28歳の藍子

 それから、長い歳月が流れた。


 うたた寝から目覚めた二八歳の藍子は、しばらく仰向けに転がったまま、ぼんやりとアパートの部屋の中を見渡した。


 窓から、西日が差し込んでいる。いつの間にか、時刻はもう夕方だ。畳の上で寝転がってウトウトしているうちに、すっかり眠りについていたようだ。


 テレビがつきっぱなしになっている。たしかお昼のドラマを見ていたはずだが、とっくの昔に終わり、いまは特集番組が流れている。


 今夜は、同窓会がある。


「いけない……そろそろ準備しないと……」


 あくびをしながら身を起こした藍子は、テレビから流れてきた、男性俳優の渋い声のナレーションを聞いた途端、ピタリと動きを止めた。


『石川県が誇る伝統産業、加賀友禅。かつては華やかだったこの世界にも、時代のうねりは襲いかかり、多くの伝統産業と同じく、後継者不足に悩まされている』


 画面には、友禅作家が下絵や彩色をやっている様子や、職人が友禅流しを行っている光景が映し出される。


 興味を引かれた藍子は、画面に注目した。


 さっきまで、幼い頃の夢を見ていたから、まるでその続きを見ているかのような感覚に、藍子は不思議な気分に陥っている。


『女優百合マヤ。彼女は、東京出身でありながら、石川県を愛しており、特に加賀友禅に対する思い入れは深い』


 そこで、百合マヤへのインタビュー映像が流れ出した。邦画や舞台で活躍する人気の女優。ショートヘアがよく似合う、スマートで洗練された佇まいの女性だ。


 藍子は、百合マヤのことをよく知っている。

 彼女は、母の工房をよく訪れていたお客さんだ。

 あの頃は、まだ本名の「宮守」を名乗っていた。


 当時はまだ初々しさのある在野の女優で、なかなか芽が出ずにいたが、初めて母の作った加賀友禅の振袖を買った直後に、倍率が高いことで有名な、東京の劇団に入ることが出来た。以来、母の作品を好んで何度も買いに来ていた、大得意の常連客だった。


 そんな彼女も、いまや百合マヤという役者名で、こんな風にテレビで大写しになるほどになった。そのことを感慨深く思いながら、藍子は画面を眺め続けた。

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