第90話 切り札
通路の最奥のドアは開け放たれていた。
潜った先は広いホールとなっており、血の海の向こうでフェーレスが手招きをしているのが見える。
「それでは、私は次の策へ移行致しますわね」
セレネがそう言い置くと、瞬時に姿を消した。
俺とアンバーは気にも留めず、黒服達の残骸を踏み越え真っ直ぐ突っ切って行く。
「──くそ! くそが! 離しやがれコラァ!!」
フェーレスの足元では拘束された茶髪の男が転がされ、うつ伏せのまま気炎を上げていた。
「畜生畜生!! なんでここがバレた!? 囮は何してやがった! このビッチがこんな化け物だとも聞いてねぇぞ!? ヴェリスの
現状を受け入れられずに喚き散らすこの男こそ、標的の轍組若頭レグナードだ。
ご自慢の真っ赤なスーツは、今やズタボロで見る影もない。
背後の登り階段からアドベースの外へ脱出する算段だったのだろうが、地下までも覆うセレネの結界により、ここで足止めを食ったのだ。
「まったく、失礼しちゃうわよね~。あんなゴリラに興味なんかないっての」
「ビッチは事実ですけどね」
肩を竦めるフェーレスに突っ込みつつ、悠然と歩み寄っていく。
「どうも、レグナードさん。約束通り、お迎えに来ましたよ」
眼前に立ち、見下ろして朗らかに声をかけると、レグナードは力強く睨み返して来た。
「てめぇがヴァイスか!! よくも俺様のシマで好き放題しやがったな!! このままで済むと思ってんじゃねえぞ!!」
虎の子の黒服部隊を一蹴され、自身も捕まったと言うのに良い啖呵だ。
仮にもマフィアの跡取りである。
一度半殺しに遭っても懲りないところといい、負けん気だけは無駄に有り余っているのだ。
その生意気な面へ、俺は間髪入れずにつま先をねじ込んだ。
「──んごぁっ!!」
「ダメですよ、使者をそんな目で睨んじゃ。思わず足が出ちゃったじゃないですか。それと、ここはギルドのシマで、あなた達はただの居候です。その点を間違えないで下さい」
話しながらも二発、三発と続けざまに蹴りを見舞う。
その度にレグナードの頭が前後に弾け飛ぶ。
「ヒュ~、かっげき~」
フェーレスの軽い茶々に応じるように、ぱきん、と鼻の骨が小気味よい音を立てた。
以前なら威勢が良いと笑って済ませてやったが、今回は無理だ。
俺達に喧嘩を売った事を後悔するまで、完全に心をへし折ってやらねば。
しばしの時間、俺のブーツがあげる打撃音とレグナードの呻きだけが場を満たす。
「……クソガキがぁ……今の内に調子に乗ってろ……! すぐに増援が来る……てめぇらなんぞ皆殺しだ……!」
「その気骨は見事なり」
顔の輪郭が崩れても減らず口をやめないレグナードに、アンバーが称賛を送った。
「ええ、流石に肝が据わってますね。蹴ってる僕が疲れて来ました」
前回は降参するまで全身の骨を砕く羽目になったのだ。この程度で根を上げるとは思っていない。
「その増援とやらはもう全滅してそうだけどね。ま、言うだけならタダか」
「んだとぉ……?」
からかい混じりのフェーレスの言葉に、訝し気に眉をひそめるレグナード。
「親父が造り上げた最強の部隊だぞ! 全滅なんぞあり得ねぇ……!」
「大した自信ですね。じゃあその援軍が来るか、少し待ってみましょう。その間、休憩がてらお話をしましょうか」
蹴りを中断した俺はレグナードの顔前へしゃがみ込み、その髪を掴んで表を向かせた。
「ずばり聞きます。今回の件、誰の入れ知恵ですか?」
「……ぺっ!」
俺の問いに、レグナードは血の混じった唾を吐きかける事で応えた。
まあこの程度は予測済みだ。
吐こうとした瞬間に奴の顔面を床に叩き付ける事で回避したが。
「んぶっ!?」
「元気なのは良い事ですが、時を場合を考えましょうね」
「……ふん……何を言おうがどうせ処刑だろ。喋らなきゃ俺の勝ちだ!」
あくまで強がるレグナードに、俺は軽く溜め息をついた。
「まあ、そう言うだろうと思いました。手を回しておいて正解でしたね」
俺の言葉と共に、側へセレネが転移を果たす。恰幅の良い初老の男を伴って。
それを見たレグナードの目が驚愕に見開かれた。
「……お、親父……!」
その言葉の通り。
初老の男は轍組現組長レグラスだった。
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