第64話 枷
エルニアの喉の真下、鎖骨の間に黒い筒を押し付けると、緊張からかその身が硬直した。
「痛みはないはずだ。じっとしてろ」
「そーそー。天井の染みでも数えてればすぐ終わるって」
安心させるように俺が声をかける後ろから、フェーレスの下らないジョークが飛んで来るが、無視をして事を進める。
「王印よ、呼応せよ。我が寵愛を
俺の言葉に黒い筒が反応し、エルニアに接触した部分から薄紅色の光が周囲の肌へと広がっていく。
エルニアの全身が光に包まれた頃合いを見て、俺は儀式を次の段階へと進めた。
「我が名はヴェリス。汝の主なり」
俺が短く告げると、エルニアを包んだ光はその身に沁み込むようにして薄れて消え去った。
「よし、終わりだ」
言いながら筒を離すと、エルニアは怪訝そうな顔で俺を見返していた。
「あの……今のは一体……?」
「聞いたまんまよ、エルにゃん。あんた、奴隷の烙印を押されちゃったの」
「ど、奴隷!?」
フェーレスの笑い混じりの言葉に。エルニアが目を見開いて叫ぶ。
ちっ、上手くまとまりそうだったのに余計な事言いやがって……
「懐かしいわねー。あたしも最初はそれ刻まれて躾けられたもんよ」
「人聞きが悪いぞフェーレス。破格の待遇をしてやったろうが」
俺がじろりと睨むも、フェーレスはくすくすと笑みを絶やさない。
「ちょ……どういう事なんですかヴェリスさん!」
勢い込んで叫ぶエルニアに、俺は観念して一から解説してやる事にした。
「どうもこうもねぇ。そのままじゃ歩く地雷だからな。多少の枷を付けてやっただけだ」
「多少!? 主従関係を結ぶとまでは──」
「ついさっき、何でもすると言ったじゃねぇか」
「う……言いました、けど……」
俺が切り返すと、エルニアは一時言葉に詰まる。
「し、しかし! 思えば、フェーレスさんのようなうら若き女性が、こんな破廉恥な恰好をしているのが不可解だったのです! さては貴方の趣味なのでしょう!? 今度は私に命令してあんな事やこんな事までさせるつもりですね!?」
今頃裸である事を思い出したのか、真っ赤な顔をして喚き散らすエルニアへ、俺は即座に怒鳴り返す。
「しないと言っただろうが!! こいつは元から露出狂なだけだ!」
「失礼ねー、だからあたしのはサービスだって……」
「お前はもう黙ってろ!! 話が進まねぇ!!」
再び脱線させようとするフェーレスをぴしゃりと遮り、エルニアへと向き直った。
「良いか。この道具は『支配の王印』と言ってな。俺のコレクションの中でも飛び切りの逸品だ」
俺は黒い筒を見せながら説明を始める。
「元の所有者は古代の王で、後宮の愛妾達に使用していた記録が残ってる。所持者の名を刻み込んだ相手の支配権を得るって代物だ。とは言え何でもかんでも絶対服従って訳じゃねぇ。今もお前は主人である俺に対して無遠慮に吠え掛かっただろう?」
「あ……言われてみればそうですね……」
エルニアがはっとした表情で大人しくなったのを確認し、更に続けた。
「普段の言動や精神そのものを縛る程のものじゃない。そもそも相手の同意がなければ起動しないという制限がある。自害や逃走を防止するのが主な用途で、後宮に入れてから心変わりされるのを恐れて保険をかけたってところだろう」
「先程の問答はその為に……?」
「そうだ。本気の覚悟がなきゃ効果が無いからな」
エルニアの理解度を計りながら、再び口を開く。
「解除も俺がその気になればすぐできる。フェーレスはとっくに解除済みだしな。要は主人の不利益になる行動のみを縛る枷な訳だ。良い子にしてりゃ問題ねぇ。お前の死にたがりと殺戮癖を矯正したら解放してやるよ」
「そういった意図でしたか……取り乱して申し訳ありません……」
王印を懐にしまう俺へ深く頭を下げるエルニアだが、そのまま不安そうな言を床へ落とした。
「しかし……邪神の加護までも抑え切れるものなのでしょうか? 再び殺意に呑まれてしまったらと思うと……」
「安心しろ。公算はある」
俺は言いながらエルニアの拘束を解くと、一度脱衣所へ出た。
そしてバスタオルを取って戻ると、エルニアの頭から被せてやった。
錬金術を再開してから、研究がてらにこの王印を解析した結果、魔術と錬金術の混合技術で作られている事が判明したのだ。
俺の若返り同様に原理までは不明だが、魔術や奇跡で効果を解除できない事は証明済みだ。
俺が上手く手綱を握ってやれば、邪神の加護も
「まあ、細かい説明は省くぞ。結局は試してみるしかないしな」
エルニアがバスタオルで身を覆ったところへ、俺は手を差し伸べた。
「改めて歓迎するぜ、新入り。二度と死にたいなんざ言う暇もないくらい使い潰してやるから覚悟しな」
「……はい! こちらこそ宜しくお願い致し──」
ぐぅぅぅぅぅ……
俺の手を握り返したエルニアの腹の虫が、盛大な咆哮を轟かせた。
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