第9話 預言の書

 その夜、嬉しい夢を見た。

 合成種ダークハーフと付き合ういかれた奴だと噂されて、エレミアに死ぬほど脅されて、散々な一日だったけれど、神様がそんな私をちょっぴり哀れんでくれたらしい。

 以前の優しいサイラスが、私の所へ来てくれたのだ。

 現実ではありえないけれど、彼の大きな手が以前のように私の頭を撫でる。優しく、慈しむような手つきで。嬉しくて口元がほころんだ。

 ――もう、合成種ダークハーフには関わるな。

 そんな労るような彼の声が聞こえて、嫌だと私が言うと、

 ――どうしてそう面倒なことに足を突っ込む。

 以前、耳にしたものと同じ台詞が返ってきた。ため息をつかれたような気がする。顔をしかめたサイラスの顔が思い浮かぶよう。こういう性分なんだ、しょうが無いだろ? 私がそう言って口をとがらせると、

 ――もっと、自分の幸せを考えろ。

 サイラスの声がそう告げる。突き放すようでいて、それでいて気遣う声。だから、言ってやった。お前と一緒がいい。お前といる時が一番幸せだ。そう言うと、絶句したようで返答がない。正直に言っただけなのにな……。

 ――自分を大事にするんだ。頼むから……。

 サイラスのそれは、どこか泣きそうな声で……。

 ふっと気配が遠ざかりかけ、私は焦った。夢ならもっと傍にいて欲しい。そう思って、立ち去りかけたサイラスにすがりつけば、その場にとどまってくれた。優しい手つきで再び髪を撫でられる。

 やっぱりサイラスは優しいな……にへらと顔が緩んだ。

 夢はいい。夢は自分が欲しいものを与えてくれる。サイラス、お前が恋しいよう。夢の中でくらい、こうして傍にいて欲しい。サイラスの手が、こぼれ落ちた涙をそっと拭ってくれたような気がした。以前と同じ優しい手つきで……。

 いつまでもこのままでいたい。

 そう思ったけれど、気が付くと朝で、朝日が差し込む窓をぼんやりと眺めた。思わずため息が漏れる。夕べの感触が嬉しくて、そしてやっぱり夢だったことが悲しくて、ずっと夢を見ていられるって出来ないのかな? つい、そんな事を考えた。

「おはようございます、エラ様」

 侍女のアンナが容赦の無い現実を突きつける。

 もうちょっと寝ていたいけれど駄目らしい。嫌々ながらも私は起き出した。もう一度寝ればサイラスに会えるような気がしたけれど、これは無理だ。今寝たら、絶対アンナの不機嫌な顔が夢に出る。そんな夢はいらない。

「朝食はどうなさいますか? お弁当になさいますか?」

 アンナにつんけんとした口調でそう言われてしまう。嫌みを言えるくらいにはなったらしい。まぁ、そのくらい図太い方が助かる。

「朝食は食堂でいいよ。昼は弁当にして」

 ヨアヒムが来るかもしれない、そう予想して言った。

 でも、昼時になってもあいつはやってこない。

 うーん、流石に毎日は来ないか? ちょっとばかりがっかりしていると、エレミアが食堂に顔を出し、こいつはいらない、そう思った。不機嫌な顔のアンナの方が百倍ましである。こいつは笑っていても、精神が削れるからな。

「処分は保留だって。よかったね?」

 連れて行かれた談話室にて、エレミアがにこにこ笑いながらそう言った。

 お前は不満そうだな?

「君の言った事の是非はもうすぐ分かるから、それで見極めるってさ。まぁ、そうかもね。戦女神様が顕現すれば、それで真実が分かるもの」

 あれが顕現……逃げようかな、今のうち。

「誰が聖女か分かるってことですよね? いつどうやって分かるんですか?」

 ちょっと冷や冷や。

「だから、もうすぐだよ。新月の夜、予言の書の星の配列になるんだ。その時に君達全員、聖なる精霊がいる洞窟に連れて行く。聖なる精霊の輝きで、戦女神様が覚醒するらしい」

「それで誰が聖女か分かるってことですね?」

 と言うことは、お腹いっぱい食べられるのもそれまでか……。その先は極貧生活に逆戻りということになる。最後にお弁当もらえるかな?

「多分ね。そうじゃないと困る」

 エレミアからため息が漏れた。

「分からないなんて事があるんですか?」

「予言の書ってさ、曖昧な部分が多いからねぇ」

 困ったようにエレミアが言う。

「特に、予言の内容が顕現する時期が。解釈の仕方によってずれるし。後になってああ、こういうことだったのかって分かる部分も多い」

「んじゃ、予言の意味ないじゃんか」

 つい素に戻って突っ込んでしまう。

「そんな事はない。予言の書に記された答えを探して動くから、こっちは危険を回避できるんだ。予言の書はね、神界からの忠告なの。向こう側からだと、人類の未来が見えるから、このまま進んだら駄目だって警告してくれているんだよ。何もしないで危機回避出来るなんて、そんな都合の良いこと考えないで欲しいね」

 そういうもんなのか。でも、こいつ。合成種ダークハーフに関する事以外では言うことまともだな。知らなかった。前世はろくすっぽ口もきかなかったからか。敵視されてたしな。

 あ、そう言えば……。

「ウォード様」

 立ち去りかけた彼を呼び止めれば、

「何?」

 今度もまたちゃんと立ち止まってくれた。やっぱりまともだ。

「訪れる災厄って何ですか?」

 肝心な部分を聞いていない。こいつらが探している救世主メシア様が世界を救うって部分は理解出来ても、一体どんな脅威から身を守ろうとしているのかが分からない。

「……終末の日の話は知らない?」

 エレミアがそう口にする。

「噂話程度なら知っています。預言の書に記されているっていう、人類滅亡の日の事ですよね? 予言の書に記された終末の日が来ると、過去にこの世界を蹂躙した魔人シヤイタン達が再びこの世界に現れて、人類を滅ぼすとか……」

 そう、確かそんな話だった。誰もが遠い未来だと思っているから、真剣には話さないけれど。終末の日とは、人間達が魔人シヤイタン達に攻め滅ぼされる日の事を言う。

「そう。その終末の日が間近に迫ってるの」

「え……」

 マジ?

「あれも時期が曖昧でさ、解釈によってずれる。でも救世主メシア様が顕現するなら、終末の日は間近だよ。五百年前に封印した筈の次元通路が解放されて、魔人シヤイタン達が再びこの世界にやってくるんだ。それ、予言の書の通りに動いて回避しないと、世界が終わるからね?」

 うわあ。

「まともに戦っても勝てないから。魔人シヤイタン達と戦争になったら、人類が滅ぼされて終わる。それが預言の書が伝える本来の未来なの。それを察知した神界が、予言の書で警告して、現人神が我らを救済しにやってくるってわけ。それが戦女神様。現人神で救世主メシア様なの。分かった?」

「じゃ、凶星って?」

「その災厄を運んでくる元凶みたいなもの? 預言の書では、凶星は魔人シヤイタンの王になって、この世界を滅ぼすって言われている。だから凶星を始末すればいいって意見が出るんだよ。元凶がいなくなれば戦争を回避出来るってね」

 そんなの大嘘だ! サイラスが魔人シヤイタンの王になんかなるものか! 予言の書が可笑しい! でなけりゃ絶対解釈が間違っている! そう言いかけて、ふと思いつく。

「……それ、変じゃないか?」

「どうして?」

「だって、戦女神が凶星を打ち砕くって、預言の書には、そう書かれているんだろ? 今言ったように、数の暴力で凶星を滅ぼせば良いんなら、凶星を滅ぼせって指示すれば良いだけじゃんか。何故そう書き記さなかった? 何でわざわざ聖女集めをさせてまで、戦女神を顕現させる必要がある? 凶星を滅ぼすのが、戦女神でないと駄目な理由が、何かあるんじゃないのか?」

「それは……」

 エレミアが考え込み、

「……もしかして戦女神様でないと凶星を滅ぼせない?」

 そうぽつりと呟く。そこへたたみかけた。

「ほ、ほら! だとするなら、下手に手を出すとやっかいな事になると思うけどな? 数の暴力は止めた方がいい。逆に戦争不可避になるかもしれないぞ?」

「かもね……」

 嫌々ながらもエレミアが認めた。

「君、変なところで知恵が回るね?」

 エレミアが苦虫を噛みつぶしたような顔をする。本当に嫌そうだな。そんなにサイラスを滅ぼしたかったのか?

「預言の書に逆らって人類滅亡は嫌ですから」

 そう答えてやった。心の中で舌を出しながら。


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