第20話 ナルキッソス




 「それでね、その生徒会長がしつこいんだよ…生徒会に入ってくれって毎日のように教室までやってくるんだよ?」


 「はは…それだけ優秀だって認められてるんだよ」


 年を越し、雪が解けたがまだまだ肌寒い2月の中旬。僕と綾音さんの二人で川沿いの公園まで来ていた。


 葉を落としきった木々に囲まれるこの公園に今は僕たちしかいない。厳しくも明瞭な冬の空気は、隣を歩く綾音さんの存在をより身近に感じさせてくれた。僕としては騒々しい人混みよりこういう場所の方がよほど好みだ。


 「そんな可愛げのある人じゃないよ…『絶対入れてワタクシの右腕になってもらいますわーっ!』とか言って土下座までしてくるの」


 「そこまで行くと怖いね…というかその人女子なんだ…」


 しばらく取り留めも無い話をしていると、何かを思い出したのか急に綾音さんが肩掛けのバッグに手を入れる。


 「ふふふ…仁君には今日はいいものを用意してきたんだ」


 「えっ…」


 「じゃーん!チョコレートだよっ仁君♪ハッピーバレンタイン!!」


 「わぁっ!?ありがとう綾音さん!!」


 綾音さんが鞄から出したものは30cm四方ぐらいの茶色い上品な箱だった。とっても嬉しくてまじまじと眺めてしまい…


…ん?ちょっと大きくない?


 感謝を述べつつ手渡されてみるとやはりデカい。手に持った瞬間ズシっとした重さを感じて驚いてしてしまう。


 「仁君が好きそうなチョコレートは色々思いついたんだけどね、やっぱり世の中広いからまだ仁君が味わったことの無いものや知らない種類もあるわけじゃない?喜んでほしくって古今東西のブランドから特産品種まで調べてなんとか舌に合いそうな18種類にまで絞り込んで、そこから出来る限り手作りにしてみたよっ!」


 「そ、そうなんだ…ありがとう…すっごく…嬉しいよ、うん」


 もう吃ることは殆ど無いのにつっかえつっかえでようやくそこまで言葉にする。えへへと顔を赤くしてはにかむこの乙女はしばしば加減というものを完全に忘れてしまう所があることを田村仁は学んでいた。


 「で、でもありがとう…こんなに沢山…大事に少しづつ食べるね」


 「うん、いっぺんに食べると糖尿病になっちゃうから気を付けてね!」


 「そうだね…他の人から貰ったチョコもあるし、計画立てて食べないと…」


 「……なんて?」


 「えっ」


 鳴上綾音の前世において学生時代に貰ったチョコレートは無い。毎年この時期になると甘ったるい匂いと共に浮かれる世間を恨み、製菓会社に踊らされている愚か者共めと呪った記憶しかなかった。


 だから自分以外の誰からもチョコは貰えないだろうと決めてかかっていた綾音には、既にチョコを貰っていると述べた仁の話は衝撃だったのだ。


 「だ、誰に貰ったの…?そんな…沢山貰ったの?」


 「いやぁ全部友チョコだよ。同じ学校の子とか、あとは高坂さんとか…あっ響ちゃんからも貰ったよ」


 「…そんな馬鹿な…いやまさか…ありえない…」


 「あ、綾音さん?」


 虚空を見てブツブツと呟く彼女を見てなんだか心配になる仁。自分がまた何かをしでかしてしまったのかと少しだけ思うが、顔が赤くなったり青ざめたりしている彼女にどう声をかけていいのかが分からない。


(ま、まさか皆が仁君の魅力に気付き始めている…!?)


 近頃成績も良く、精神的な安定が少しづつ自信へと繋がってきた仁は同じクラスの女子とも普通に会話するようになっていた。イケメンや面白い子と比べたらまだまだモテるとまではいかなかったが、いかにも女性に免疫がなさそうな仁はしたたかな女子からはよいキープ相手になると思われて市販のチョコを貰っていた。勿論仁には綾音という意中の相手がいたのでいちいち一喜一憂なぞしなかったが、珍しく異性から貰ったものとして純粋に味を楽しんでいた。


 (ハッ…!そういえば私が家でチョコを研究している時、響が横で何かをしていたような…!!)


 元々仁一人の勉強をみるために始めた勉強会は、すっかり4人の放課後倶楽部となっていた。日頃優しく教えてもらっていることへの恩返しとして響が仁に渡したチョコレートは小さくも可愛らしい手作りチョコだった。姉さんと仁さんはもう付き合っているんですかと聞かれ、僕なんかがとんでもないと真っ赤になって答えた仁には微笑む響の真意が理解できなかった。


 「わっ、私が仁君にバレンタインチョコレートを渡す初めての人になるつもりだったのに…2月14日は今日なのに…っ!!」


 「まぁ当日学校が休みだったら普通前日の放課後とかに渡すよね」


 「冷静だねぇ仁君っ!!」


 「ゴ、ゴメン…」


 (ぐっ…昨日は私行けなかったから…その時に貰ったのか…)


 歯噛みして悔しがるがこれで終わりじゃない。聴き間違いじゃ無ければさっきアキから貰ったとかありえないことを言っていたような…。そのことを聞くときょとんとした顔で仁君が間違えなく友チョコだったよと答える。


 「あんたなんてどうせ安物のチョコしか食べたこと無いんでしょ?これ毎年家に送られてくるけど余りものだからあげるわ。これでも食べて精々舌を肥やしておくことね」


 そう言っておざなりに渡されたチョコレートは高級そうな見た目をしていただけあって美味しかったが、感謝を伝えてそれだけだ。しかしそれを伝えられた綾音はわなわなと震えだす。


 「アキが異性にプレゼントすること自体前代未聞なのっ!4年近く友達やってて初めてのことだよっ!」


 「えぇ…」


 学校でアキの男嫌いは有名である。黙っていればそれが分からないので、よく彼女を知らない外部生が美貌につられて告白するのだが毎回けちょんけちょんになるまで貶されて帰っていく。そもそも仁が友人として認められていること自体彼女なりの好意の証なのだ。


 「ふぅん…初対面の出来事や普段の印象が印象だから、てっきり嫌われてるのかなと思ってたんだけど、案外仲良くしてくれてるのかな?」


 彼女なりの信頼を得ているようでどこか嬉しくなりつい笑みがこぼれる仁だが、それを見て何を勘違いしたのか綾音はとうとう目が据わっていく。


 (このままじゃ仁君が他の子に取られちゃう!これまでずっと一緒に頑張ってきたのに!私が一番仁君を知ってるのにっ!!)


 「…仁君、さっき私があげたチョコ、渡して?」


 「え…なにをするつもりなの?」


 「そこの川に投げ捨てて魚のエサにするわ。そして私が今度こそ何物にも負けない究極のチョコレートを開発する。一か月後にもう一度この場所に来て?至高のチョコレートをお見せするわ」


 「やめてよ!?」


 二人だけの公園で彼らの喧騒を聞いていたのは草花のみ。木枯らしに吹かれ、ただ静かに揺れている。




………

……




 「あっ、見て綾音さんこんなに寒いのにもう花が咲いてる」


 「あれは水仙ね。どちらかというともう咲き終わりの時期だけど」


 公園横の水辺を眺めて二人で木柵に寄り掛かる。奥で光る水面に照らされて白と黄色の水仙は真珠のように輝いている。


 互いに何を言うまでもなく花畑を見ている。穏やかな時間だった。


 (こんな時間がずっと続けばいいのに)


 上半分が雲一つない青い空。下半分が絨毯のように敷かれた白と黄の花畑。挟まれて流れる川はひたすらに輝いて地平線を浮かせている。ぼんやりと眺めているとそれぞれが別の生き物で境界線をゆらゆらと押し合っているように見える。


 無機質でないとしか形容できない不思議な感情湧く。あの色は光の反射で見えているだけであって実際に色は無い。ただ人間にそうみえるだけ。この水仙に意味は無い。ただ美しいと見る人が感じるから植えられているだけであって、そうは思わない人や人間以外にとっては意味が無い。当然、草木の心なぞ人間には分からない。


 価値をただ投影しているだけで、そこに意味は無い。


 「ねぇ仁君、ナルキッソスって知ってる?」


 「ナルキッソス?なんだかナルシストみたいな言葉だね」


 「ええ、語源だもの。ギリシア神話の登場人物でね、彼は泉に映る自分の姿に見惚れてしまったが為に水へ落ちて死んでしまったのよ。そしてその後にあそこで咲いてるような水仙になったっていう…そういう伝説があるの」


 「へぇ…その人は余程自分のことが好きだったんだね」


 「…そうね」


 この寓話の意味は己を愛するがあまり命を失ったナルッキソスの滑稽さを表している。自己愛とは自惚れを意味し、救い難い愚か者を笑う話なのだ。


 「ねぇ仁君、自分で自分のことを愛すって滑稽だと思う?」


 「…綾音さん?」


 寓話になぞらえた水仙の花言葉は『自己愛』。だが、それに意味は無い。人がそれに価値を投影しているだけであって、そこに意味は無いのだ。


 この自己愛を何人たりとも否定することはできない。

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