第27話 君の名は
虹色の夕陽に染まる、数寄屋橋交差点。
そこから少し離れた、坂道のコンクリートの階段に、佑月と翔也はくっついて座っていました。
仕事を終えたサラリーマンが、好奇な目でふたりを弄んでも、世界が変わることはありませんでした。
佑月は、ヴィレッジ・バンガードで、アジサイ色の大きめのスカーフを買って、さっき見たばかりの映画・君の名はの主人公みたいに、それを頭に巻きました。
翔也は褒めてくれました。
お世辞だとわかっていても、はにかみながら目を反らす年下の男の子を、佑月は可愛いと思いました。
デートの時間に遅れたふりをして、駅前に佇む翔也に駆け寄って。
「ごめんね、待った?」
と、下手くそな演技をしても。
「いや、今来たばかりだから」
と、翔也はやさしい嘘をついてくれました。
ランチで入った、恵比寿の洋食屋さんのナポリタン。
ケチャップまみれの互いの口元と、不自然なロゼワインの味。
その後の、中目黒のレトロな映画館で観た、佐田啓二と岸恵子の君の名は。
涼し過ぎる館内で、佑月と翔也は、違う時間の流れを味わっておりました。
感動と退屈で御座います。
それは、永遠の秘密となりました。
人目も気にしないで、翔也に寄り添う佑月はうまく笑えませんでした。
本気で好きになったらどうしようと、躊躇していたからです。
「ねえ、翔也」
「はい」
「運命って、あると思う?」
「なんですか?映画の影響ですか?」
悪戯っぽく笑う翔也を見て、佑月は理解しました。
所詮は解りあえない種族なのだと。
想いを蔑ろにされた気分でした。
どうしてそんな顔をするのか、馬鹿にした目で私を見るのか、こいつはやはり利用するしか価値のない男なのだ、覚悟しておけ・・・。
「翔也・・・」
「はい」
「・・・キスがしたいな」
「ここでですか?」
煮え切らない翔也の手を引いて、佑月は笑いながら走り出しました。
「ち、ちょっと佑月さん!!」
呼び捨ててもくれない。
佑月は、スタンピングしたい気持ちを抑えながら、ウサギビトらしく跳ねまわりました。
区画整理中の住宅街、お洒落なカフェやブリティッシュバーを通り過ぎて、JRの高架下のトンネルで、佑月は立ち止まってしまいました。
「翔也・・・私の内緒話しよっか・・・」
後から追いかけて来た翔也は、息を切らせながら落書きだらけの壁にもたれて頷きました。
「私ね・・・捨てられてたんだ、橋の下に・・・」
「え?」
「理由なんて知らない・・・人間は嫌い・・・人間なのにね・・・」
「佑月さんは・・・とても素敵だよ」
「そお?」
佑月は翔也に迫りました。
壁に両手をついて視線をわざと逸らせ、その胸元に揺れるスターペンダントにかぶりつく素振りの後で。
「いいよね・・・キスしても」
と囁くと、臆病な震える男の口元を、自分の唇で塞いだのでした。
快速列車が、ガタンガタンと頭の上を通り過ぎて行きます。
胸の膨らみを、翔也の手が申し訳なさそうに撫でています。
暗がりの中で、佑月はあの日のことを思い返していました。
産まれたばかりの頼りない心臓は、出来損ないのバブルみたいに歪な存在で、いつ消滅しても誰も気が付かない場所でリズムを刻んでいました。
廃線間近の高架下、段ボール箱の片隅。
既に息絶えた、姉妹のまん丸の尻尾の匂いといっしょに。
棺桶の中を覗き込む巨大な目は、化け物のように恐ろしくて、子ウサギだった佑月は鼻を鳴らし、足をバンバンと蹴りながら必死に威嚇をしておりました。
それでも野良猫は、牙を剥きながら佑月の身体を何度も引っ掻きました。
悪びれた様子もなく。
「こらあ!!シッシッ!! あっちへお行き!!」
人間の声がして、野良猫はやっといなくなりました。
ふくよかな体つきのやさしいおばさんは、箱からそっと佑月を抱え上げると、自宅の養護施設に連れて行ってくれたのでした。
おばさんは、擬人のなれの果て・ウサギビトだったのです。
頭上を走る快速列車の振動音は、あの日のちいさな心臓と同じスピードで時を刻んでいます。
その音が堪らなく不快な佑月は、キスの最中だというのに、翔也の弁慶の泣き所を思い切り蹴飛ばしてしまいました。
スタンピングは、ウサギビトになっても健在なのです。
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