深夜から夜明けへ

あるむ

1. 深夜のドライブ

「この曲、うざいよな。なんで流行ってるのか、さっぱり分からん」


 助手席に座る先輩が僕に話しかけてくる。


「なんででしょうね~」


 また始まった、と思いながらも適当に相槌を打つ。


 行き詰まった時の恒例行事、深夜のドライブ。いつもは憧れのアーティストや、僕らの原点となるバンドの曲を流すのに、たまには違うことをしてみようと先輩が適当にラジオをかけたために起きた事態だ。


 コンビニでも、テレビでも、街頭広告でも、売れている曲が聞こえてくると繰り返されるこの会話。


「ヒットチャート上位は音楽なんて呼べないもんばっかりじゃねーか。上っ面でファッションでしかないインスタントな恋愛の歌ばっかり歌いやがって。なんでどいつもこいつも一年中キュンキュンして失恋してんだ? 万年発情期のサルなのか? どーせその歌聞きながらヤリまくってるクセによ、そっちを歌にした方がよっぽど音楽じゃねーかよ!」


「僕に言わないでくださいよ」


 今時ゴリゴリのロックナンバーやパンクなんて流行らないですよ、という言葉はいつも飲み込む。だけど、僕たちが体現したいのは、そういう時代遅れの音楽なのだ。


 季節の移り変わりで過ぎ去ってしまうような生易しい恋の歌ではなく、深く刺さっていつまでも抜けずに腐りながらその泥沼でもがいているような痛々しい愛の歌が好きな僕たちには、流行りの歌が全部同じに聞こえる。


「バンドメンバーのお前に言わなくてどーすんだよ」


「だから、僕に噛みつかないでくださいって。おっぱいのサイズや柔らかさはともかく、先輩のことだから締まりがどうとか、もっと直接な歌詞がいいんでしょ。でもそんなん流せないっすよ、ラジオ」


「売れりゃそれが正義だろ、どんだけ歌詞がヤバくたって。つーか、お前がラジオにしてるから、こんなくそつまんねー曲聞くハメになったんじゃねーか!」


「先輩がラジオにしろって言ったんじゃないですか」


「あーあー、こんな安っぽい歌詞聞かされて嫌になっちまうぜ全く」


 先輩は大袈裟にため息をついて、ダッシュボードに転がしておいたセブンスターに火を点けた。尻ポケットに入れたら全部の煙草が折れてしまうソフトパックを先輩が頑なに選ぶのは、単純にロックっぽいという理由だけだ。


「先輩~、吸うなら窓開けてくださいっていつも言ってるじゃないですか」


 もう何万回と言ったか分からない抗議の声を上げ、助手席の窓を全開にした。


 僕は煙草を吸わない。それなのに先輩が勝手に吸うものだから、いつの間にか煙草の臭いが車に染みついてしまった。おまけに煙草の銘柄の知識も。


「そんな開けんな! 寒いじゃねーかよ!」


 何をしてもうるさい。ひとしきり喚いたあと、指二本分くらいまで窓を閉めていた。こういうところは案外に几帳面な人なのだ。


 そのまま黙って先輩は煙草をふかしていた。眠気覚ましに買ったという、カフェインよりも砂糖の量が多いカフェオレの缶に灰を丁寧に落としている。


 その丁寧さを他で発揮すればいいのに。横目で様子を見ながら、僕は運転に集中した。


 相も変わらず突然電話をかけて来ては、青春を取り戻したいだの、とびきりの朝日を捕まえに行くだの、とりあえず暇だの、雑に理由をつけては僕を呼び出し、足に使う。曲作りに行き詰まったと素直に言えばいいのに、こういう理由はいくらでも出るもんだなぁと感心したり呆れたりする。


「お前、歌詞書いた?」


 ジュッと火が消える音を立ててから、先輩は僕に聞いてきた。


「書いてないっすよ」


「一週間やったのに! 早く書けよ!」


「それなら先輩こそ、曲作ったんすか?」


「俺は、あれだ。仕事が忙しかった」


「嘘だねー。この前辞めたばっかりじゃないですか。暇なのは知ってるんですからね」


 この人は本当に仕事が続かない。その辛抱の無さはギネスに載れるんじゃないかと思うレベルだ。


 一体どうしたらそんなにすぐに辞められるのだろう。というか、どうしてそんなにすぐに次が見つかるのだろう。ある種の才能すら感じる。


「うるせーうるせー! お前はなんで書いてないんだよ」


「スランプっすね」


 ハン、と先輩は鼻で笑った。その勝ち誇ったような、馬鹿にした様子がムカつく。先輩だって同じじゃないか。


「だから今、こうして深夜のドライブしてんじゃねーか」


 ニヤニヤと笑う先輩が気持ち悪い。どうせ自分が暇で仕方なかっただけだ。それでも、日常を離れて、先輩と軽口を叩き合っているこの時間はありがたかった。


「そうっすか。そんならガソリン代、お願いしますね」


「俺が金持ってると思うか?」


「思いません。けど、先輩面するなら今っすよ」


「かわいくねー後輩」


 そして二人で吹き出す。深夜テンションで、なんでも面白くなってくる。


 先輩の偏見に満ちた言葉や思考は、深夜によく似合う。それを面白がって聞いてる僕も同罪なのだけど、表立って歩いてくれる先輩がいるから僕は安心してその陰に隠れることができる。


 オレンジ色が等間隔で照らす道を、あてもなく延々と走り続ける。時折すれ違う車は、同じ夜を航海する同胞だ。この世界は全て夜の底に沈んで、僕と先輩だけが朝を探す探検に出ている。地図はない。あてもない。それでも僕たちは出会うものにワクワクして、二人なら大丈夫だと根拠のない自信で突き進む。


「なぁ、ギター担いでさ、海外行かねえ?」


 エンジン音で満たされた空気を破って、先輩が唐突に口にする。


「は、え? なんですか、突然」


「なんだっけ、ワーホリ?とかあるじゃん。働きながら、地球を旅することができるやつ。それでさ、俺たちが作った音楽を時々路上で演奏とかして、金貰うんだよ。よくない?」


「先輩、英語しゃべれないでしょ」


「お前だってしゃべれねーだろ。だけどな、音楽は言葉の壁を越えるんだぜ。お前知らねーの?」


 そうやってまた煙草を咥える先輩。


 本気か冗談か分からないけれど、この人とならなんとかなりそうな気がする。実際には、僕が物凄く苦労するんだろうけど、それでも、そうやって軽々しく夢を言葉にする先輩に憧れる。


 絶対、絶対に本人には言わないけど。


「行けるといいっすね、海外」


 へへへと笑って、一番深い夜の中をふわふわと漂い続ける僕ら。


 日付はとっくに変わって、明日は今日に変わったけど、朝の光が迎えに来るまではまだ今日なんだ。日の光が今日を塗り替える前に、先輩を送っていく。朝の気配が現れる頃、僕はようやく眠りについた。

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