与されるのは、勤務して半年が経過しないと渡されない規則だという。
翔が転職して数カ月が過ぎたばかりである。だから誰も彼の連絡先を知らなかったのだろう。それだと友人が多い人はさぞ困るに違いない。そう思ったが、翔は頼りにされていたけれど、人と深く関わり合うタイプでは無かった事を思い出す。
それは亜美だって同じだ。今持っている携帯には、仕事関係や身内以外だと、直樹などの他には既に友人ではなく知人程度になってしまった人達ばかりだ。亜美の携帯番号が変わったからといって困る人は誰かと考えたが、直ぐ思いつかなかったくらいだから別に問題はない。
パソコンを持っている場合は、施設内で使用しているプロバイダーへの変更に伴い、メールアドレスの変更も必要になるとの記載もあった。だがその点についても支障があるとは思わなかった。せいぜいネット購入している化粧品等のサイトで、登録アドレスを変更する手間がかかるくらいだ。
SNSも以前はやっていたが、仕事が忙しくなった頃から一切辞めて、そのままである。そう告げた時に面接官が安心していた顔をしていたのは、いろんな機密保持の観点から禁止する中の一つに入っていたからだと後で気付いた。
「ではいいですね? 具体的な日程が決まれば、後はこちらで指定した業者が引っ越し作業をします。区役所への住所変更届など公的機関への手続き以外、全ての変更作業はこちらの担当者が同席してお手伝いしますので、ご安心ください」
ここまで情報管理が徹底されているとは想像もしていなかったが、この時はそういうものだと思っていた。世間知らずで無知というものがいかに恐ろしいかを亜美はその後知ることになるが、その時は既に手遅れだったのである。
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