抑えられぬ情熱

「そう。多くの人が、友禅と言うと、あの華やかな絵柄が頭に浮かんで、その絵よりも大事な技術があることを知らない。でも、京友禅でも、東京友禅でも、私達の加賀友禅でも、絶対に外すことが出来ないのが、糊置き」


 友禅とは、要は染色技術のことを表している。


 反物に、ただそのまま色付けをしたのでは、生地に色が滲んでしまう。意図した通りの彩色にならないだけでなく、最悪は隣り合った色同士が混ざり合ってしまう。その滲みを防ぐために、色と色の境界線上に糊を置き、防波堤とする。


 そういった色滲みを防ぐ技術のことを、「糊置き」と呼ぶ。


「他にも色を定着させるための『蒸し』も大事。とにかく、図案や下絵、彩色だけが全てじゃないわ。加賀友禅らしさを求めるなら、一連の工程を全部通して作られているかどうか、に注目しないと」


 ここまで一気に喋ってから、藍子は我に返った。


 玲太郎はポカンとした表情で見つめたまま、すっかり黙ってしまっている。


 横で、晃がクスクスと笑った。


「もう限界、とか言いながら、やっぱり大好きなんだな、友禅の世界が」


 藍子の顔は赤くなった。

 なんだかんだ、友禅作家の修行から逃げ出していながらも、まだその世界を諦め切れていない、そんな自分のふらついている心を、晃に見透かされてしまったような気がした。


「それより、桐谷さん。私でいいの? どこまで遠野君から聞いているのか、あなたがどこまで理解した上で私を招いたのか、まだわかっていないんだけど、私は友禅作家でも何でもないんだよ」

「もう十何年も修行されている、ってお聞きしました」

「いまだ修行の身、ね。加賀友禅の協会に認められて、落款を登録出来て、初めて友禅作家を名乗れる。私はそこまで至っていない」

「でも、技術はあるんじゃないですか?」

「作品をちゃんと作り上げるには、糊置きや蒸しの過程が欠かせないの。余分な染料や糊を洗い流す、友禅流しの作業だってある。その一つ一つに、独立した職人さんがいるの」

「ああ、そういえば、友禅会館のビデオでは、みんな違う人が作業してました」

「そうよ。加賀友禅の工程は、基本的には分業制。絵師の作業だけが全てじゃないの。で、私は、絵しか描けない。他の工程はほとんどスキルも無いし、他の人に頼むにしても、作家でもない私のために、職人さん達が特別に作業してくれるわけがない」

「つまり、上条さんは、絵しか描けないと?」

「うん。理解してくれた?」

「よくわかりました。でも、そこは重々承知の上で、お願いします。僕のために、このお店のために、協力してください」


 藍子は戸惑いの表情を浮かべ、晃の方を向いた。


 なぜ、玲太郎は、ここまで熱心に自分に依頼をかけてくるのか、それがわからない。本職の友禅作家でもない自分に、それほどの価値はないのに。

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