仕事の成果
※ ※ ※
その日、カフェ「兎の寝床」は、オープンから二週目を迎えていた。
「調子はどう?」
様子が気になって、藍子はオープン日以来、久しぶりにお店に寄ってみた。
「たぶん、順調ですよ」
玲太郎は快活にそう答えた。
まだ常連客が出来るほどではないが、毎日誰かしら寄ってきては、書き仕事をしたり、他愛もない話をしたりして、思い思いの時間を過ごしている、とのことだ。
「幸い、観光客よりも、地元の人の利用が多いように思えます」
「よかったね! リピートする可能性の低い観光客より、やっぱ、地元の人がどんどん使ってくれないとね」
「藍子さんが内装とか、小物のデザインとか、手がけてくれたおかげですよ」
「ううん、全然。カフェは、コーヒーの味と、マスターの人柄があってこそ、だから。私のデザインなんて、お客さんにとっては、ほんのちょっとしたアクセントでしかないよ」
「もしそうだとしても、それでも、このお店にとって、藍子さんが描いてくれた絵は、とてもいい効果があると思うんです。特に、僕にとって」
「玲太郎君にとって……?」
「毎日、カウンターのこっち側に立って、トイレの時以外はずっと外に出られないわけじゃないですか。そうすると、目に見えるのは、店内だけです。もし、何も無いままだったり、多少は壁紙を貼ったとしても単調なデザインだったら、すごく、気持ちは落ち込んでいたかもしれない。でも」
玲太郎は、真正面にある、藍子が描いた絵を指さした。
金沢市内の町並みを描いた、大きな一枚絵。
「あれを眺めていると、飽きないんです。それに、藍子さんの絵のタッチが、とても温かくて、気持ちもゆったりしてきますし」
藍子は、何も言えなかった。
下手に口を開くと、涙が出そうな気がした。
当初の目的はお客さんに向けてのものだったが、考えてみれば、一番藍子の作品と向き合うことになるのは、ほかでもない玲太郎だ。
彼のために描く、という意識は無かったので、これは運良く、結果として成功ということになるから、決して手放しでは喜べない。
それでも、藍子は、嬉しかった。
自分が作り上げた作品が、誰かに認めてもらえた。そのことが心地よい。何度でも味わいたい快感だ。
「お客さんに評判いいのは、この布のコースターですね。特に、女性のお客さんが、可愛い可愛い、って喜んでくれます。どこで売ってるのか、も聞かれます。そのうち、持って帰ろうと考える人も出てくるかもしれないから、気を付けないと、ですね」
そんなことを語る玲太郎は、実に楽しそうだ。
ああ、この仕事を引き受けて、本当に良かった、と藍子は感じた。
紹介してくれた晃には感謝しないといけない。
それにしても、喜んでばかりもいられない。これからどうするかを、真剣に考える必要がある。
このままデザインの仕事を続けるのか、それとも再び友禅作家の道を目指すのか。
まだカフェの仕事しか実績が無いような、無名の自分に、そんなにデザインの案件が回ってくるとは思えない。かと言って、友禅作家の修業に注力するとなると、今度はデザインの仕事をしているような余裕も無い。
さて、どうするかと悩んでいるところに、一本の電話がかかってきた。
晃からだった。
『新しい依頼があるんだ。今すぐ来れるかな』
返事は、考えるまでも無かった。
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