父と母の思い出

 ※ ※ ※


「初めて静枝に会ったのは、長町の、とある屋敷で仕事をした時だった。俺が庭師としての仕事をしていると、庭のど真ん中に立って、ボーッとしていて。あの頃は俺も短気なところがあったから、邪魔だな、と思って、『どいてくれ』と声をかけたんだが、何も聞こえていない様子でな」

「母さんは、その時、何をしていたの?」

「たまたま、そこはお得意さんの家だったんだ。仕事の話をしに来たついでに、庭を観察して、作品作りに生かそうとしていたらしいんだがな、俺や他の職人が歩き回っていても気が付かないくらい、集中していたそうだ」

「変な人、って思ったでしょ?」

「ああ。面食らったよ。頭がどこかおかしいんじゃないか、って思ってた。それが、まあ、その時話しかけたのがきっかけで、何かと縁があって、気が付いたら結婚することになったんだが……」


 父は目を細めた。記憶の中の母を、見つめるかのように。


「今から思えば、あの時から、静枝はもう彼岸が見えていたんだな」

「彼岸……あの世、ってこと……?」

「出会った時にはすでに常軌を逸していたから、いつからあんな風に自分を省みない作品作りをするようになっていたのか、俺は知らない。何がきっかけかも、ついに教えてもらうことはなかった。とにかく、『友禅の魔女』と呼ばれるだけのことはあって、作品と言うよりは、生き様が、人間離れしていた。一睡もしないで作品に取りかかることは日常茶飯事だったし、俺がどれだけ止めても、一旦は約束するが、すぐに忘れてまた同じことをする。ただでさえ免疫力が落ちていたところに、あの病気だ」


 急性白血病。

 それは遺伝的なものではなく、突然母の身に降りかかったものだった。


 現代においては、早期に発見されれば治療は難しいものではなく、母についても発覚は早かったから、治るかと思われていたが、不幸なことにすでに母の肉体は弱りきっていた。

 感染症を誘発してしまい、病院による懸命の治療の甲斐なく、母は命を落としてしまった。


「お前はわんわん泣いていたけどな、泣いた分だけ、自分の心に折り合いをつけられたんだろう。一一歳にもなれば、精神的にも自立し始める年頃だ。だけど、綾汰はダメだった。あいつは、何が起きたのか、理解出来ていなかったみたいだ。受け止め斬れてなかったのかもしれない。冷たくなった静枝を見て、キョトンとしてるのが、また可哀相でな」


 ぐすん、と父は鼻を鳴らした。目尻に涙が滲んでいる。


「俺は庭師の仕事にばかり夢中になっていたバカだから、ああいう時、自分の息子に何をしてやるべきか、どんな言葉を投げかけてやるべきか、わかんなかったんだ。それが情けなくて、悔しくてな」

「うん。ちょっと憶えてる。お父さんはずっと黙ってて、たまに私達を和ませようと冗談を言ってきたりしたけど、ほとんど喋らなくて」


 そんな中で、目に見えて、綾汰の様子が悪化しつつあった。

 小学一年生になっていた綾汰は、生まれて初めての学校にも行かず、一日中、部屋の隅でぬいぐるみで遊びながら、自分の世界に逃避していた。

 藍子が学校に連れ出そうとしても、綾汰は拒絶した。外へ行くのを恐れているようだった。


 困り果てた藍子は、最後の手段とばかりに、母のいた工房へと足を運んだ。


 母が使っていた道具一式や、反物の切れ端を、譲ってもらうためだ。

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