第2話
まだ少しだけ雪が残っていた時だった。自宅で倒れ、入院して数ヶ月経った。ここ2.3日くらい、体の調子が悪かった。昨日診てくれた医者いわく、あと数日だと説明をされた。息子は泣いていた。あの子が泣くなんて初めて見たなぁ、と目を閉じてその時を待っていた。数日な気がしなかった。自分の体だ。もう限界だってのは分かる。死ぬ覚悟はいつだって出来ている。
「こんにちは、地球くじの者です」
「……だれだい」
足も手も何もかも動かせなくなった。唯一動かせる瞼をなんとか開け眼球を動かすと、そこには知らないヒトがいた。
「だれだい……?……あぁ、妻か。迎えに来たんだろう」
「残念ですが、あなたの伴侶ではありません。私は地球くじの者です」
私の目が見えないと察したのか耳元でそう名乗った。あぁ、妻じゃないのか。ならば、このおいぼれになんの用だろうか。
「何の用だい……」
「くじを引いていただきたいのです。あなたの願いを叶えるために」
願いを叶える……動かない頭でなんとか考える。願いか。私はもう死ぬだけだ。今さら願いなんてない。私は、それを伝えるため必死で口を動かした。
「願いが、ないときは、どうすればいい」
「辞退しても、かまいません。ただ、くじを引いても引かなくてもあなたは死にます」
「そうか……なら、私は、もう、死ぬんだな」
「はい」
きっぱりとそう言われた。そうだとは思っていた、そろそろ迎えが来ると。ただ、迎えには妻が来るかと思っていたから、多少寂しくもあった。なら、今私のベッドのそばにいるのは死神か。まぁ、死ぬ人間を訪ねるものなんて人じゃないものしかいないか。
「願いか……なんでもいいのか?」
「はい。ただ、直接人を助けることはできません。あくまで間接的になら」
「はぁ……そうかい」
目を瞑り考える。
特に心残りはない。いや、嘘だ。
私は仕事人間だった。家庭を顧みず家族のために働いた。ただ、妻や息子とは挨拶をかわすだけだった。当たり前だ、家には寝に帰るだけだったから。ただ、途中から部下のひとりに「家族を大事にしないと、後で後悔しますよ」と怒られた。当時は「家族のために働いているんだぞ!それを家族はわかっているはずだ!」と反射で怒鳴ってしまったが、今思うと情けなく思える。あの時の部下には申し訳なくなる。確かに彼が言うことも一理あったのだから。家族には私の気持ちがわかってもらっていると思っていた。ただ、もしかしたら家族にその思いが伝わってなかったのではないだろうか、と考えることが少しづつ増えてった。特に妻には、息子が生まれる前から支えてもらっていた。もう少し話した方がいいのかもしれない。その日以降出来るだけ、妻や子供との時間を大切にした。妻とは何回も話し合った。その中で、妻にも息子にも寂しい思いをさせていたのが分かった。息子は反抗期であまり話が出来なかった。妻とは最初ギクシャクしていたが、妻が亡くなる数年前まではかなり関係は改善したと思う。退職した後に、住み慣れた家からこの病院にほど近い所に引越してゆったり過ごした。小さいながらも畑を始めた。息子とも孫が生まれてから話し合った。その結果は和解して、今では孫を連れて息子が遊びに来てくれるようになった。私はそれを妻とともに迎えることが楽しみだった。だが、妻が亡くなり私は心に穴が空いてしまった。
「願い……心残りなら、ある。おいぼれの話を、すこし、きいてくれるか?」
「かまいません。あなたがくじを引くまで私はここにいますので」
声音からわかる温かさにほっとした。
「私の家の庭には桜の木があるんだ。昔、それは見事な花を咲かせたもんだ。それも1本じゃない。何十本もの桜の木だ」
「存じ上げております。それはそれは見事なものでした。ただ、すべて枯れていました」
「そうかぁ……。当たり前、だよなぁ、だって、手入れを、怠った。ばかだなぁ、あんなに妻が喜んでくれた、のに。慣れない、手入れを、手が傷だらけになるまで、やったのに」
桜の木は全て枯れてしまった。妻がいなくなり私一人になり、やりがいがなくなった。だから、枯れてしまった。息子や孫たちは、何も言わなかった。孫には言われたが、歳だからと誤魔化した。
「もし、叶うなら、1回だけだ。1回でいい、桜の木をすべて、咲かせてくれないか?」
「叶えることは出来ますが、規模はくじ任せです。よろしいですか?」
「……あぁ」
「規模によっては、一晩のみになる可能性もありますし。全く咲かない場合もありますよ」
「……いいさ。咲かなかったら、手入れを怠った罰だ。ただ、もし咲くのであれば、私の葬式が終わるまで咲かせておいてくれないか」
「……くじ次第ですので、今はお答えできません」
「そうかい……桜を咲くのは見れないんだよね……」
「はい。引き終わったと同時に死ぬので」
「……わかった。……覚悟が決まったよ。ただ私は、見ての通り、動けない。あなたが代わりに引いてはくれないだろうか」
「それはできません。ただ、あなたの手をお借りしても?」
「かまわないよ」
そっと私の手に触れたその手は、普通のニンゲンと同じ体温だった。いや、それよりもっと熱く感じた。彼の手が熱いのか私の手が冷たいのか、今はもう分からない。
かさり、と紙の感触が微かに伝わった。なんとか紙をつかもうとするが、手に力が入らない。
「つまんでいただければ、私が見ますので」
何枚かの中から1枚をつまんだ。その紙をカレが引く。
「ありがとうございます。それでは、またお会いできる日まで」
ふっと、手から熱が消えた。すーっと意識が遠のく。ナースコールを押そうとしたがその力ももう残っていない。押したか分からない中意識がとだえた。
「お父さん、亡くなったんですか……」
「あぁ。もっと早く来ていれば……。そうじゃなくでも、もっと話をしていればよかったよ。反抗期にならなきゃよかった」
「そうだね。……それにしても、桜。すごいね」
「そうだけど……うーん。俺が最後に来た時は枯れてたような気がしたんだよなぁ……」
「業者さん?」
「わかんない……まぁ、母さんが好きな花だったし、父さんも見れてよかったと思ってるんじゃないか?」
「この時期ってまだ桜が咲かないよね?なんでだろ」
「たまたまじゃないか?……さて、父さんに最期の挨拶でもしてくる」
地球くじ運営報告書
2×××年△月◇日未明
業務内容:地球くじ当選のお知らせ、および執行手続き
詳細:本日○○地域の○○病棟5階の〇〇様へ地球くじ当選のご案内。くじについての理解を示し、条件の説明。ご納得いただいたため、くじを実行。〇〇様死亡確認ののちに、執行手続き。その後、速やかにくじの執行。
〇〇様の願い;「庭の桜を咲かせて欲しい」
くじの内容:庭で枯れていたすべての桜の木の開花
執行後の被害状況と死傷者数:特になし。
備考:今回のくじにより、温度を調節しました。確認した方は、○○様の葬式後に速やかに温度を戻していただくようにお願いします。
この件については、クローズです。確認、お願いします。
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