道具が足りない

 午後になり、カフェへと戻った藍子は、テーブルの上に筆を並べた。


「わあ、これが友禅作家さんの使う筆なんですね」

「そうよ。本当なら、もっと数が欲しいところなんだけど、ちょっと事情があって、あんまり持ってこれなかった」

「こんな何本もあるのに、足りないんですか?」

「色のタイプだけ、筆は必要になるから。赤系の色はこの筆、青系の色はこの筆、って。ほら、毛のところに色が染みこんでるでしょ。どれだけ洗い落としても、落ちることはないから、系統の違う他の色をつけちゃうと、変な風に色が混ざっちゃうの」

「ふうん、大変なんですね」

「ところで、遠野君は?」

「あ、なんだか、買い出しに行くって言ってました」

「そっか。それで姿が見えないんだね」

「上条さん。それで、どうなんですか? これでもう作業は出来そうなんですか?」

「やー、これだと、まだまだ……」


 藍子は腕組みしながら、唸り声を上げる。


 正直に言って、道具が全然足りない。


 もちろん、本格的な加賀友禅の作品を作るわけではなく、そもそもいくつか工程を省いての物作りとなるので、道具にまでこだわる必要はないのかもしれない。


 しかし、修行中の身とはいえ、藍子のプライドとして、少しでも本物の加賀友禅に近い形で作品を作りたかった。


 最初に必要となるのは、生地だ。着物であれば反物だが、筆を使って描けるものであれば、この際なんでもいい。


 また、絵の輪郭線を描く工程を、下絵と呼ぶが、その下絵用の青花も必要だ。青花でも、自然由来の素材と、化学青花の二種類ある。長期間の作業となれば、自然由来の青花が必要だが、藍子の場合は化学青花で十分だ。


 彩色で使う染料も仕入れないといけない。


 伸子も必要かもしれない。生地を固定させるための留め具だ。


 よくよく考えれば、図案から下絵を描く際にはガラステーブルが必要となるし、彩色の時には色を乾燥させる電熱器や、電熱器の熱を伝えるために空洞が設けられた彩色用のテーブルも必要となる。


「まいったなぁ……お金、全然ないし……」


 今時珍しい住み込みでの修業をしていた藍子は、友禅絵師としてのスキル以外特別にやれることがない。工房を飛び出してからは、ずっとアルバイト生活だ。貯金に回せるような余分なお金もない。


 道具自体は、染料店や通販で一通り揃えることは出来る。だけど、購入するだけの余裕が無かった。

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