偏執病

悠鶴

偏執病

「おい、そこのR」

 突然、呼び止められた。振り返ってみるとYがいた。薄暗い地下でも、黄色の腕章はよく目立つ。

「何か御用でしょうか」

「いや、お前ではない。そこのRが──おい! お前だぞ! 俺の目を誤魔化せるとは思うなよ!」

 Yは声を荒らげると、近くにいた他のRの胸ぐらを掴んだ。残念なことだが、こうなってしまうと彼の命は無いも同然だ。罪状は一体何だろう。薬か、煙草か、はたまた反逆か。もしかすると、彼の肩が、少しだけ上官の肩にぶつかっただけかもしれない。

「なんだこの指輪は」

 Yが詰め寄ると、彼は言葉を濁す。確かに、彼の薬指には銀色に光る輪が付いていた。言い訳もままならない状態を見て、Yの堪忍袋の緒は今にも切れそうだった。

「今すぐ外せ」

「嫌です」

「絶対にか」

 今度はすっかり黙ってしまった。自分の信念を守るその行為は、いつかのどこかではきっと評価されたことだろう。しかし、今のこの国ではそうではない。

 Yは鼻で笑うと、ナイフを取り出した。そして、彼の薬指を切り落とした。地下通路に絶叫が響き渡る。勿論、野次馬などは一人もおらず、皆忙しなく通り過ぎてゆく。Yは平然とした顔でナイフを戻した。

「これが総括だ。そのような精神では真の幸福は得られないばかりか、反逆者を摘発することすら叶わんぞ。本日付でお前はIRに降格だ」

 彼の苦痛に歪んでいた顔は忽ち変化した。彼にとって、そして私にとっても衝撃的な通告だった。

「この程度の処罰で済んだことをありがたく思え」

 そう言い捨てて、Yは立ち去った。彼はまだ生きている。例外的な処置だった。これは本来の「総括」ではない。上層部は、急に方針を変えたのだろうか。この国は、まだ正常に戻れるかもしれない。そう思いたい。

 ふと目を伏せると、血溜まりが広がっていた。私と彼の腕に巻かれているのは、それと同じ色をした腕章だ。そして、床に転がった指を見て、どこか薄ら寒いものを感じた。我々は国家の養分に過ぎない。国家が少しでも長く生き延びるための──。指のように、いつでも切り捨てられる。


 翌日になって、一報が入った。昨日のRは、無事IRとなり、それを命じたYは「総括」された。てっきり、Yの一階級上であるGの決断かと思ったが、そうではないらしい。最上位階級、UVが関わっているというのだ。つまり、事の次第によっては国家が転覆する可能性があったということであり、UVはその芽を摘んだということになる。

 結局、何も変わることはなかった。噂話に耳を傾けながら、配給された朝食を口内に押し込む。水と原材料不明の固形物。UVにでもなれば、味が異なる沢山の柔らかいものを食べることができるらしい。食べ物によって味が異なるとは、どうにも嘘のように思えてしまう。それに、この食堂では食事を楽しむことなどできないだろう。床と壁は一面黒く塗られていて、IR、R、Oの下位三階級が集っている。人数は確実に一番多いのに、他二つの食堂に比べて小規模だ。少数の特権階級が、多くの富を得る。至極当たり前のことだった。

 突然、視界が明滅した。食堂の照明が落とされたのだ。腕時計を見て、もうこんな時間かと気付く。壁の一部に光が灯り、映像が映し出された。周りの人々も食事する手を止めて、ディスプレイに見入る。そうしなければ反逆と見なされるのだ。

「全ての無知蒙昧な諸君に送る。思慮の欠如は幸福である! 我々のイデオロギーは既に社会主義を過去に堕した。実存と疎外の質的に径庭したアウラはニューロンの灯火である。豊穣なるテロリズムの讃歌は額面通り形而上のものに過ぎなく、論うインテリゲンツィアは恣意的に脳死している。崇めよ我等が母を! 国家は永遠なり! 国家は永遠なり!」

「国家は永遠なり!」

 スピーカーからけたたましく流れる明瞭な声は、この国の指導者のもの。右手を上げた彼がディスプレイに映っている。人々は立ち上がり、彼に追従して右手を上げ、叫ぶ。私も、同様にして叫ぶ。少年の顔と声をした指導者の言うことは、無意味な文字列としか思えない。きっと彼自身も理解してはいないだろう。「国家は永遠なり!」。これさえあれば十分だ。

 結局のところ、生きるために自我は必要ない。我等が同志、我等が指導者マリオネット様を讃えれば良いのだ。反逆は愚かしい。寧ろ、反逆者を告発すれば、昇格することができる。それが上手いやり方のように思えた。

 ひとしきり叫んで、今日の「思想統一の時間」は終了した。再び食堂に明かりが灯る。私はすぐさまトレーを返却して、食堂を後にした。本日の任務まではあと三時間ほどある。しばらく自室で暇を潰そうか。一面が黒で塗られている廊下を歩きながら思案に耽っていたら、食堂の扉から女が出てきた。この食堂はI、V、UVの上位三階級専用で、当然私は入ることが出来ない。腕章を見て、出てきた人物がUVであると分かった。

 それだけであれば、私は敬礼をして、そそくさと自室に戻っていたことだろう。しかし、このUVにはどこか違和感を覚える。私が敬礼をすると、彼女は小さく微笑んだ。この点に関しては、特におかしいことではない。上位階級になるほど、外見上穏やかな人間は増える傾向にある。逆にIRほど気性は荒い。

 彼女が去ってすぐ、違和感の正体に気付いた。匂いだ。硝煙の香りがしていた。否、階級に関係無く全ての人が銃を持つこの国では、硝煙の香りがしているのは当然のことである。そうではなく、彼女の匂いは、配給弾薬のそれではない。違う弾薬、つまり、国が管理していない銃を使っている?

 反逆の疑いがある。しかもUVに。反逆者に対して、私は特に何の関心も持ってはいない。勝手に滅びれば良いとすら思っている。だが、相手が上位階級となれば話は別だ。私自身がUVに成り代われる可能性すらある。私は相手に気付かれないよう細心の注意を払って後をつけた。


 どこへ向かっているのだろう。普段から任務で人通りの多い通路は把握しているが、この地下都市には普段使われていない道が多すぎる。今歩いているのも、通ったことがない連絡路だ。幅は狭く、先程までいた廊下同様黒く塗られている。いつ見つかっても不思議ではないが、なんとか発見されずに済んでいる。

 彼女はパイプや排気口が並ぶ狭い路地に着くと立ち止まった。誰かを待っているようだった。私は急いで錆びたダストケースの影に隠れた。しばらくして、二人の男が現れた。横目で確認すると、一人はI、もう一人はRのようだった。三人は小声で話していたが、遮るのは静かな排気音のみであったため、よく聞き取れた。

「例の計画は進んでいるか」

「ああ、手筈通りにな」

「俺たちにかかれば、あやつり人形ごとき、一瞬で破壊できるね」

「それは良かった。この前貰った銃だが、IRで試し打ちをしてみた。一発で逝ったから、性能は確かだ」

「これでやっと革命が成し得る」

「国家のために国民があるのではなく、国民のために国家があるのだ。このことを知らしめねばならん」

「我々で、新しい国を作るのだ」

 彼らは彼女より下位であるにも関わらず、親しげな口ぶりだった。しかし、私が驚いたのはそれではない。革命を起こす。彼らは果たしてその本当の意味を理解しているのだろうか。言うなれば私も革命を望む身ではあるが、それは非現実的であると自覚している。しかも、たった三人で何が出来るというのだろう。いくら優れた銃があるといっても、私に後を付けられている時点で、既に失敗している。しかし、どうしたら上手いこと告発できるだろう……。

 一瞬の光明が見えた。私にできることはこれだ。

 懐から拳銃を取り出し、影から飛び出す。

「反逆者め!」

 ひたすらに撃った。何発かは覚えていない。躊躇いはなかったが、手は震えていた。一刻も早く、事切れてほしかった。

 三人分の肉塊を見て、我に返った。私は、とうとう自身が望まなかったことをしてしまったと気が付いたのだ。思想が異なるだけで、命が簡単に扱われてしまうのは、許し難いことだった。しかし、私は生き延びること、否、生き延びて権力を握ることを優先してしまった。今、私は恐らくUVになる資格を得たことだろうが、それが一体何になるというのだろう。UVになり権力を握れたとしても、それを行使するためには体制の奴隷にならなくてはならない。尽く無意味だ──何もかもが。


「国家のために国民があるのではなく、国民のために国家があるのだ」

 私の中で、物言わぬ塊が蠢いた! 聡明な意思、言語化された意識が忽ち私を貫いた。脳内で反響したのは、今はもう屍となった彼らの言葉。思想に対抗しうる、新たな思想だった。

 その瞬間、曖昧に広がっていた私の価値観は美しく収束し、はっきりとした一つの形が出来上がった。ぼんやりと考えていた、人を殺してはならないという倫理に新たな力が与えられたのだ。つまるところ、私は彼らの代わりに、そして彼らへの償いのために革命を成さなくてはならない。それこそが使命であり、役割だ。

 今まで感じたことのない熱に浮かされていた。権力を持つ自分は最早無力ではない。思想が表面化しないよう気を付けさえすれば、水面下で革命は進行する。同じ考えを持つ者を集めれば、クーデターは成功する。

 焦燥感に駆られていた。その場で立ちすくんだまま、私は呟いた。「革命だ」と。


 鋭い痛みが、身体を引きちぎった。


「次のあなたは、きっとうまくやるでしょう」

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偏執病 悠鶴 @night-red

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