第33話 おちゃかまの湯
天然のラジウム温泉の効能をうたった銭湯のタイル画には、富士山や品川宿は描かれてなくて、近代アートを代表する作家の絵画「ねじれた宇宙」が浴室一面を覆い尽くしておりました。
作家というのは、おちゃかまの湯・代表取締役、むらさきさん本人であって、男湯女湯共に幻想的なライディングと、時空のゆがみをモチーフとした独創的なアートは業界でも知られた存在となっておりました。
お湯の温度は38℃。
水出しコーヒーから作る珈琲牛乳。
そして低温サウナ。
そのこだわり抜いた経営スタイルに、真っ先に飛びついたのは若者達でした。
外観は昔ながらの銭湯の佇まい。
ところが、中に入ると非日常の世界が広がっています。
裸同士のつきあい、地位も名誉も関係のない空間は、むらさきさんが理想とするシャングリラなのでした。
庄五郎と自治会長は連れ立って、今夜の決戦に備えるべく英気を養っておりました。
地区の予算審議会や、産業協議会等の闘いの前はいつも、ふたりはこの銭湯で作戦を立てるのです。
開店時間を2時間早めたのは、むらさきさんの計らいでした。
貸し切りとなった浴槽には、黄色いあひるのおもちゃがプカプカ浮いていて、ミラーボールの照明のお陰で表情豊かに見えています。
つるっ禿げの庄五郎と、少しやつれた自治会長は、あひるちゃんをかき分けながらざぶんと浴槽に浸かりました。
床に転がる親子のあひると、カツラを外した庄五郎とを見比べながら、自治会長はその覚悟に武者震いしました。
カジノ法案が成立してからというもの、柳ねこ町3丁目は常に政局に利用され、住民達の意見も真っ二つに割れていました。
推進派には生粋の人間が多く、反対派はネコジンで占められていて、両者の対立は日増しに悪化の一途を辿っておりました。
土地の譲渡に反対する地主の家にダンプトラックが突っ込んだり、その親族のSNSへの誹謗中傷や殺害予告等々、弁護団を通じて被害届を出すも警察は一向に動いてはくれません。
というのも、法務大臣や警察庁長官、警視総監は皆ウサギビトで占められていたのです。
猫に代わる癒し系の地位を独占すべく、裏世界で暗躍し始めたのが1964年。
当時のサトウ総理大臣もウサギビトでした。
ところが1972年、サトウ総理はテレビ会見で記者団を締め出すと、スタンピングをしながら国民に直接語りかけたのです。
この世は擬人のなれの果ての世界であると。
勿論、マスメディアはその発言を封殺しました。
ーしばらくおまちくださいー
ブラウン管テレビの画面に映し出されたこの文字は、言論統制を意味するものとは誰も気が付きませんでした。
あれから云十年・・・世界は何一つ変わってはいません。
支配する者とされる者。
弱肉強食に近付くヒトの社会には、地位や名誉や金が常にまとわりついていたのでした。
「さてと、あちらさんはどう出てくるだろうね・・・」
落ち着き払った庄五郎の声が、浴室内に響き渡りました。
カジノ特区推進派の急先鋒、区議会議員・米倉英雄には、現政権の支持母体のひとつである宗教団体・ハイウエストミラーマンが背後についているのは明らかでした。
それもここ最近の出来事で、接触を図ったのは団体幹部の金庫番と称される人物でした。
「さてと、どう出てくるものか・・・」
自治会長は、庄五郎と同じ言葉を発しました。
本音は、湯上がりの自家製水出し珈琲牛乳が飲みたくて仕方なかったのです。
「ハイウエストを敵にまわすことになるのだが、覚悟はおありかな自治会長?」
「・・・今更後には引けないよ。それにね、ほら、前に話しただろう。がんじがらめの不自由な生活にも飽き飽きした。残された人生、罪滅ぼしも悪くはないかな」
「全財産を、失うかもしれませんよ」
「全財産!?」
「今まで人間として蓄えた全財産、それを棄てる覚悟はおありかな?」
自治会長は、庄五郎の言葉を聞きながら、ケロヨンの黄色いオケが側溝に流されていく様を眺めていました。
己の生き様と重なるケロヨン。
ガチャガチャと音を立てながら、流れに身を任せる姿は滑稽でした。
耐えられなくなった自治会長は、ひときわ声を張り上げて明るく言いました。
「札束かい? 小切手かな?」
「どちらでもないです」
「ん? どういうことかな?」
「忘れておらっしゃる・・・」
「何を!?」
「本来の我々の姿ですよ」
「ん? 我々の・・・?」
「そう!」
「あっ!!」
「小判ですよ」
自治会長は、鼻をふがふが鳴らして笑いました。
庄五郎も、顔をくしゃくしゃにしながら微笑みました。
ふたり共に、ネコジンなりの決着のつけ方を見い出したのです。
猫に小判。
それが全てでした。
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