第24話 ようこそ、すばらしき世界へ
ネコジンになってから、みたらしが驚いた現象のひとつに、世界はこんなにも美しかったのだと実感出来たことがあります。
その理由は、雑種猫時分とは違って視界がクリアになり、色の識別が格段に増えたからです。
代わりに、今まで見えていた暗闇はまっくろでした。
飛び乗るのにあんなに苦労した町中のブロック塀は、日光を浴びるとお魚のうろこみたいに輝いて見えます。
溝に生えている、深い緑色をしたコケも、よくよく見ると萌葱色だったり若竹色だったり、つゆくさ色をしていたりー。
道路標識の止まれの赤。
支柱の白と、疲れ切った枯茶寂び色くるみ色。
みたらしは、色鮮やかな世界にわくわくが抑えきれなくなって、不慣れな2本足でスキップを始めましたが、これがどうにも上手くいきません。
それでも良いんです。
人間は気持ちが高ぶると、スキップをするものだと学習出来たからです。
お皿洗いを終えて、お洗濯を手伝って、暦通りのこそばゆい風の匂いにまどろむ昼下がり。
みたらしは、マルグリーデの許可を得て、柳ねこ町3丁目をネコジンとしてお散歩しておりました。
雪之丞と追いかけっこをした路地裏。
魚屋さんや八百屋さんの、いつも見上げて通り過ぎていた木製の陳列棚。
ベット代わりに使った、月極駐車場のミツオカビュートのボンネット。
秘密の抜け道の側溝や、ジャンプを競い合った消火栓。
その隣の郵便ポスト。
触れるモノ全てが、今では目線の下にあるのです。
またたび銀座アーケードへ差し掛かかると、いつもながらの喧騒が辺りに広がっておりました。
パティスリーカフェの店員が、真鍮をピカピカに磨いています。
そこに映る笑顔のみたらしの後ろを、酔っぱらったホステスさんが鼻歌交じりに過ぎて行きます。
花屋の女の子は、客のおばあちゃんとお喋りに夢中です。
みたらしは、その楽し気な会話に混ざりたくて仕方ありませんでしたが、家を出る際に言われたマルグリーデの言葉を思い出して諦めました。
「何事も急ぎ過ぎてはダメよ。そして、決して偉くなったりしないこと。高いところから見下ろすと、勘違いしやすいのが人間なの。私達はあくまでもネコジン。見上げたままの気持ちがステキなのよ」
さっき聞いたばかりのやさしい声なのに、ちょっとだけ淋しくなるのはどうしてだろう?
みたらしは、深くは考えないでいようと思いました。
ため息や涙は冒険には似合わないし、可能なら、ずっとスキップをしていたい。その姿が不格好で、知らない人に笑われてしまっても、ふたつの足でちゃんと立っていられる時間はスキップで終わりたい。
そう思い始めていたのでした。
アーケード中央を過ぎた辺りで、蕎麦屋と寿司屋が大喧嘩をしています。
寿司屋は顔を真っ赤にして、蕎麦屋に思い切り顔を近付けて凄んでおりました。
「テメエの蕎麦はメメズか!?え?何が江戸前だ!食えたもんじゃねえってよ。みんな言ってんだよ、ネットにあげられてんだよ」
「ああん!?オメエんとこの寿司だってなあ、冷凍アナゴで時価の店。胸糞悪い死んだ目をした店主の店だってよ。あ、ほんとだ、死んだ魚の目をしてやがる」
「死んだ魚の目だと!!」
「そう書いてあんだ、ネットにな。ご愁傷さまでした店主」
鬼の形相の蕎麦屋と寿司屋の鼻先は、ひっ付くぐらいに接近しております。
こうなると互いに一歩も引けません。
目を反らせた側の負けなのです。
みたらしは、そおっとふたりに近付いて、両手をあげて叫びました。
「ガオォォォォォ!!」
突拍子な声に驚いたふたりは、体勢を崩してぶちゅう。
悲劇としか言いようがありません。
固まる江戸っ子を尻目に、みたらしはスキップをしながら、アーケードを抜けて行きました。
猫目川沿いの散歩道。
大きすぎたベンチは今では頼りなくて、置いてきぼりの赤い自転車は、しょんぼりとうな垂れています。
水面には、どんぶらこっこと浮かんでいるかもちゃんず。
みたらしは手を振って大声で言いました。
「おお~い!ごきげんはいかが!?」
何ひとつ、反応はありませんでした。
それでも良いんです。
元々仲良しでもないし、威圧的なかもちゃんずの態度は、空飛ぶ怪獣みたいで苦手だったのです.
ずんずん歩くみたらしの目に、土管公園が見えて来ました。
黄色のいもむしさんのライドの上で、にゃんもにゃいとになって、夢心地なミィとぶちはいつでも仲良し。
お喋り好きの鈴吉は、真昼間は偵察の時間で御座いまして、面白いネタを探しに市中へと繰り出しています。
カッコつけのあずきには、たいそう親切にしてくれる女学生がおりまして、腹が減るとそこで御厄介になって、3日3晩は行方知れずなんてのもザラですから誰も気にしない。
ソマリ、パトロンに染まる。
そんな陰口もなんのその。
集会の時とは打って変わって、ゆったりとした時間が流れています。
みたらしは、お気に入りのシーソーに近付きました。
空色のシーソーと、その下に埋め込まれた古いタイヤ。
「せっかくタイヤになったのに、土に埋められちゃうなんて・・・」
みたらしは不憫に思いましたが、すぐに気を取り直して、土管の中をそお~っと覗き込みました。
ネコジンになってから、まだそんなに時間は経ってないというのに、つい余計なことまで悩んでしまう。
これが人間なのかなあ。
それも、考えないようにしました。
眠り姫のあんこと、びびりのよもぎの鼻ちょうちん。
風に吹かれて、ふわふわと土管を抜けていきます。
光をキラキラ反射させながら、空へと舞い上がる鼻ちょうちん玉は、昔からそこにある大木の緑と、鋭利な木の枝を避けて、お日さまに吸い込まれて行きました。
みたらしはふと、集会の日にいなくなったライアを想いました。
泣いていたように見えて、気になっていたのです。
木漏れ日が、いやに眩しい土管公園。
みたらしは、目をしばしばさせて、ライアがいつも丸くなっていた木の枝を眺めました。
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