心、解き放つ
うーん、と藍子はうなる。
「私達の場合、今、一番大事なことって、ちゃんと言いたいことを言い合うことじゃないかな?」
「言いたいこと? それは、何でもいいの?」
「もちろん。だって、私はお姉ちゃんだよ。弟が言いたいことあるんだったら、ちゃんと受け止めてあげる」
「よく言うよ。東京で、ちょっと僕が思いの丈をぶつけたら、怯んじゃったくせに」
「あ、あれは、心の準備が出来てなかったから!」
「言っておくけど、藍子さん。あの発言を撤回する気は無いし、その真意なんてものを説明する気は無いからな。何も削らないし、何も足す気は無い」
そこで、綾汰はようやく、藍子と正面から向き合った。
「僕は、藍子さんのことが好きだ。言いたいことは、ただそれだけ」
「うん……ありがとう」
今度は、不思議と、すんなり受け止められた。
「で、藍子さんは? 僕に言いたいことって、何かあるの?」
「まだ信じてもらえないかもしれないけど……」
一六年前に、母と同じ作品を作ると宣言してから、ずっと藍子は実現出来ていない。そして、待ち続けていた綾汰は、自分が先に友禅作家として自立してしまった。
藍子に対する期待感を抱き続けていた綾汰は、さぞかしガッカリしたことだろう。しかも途中で藍子は工房から逃げ出してしまった。
かつての約束を果たさないまま、自分勝手な振る舞いを繰り返す姉に対して、綾汰はどんな想いを抱いていたのだろうか。それでも藍子のことを「好き」と言ってくるくらい、好きなのだとしたら、正と負の感情の狭間で、綾汰は苦しんでいたに違いない。
今度こそ、藍子は、綾汰を解放してあげたかった。
「私はもう友禅作家にはなれないと思う。でも、それだけが道じゃない。私は私のやり方で、目指してみせる」
綾汰には、ずっと寂しい想いをさせてしまった。
だけど、もう一度チャンスをもらえるのなら、今度こそ夢を叶えてみせる。
「一六年前、綾汰に約束したこと。母が生み出した作品を、今の私に出来るやり方で、この世界に再現してみせるから」
「……期待しないで待ってるよ」
綾汰は少しばかりためらった後、あえて真面目に返さず、半ばからかい気味な口調で、そう答えた。
「あー、なんかバカにしてる」
「だって、母さんの作品は、加賀友禅として作るからこそ出来たものなのに、どうやって再現するのか、全然想像もつかないから」
「それを今から考えるんじゃない」
「あははは、そこらへんが、なんか期待出来ないんだよね」
そうやってからかいつつも、綾汰は、顔を綻ばせている。
「まあ、でも、なんだろう……ちょっとは楽しみかも」
「うん?」
「藍子さんは不思議な力を持っているから。単なるイラストレーター、では終わらないような気もする。加賀友禅への迷いを振り切った時、どんな作品を生み出してくれるのか。そこは、本当に、ワクワクしているところでもあるんだ」
「やめてよ。そこまで持ち上げられると、逆に怖くなってきちゃう」
藍子は苦笑しながら、展望台から見える夜景へと、目を向けた。
春の夜風が頬を撫でる。
なんとなくだが、今日この夜のことは、一生記憶に残り続けるような気がした。
「いい作品、作れそう」
「僕もだよ」
金沢市街地の煌めきを眺めながら、藍子と綾汰は、しばし、このゆったりした時間を楽しみ続けていた。
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