第2話
『竜の堕とし子』の最深部には、ひとりの少女がいた。
俺は当然の疑問を口にする。
「キミは、いったい……?」
「初めまして、ミカエル様。わたくしは、ルシファー・セレブロと申します」
セレブロと名乗った少女はにこりともせず、ぺっこりと頭を下げた。
礼儀正しいようだが、愛想はないようだ。
初対面であるはずの彼女がなぜ俺の名を知っているのか不思議だったが、それ以上に彼女の名のほうがインパクトがあった。
俺はとっさに身構えてしまう。
「まさか、魔王の娘の……!?」
魔王『ルシファー』はすでに討伐されたが、ひとり娘がいた。
娘は魔王討伐とともに5つの身体に分かれ、逃げのびた。
そのうち4体は見つかって封印されたのだが、残りの1体は行方不明のままだった。
まさか最後の1体が、こんな所にいただなんて。
不意に頭の中が疼くような痛みを感じ、俺は「うっ」と額を押える。
セレブロは言った。
「ミカエル様の脳は完全に破壊され、廃人となっておりました。
ですので、わたくしが修復させていただきました。
いまは修復が終わったばかりなので多少の痛みはあるかと思いますが、すぐに良くなるでしょう」
「脳を修復? そんなことができるのか?」
「はい。わたくしは5つに分かれた身体のうち、『脳』を司っておりますので」
「脳を修復できるだなんて信じられない。でもたしかに、頭に違和感があるんだよな。
なんだか知らないはずの知識があるんだ。
俺は花なんて1種類しか知らなかったんだが、今はまわりにある花の名前が不思議と全部わかる」
「それは、わたくしのせいでしょう。
ミカエル様の脳を修復するため、わたくしの脳の一部を入れましたから。
そのため、ミカエル様はすでに人間ではありません。
わたくしと同じ、『魔王』です」
「なんだと? 俺が、魔王に……?」
そう言われても実感はまるでない。
セレブロはまた頭を下げた。
「差し出がましいことをしたのであれば、ごめんなさい」
「いや、謝ることはない。俺はこのままだと死んでいたはずだ、助けてくれてありがとう」
「それなら良かったです。
明日までは生きられると思いますので、今生のお別れはできるかと思います」
「えっ」
それは聞き捨てならない一言だった。
「明日には、死ぬ……?」
「はい。殿方の魔王はレベルを糧に、女の魔王は愛を糧に生きています。
レベルがあるうちは永遠に生きながらえますが、レベルが無くなると命は尽きてしまうのです。
ミカエル様はレベルが1でしたので、わたくしのレベルを共有させていただきました。
それが尽きるのが、ちょうど明日なのです」
「なんだって!? ということは明日には俺だけじゃなくて、キミも……!?」
「はい、この世から消え去ります」
怖れも知らぬ様子で、彼女は言ってのける。
俺はそれが信じられなかった。
「俺を助けずにほっておけば、キミはずっと生きられたんだろう!?
なぜ見ず知らずの俺を、自分の命を犠牲にしてまで……!?」
「わたくしは魔王城で生まれたのですが、そのときお城のまわりには人間たちの軍勢が取り囲んでいたそうです。
それからわたくしはすぐにこの深淵の底に移されたので、外の世界というものを知りません。
今日、生まれて初めて人間の殿方にお会いできて、嬉しかったのです。
それに、わたくしの愛ももうすぐ尽きます。
どなたの役にも立てなかった人生ですが、最後にこうしてミカエル様のお役に立てて嬉しかったです。
ありがとうございました」
三度頭を下げるセレブロ。
俺は今まで感じたことのない罪悪感を感じていた。
彼女はなにも悪いことをしていないのに、魔王の娘というだけでこんな何もない場所に閉じ込められ、たったひとりで過ごしてきたのだ。
身体を5つに引き裂かれ、魔王としての力を奪われ、悠久ともいえる時を。
俺たち、人間のせいで。
怒りの衝動がこみあげてきたのは、もしかしたら俺の脳の一部が『魔王』になっていたためかもしれない。
いずれにしても、俺は彼女を死なせたくなかった。
「なんとかして生き延びる方法はないのか?」
「ありません。このお花畑は結界となっていて安全ですが、まわりにはモンスターさんがおりますので」
「モンスター? モンスターといったら魔王の手下じゃないのか?」
「わたくしが生み出したモンスターさんはそうなのですが、この深淵にいるモンスターさんはそうではありません。
すべてわたくしに敵対するモンスターさんで、お花畑を出たとたんに襲いかかってきます」
「だったらそのモンスターを倒せばいい! そしたらレベルが上げられるから、生き延びる時間も増える!」
「わたくしは『脳』ですので、戦う力を一切持っておりません」
「なら、この俺が……!」
俺は腰に提げていた剣の柄を握りしめる。
しかしそこではたと気付いた。
俺は、レベルアップができない体質であることに……!
『光速レベルアップ』などといういかにもレベルアップが速そうなスキルがあるが、これは一度だって効果を発揮したことがない。
むしろこのスキルのせいで、俺のレベルアップが疎外されているんじゃないかと思っていた。
おかげで俺は、この歳になってもレベル1のままだった。
兄たちとの冒険ではまったく戦力になれなかったから、パーティではいつも荷物持ちをしていた。
最弱のスライムにすら苦戦する俺だったが、今の俺は闘志に燃えていた。
この少女を救うためなら命すら惜しくない。
だって、一度は無くした命なのだから……!
俺はセレブロに背を向けて、花畑を出る。
「あっ、お待ちください、ミカエル様。お花畑の外には……」
瞬間、俺の影がぐにゃりと崩れ、湧き水のようにあたり一面に広がっていく。
俺は何事かと花畑に戻ろうとしたが、足が影の中に沈みこんで動けない。
「なっ、なんだこれは!?」
「シャドースライムです」と、よたよたと走り寄ってきたセレブロが手を伸ばし、影に引き込まれる俺の腕を掴んだ。
『シャドースライム』。
影に擬態して体内に獲物を引きずり込むという、スライムのなかでは伝説にして、最強のモンスターだ。
いちど捕らえられたものは絶対に抜け出せないという。
俺の身体はもう腰のあたりまで沈んでいて、花畑に爪立てて這い上がろうとしているのにまるで抜け出せない。
「離れろ、セレブロ! キミまで引きずり込まれたらおしまいだ!」
するとセレブロは、いやいやと顔を振った。
「もっ、もう、ひとりになるのは嫌なんです! ひとりで生きていくのであれば、いっそのこと、ここで……!」
ずっと冷静だった彼女の顔が、迷子になった童女のように歪んでいる。
それだけが今の俺にとっての、最後に残された生きる気力だった。
俺は藁にもすがる気持ちで腰の剣を抜き、シャドースライムを滅多刺しにする。
しかし底なし沼を突いているかのように、まるで手ごたえがなかった。
セレブロはハッとした様子で叫んだ。
「そ……そうです! ミカエル様、レベルで斬ってください!」
「レベルで斬る、だと!?」
「はい、魔王はすべての行動にレベルを消費しますが、レベルを費やすことによりその行動をパワーアップすることができるんです!
レベルを力に変えることを意識して、剣を振ってみてください!」
そんなことをしたら、レベルをさらに消費して寿命が短くなってしまう。
しかしセレブロは意地でも俺の腕を放そうとしない。
「くそっ! こなったら、やぶれかぶれだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!」
俺はありったけの力と気持ちを込めて、絶叫とともに剣を振り下ろす。
……ぶわっ……!
すると紫色のオーラに包まれた剣が、確かな手ごたえとともに影を貫いた。
……ぶしゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーっ!!
沼のようにあたりを支配していたシャドースライムが、朝日を浴びたように蒸発していく。
ヤツは断末魔もなく、その場から消え去っていった。
「か……勝った、のか……?」
倒れ込んだままの俺とセレブロ。
その疑問に答えるかのように、俺たちの目の前に半透明のウインドウが現れた。
『シャドースライムを倒して、10レベルアップ!
「光速レベルアップ」のスキルで10倍され、100レベルアップしました!』
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