未来への誓い

 玄関に二〇代くらいの女性が立っている。加賀友禅の振袖を母に頼んでいて、何度も工房に足を運んでいる宮守さんだ。藍子も三回くらい会ったことがある。


「あら、藍子ちゃん、こんにちは」

「こんにちは。お母さんは二階にいます」


 軽く挨拶をしてから、宮守を案内した。


 二階に戻ると、母は作業を中断して、二人が来るのを待っていた。


「ご注文の振袖、出来上がっていますよ」


 そう言って、母は隣の部屋に入ると、桐箪笥の中から振袖を取り出し、広げた。大人びた紫の地色の上に、雲海に浮かぶ山々が描かれている。眺めているだけで壮大な気分になれる図柄だ。


「ありがとうございます……!」


 宮守は感無量といった様子で、一言だけお礼を言った後は、しばらく黙って振袖を眺めていた。


 藍子は知っている。宮守は、半年間、この振袖が出来上がるのを待っていた。問屋を通さずに、藍子の母を直接訪ねて、これこれこういう図案で加賀友禅の振袖を作ってほしいと依頼してきた。

 それが、長い時間をかけて、ついに完成したのだ。


「私、今度こそ、選考に合格します」

「あの劇団の? 入塾するには、かなり倍率が高い、って聞いているわ」

「ええ。これまでも、何度も落ちました。だけど、次は大丈夫な気がします」


 紫の振袖にそっと触れながら、宮守は頷いた。


「そのために、上条かみじょう静枝しずえさん、あなたにこの振袖をお願いしたのですから」

「選考に着ていくの?」

「はい」


 宮守はニッコリとほほ笑んだ。


「上条さんや、多くの職人さん達の手が加わって、この振袖は出来上がっている。そんな素晴らしい着物を着させてもらえるというだけで、千人力です」


 そう語る宮守の表情は、キラキラと輝いている。


 藍子は、なんて綺麗な笑顔なんだろう、と見とれていた。それとともに、母が手掛けた友禅で、依頼人がこんなにも嬉しそうにしているのが、心底誇らしかった。


 決めた。


 いつか自分も大人になったら、修行して、友禅作家になる。そして、母と一緒に作品を作り、親子でみんなを喜ばせるのだ。


 未来のことに思いを馳せて、藍子は胸を昂ぶらせながら、顔いっぱいに笑みを浮かべていた。

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