第5話 暗転する世界

 どす黒い滝がとめどなく流れ落ちて来る。



 それは急速に部屋中へと広がって行き、全てを漆黒に塗り潰してゆく。


 周囲の列柱や仲間達の姿も暗黒に飲み込まれ、数秒の間に俺はぽつりと一人、真っ暗な空間に放り出されていた。


 黒一面ではあるが、ゆらゆらとした足元の感触はある。

 まるで、月の無い真夜中の湖面へ立っているような気分だ。


「……へぇ。固有結界とは珍しいもん持ってるじゃねぇか」


 何らかの方法で創り出した異界へと取り込まれたらしい。


『ふん、この場においても動じない事は褒めてやろう。だが貴様は最早、深遠なる檻の内。永劫の闇の中、そのまま孤り朽ち果ててゆけ』


 感心する俺の頭の中に、鼓膜を通さず直接リッチの言葉が送られて来た。


 すると同時に、周囲の闇が実体化したように俺の身体中へと巻き付き始める。


 成すがままにさせておくと、首から上を除いた全身を覆い尽くし、ぎりぎりと締め上げて来た。


 ついでに手にした大剣も取り上げられ、瞬時に黒き湖底へとずぶりと沈んで行く。


「一応確認するが、外界とは完全に切り離されてるのか? 呑み込んだのは俺だけか?」


 自由な口で問いかけると、再び脳内にリッチの声が鳴り響く。


『応える義理は無いが……冥途の土産だ。肯定してやろう。助けなど期待するだけ無駄だ。貴様の連れはこの後縊り殺してくれる。安心して……』

「──ああ、安心したぜ。それなら


 リッチの言葉を遮り、俺は会心の笑みを浮かべた。


『……何と言った? 身動きも叶わず、得物も失って何が出来ると言うのだ。恐怖で狂ったか』


 リッチが不可解そうに問うが、俺は笑い飛ばしてやった。


「はっ! こちとら魔神に魔界まで引きずり込まれた事もある身だぜ。ここの方がよっぽど居心地良いくらいだ」


 当時の激闘が思い起こされ、俺の笑みが増々ますます歪んだものになっていく。


「お前には感謝してやっても良いぜ……こんなに愉しいのは本当に久しぶりなんだよ」


 呟きながら、俺は普段意識的に掛けている精神の枷を解き放つ。


 瞬間、俺の全身から炎の如き闘気が立ち昇り、絡み付いた闇の触手を水でも蒸発させるように霧散させた。


『何……!?』


 リッチの驚愕が伝わって来るが、俺は構わず欲求を満たす為に動き始める。


「くっくっく……はっはっはっは……!」


 身体の奥底から、膨大な力が際限なく沸き上がって来るのを感じる。


 今だけは、一切抑えなくても良いのだ。


「はははは……ああああああっははははははははは!!」


 歓喜と共に大口を開けて笑う。


 ビシリ!!


 ただそれだけで、周囲の闇へと無数の亀裂が入って行く。


「クハハハハハハハ!! ハァッハッハッハッハッハ!!」


 俺は仰け反りながら大音声を発し続ける。


 嗤いが、一面の漆黒を蹂躙する。


 見る間に空間のひび割れがびしびしと広がり、結界に綻びが生まれ行く。


 技でも何でもない。ただ声に物理的な重圧が掛かってしまっているだけだ。


 かつて10万を超える亜人の軍勢と対峙した際、俺はこの哄笑だけで全てを鎮圧した。


『何が起きている!? 貴様、何をした!?』

「ハハハハハ!! 何もしてねぇよ!!」


 困惑したリッチの叫びに応じて、一度笑い声を収めると、俺は軽い調子で語り掛けた。


「さっき得物がどうとか言ってたが、俺が普段剣を使ってる理由を教えてやろうか」


 俺は右手の指をごきりと鳴らしながら拳を握る。


 その動作だけで豪とした衝撃が生まれ、闇しか無いはずの空間へ激しい波紋を広げて行った。


「棒切れでも握って壊れないように扱ってなきゃ、うまく手加減ができねぇんだよ」


 俺にとっては魔剣だろうがその辺の木の枝だろうが大差は無い。


 極限まで鍛え上げたこの身体こそが最強の武器なのだから。


 俺は特に大仰な構えを取るでもなく、無造作に拳を突き出す。


「──おらああああああああああ!!」


 荒れ狂う暴風を巻き起こしながら、俺の放った衝撃波が全ての闇を打ち砕いて彼方まで吹き抜ける。


 既に全体に亀裂を抱えていた結界は、その穿刺せんしに耐え切れずにがらがらと崩壊して行った。


 ガラス片が飛び散るように、闇の壁が瓦礫と化して、虚空に舞いながら消滅する。


 数瞬後には、俺は元居た場所へ帰還を果たしていた。


 リッチが浮かんでいた方向を見やれば、結界を破られた反動で力尽きたのか、部屋の壁際へと墜落して行く所だった。


「──おお、戻られましたか勇者殿」


 アンバーが心配気に声をかけてきた。

 左右にはフェーレスとセレネも立っている。


 俺は闘気を収めて再び己を律すると、そちらへにやりとして見せた。


「おう。久々に全力でブッ飛ばせて気分良かったぜ」

「固有結界に閉じ込められて笑ってられんのはあんたくらいよ。心配はしてなかったけど」

「嗚呼……ヴェリス様の真の雄姿を間近で拝見できなかったのが悔やまれますわ……」


 それぞれの感想を寄越しながら、リッチの元へ向かう俺に追随する。


「くっくっく。魔術なしでここまで愉しませてくれるとは思わなかったぜ。いっそ封じなかった方が良かったか?」

「いやいや。あんたは良いけどあたしらがやばいじゃん。逃げられてもめんどいし」

「楽に仕事を終えるか、死闘の中で筋肉の舞踊を愛でるか、悩ましい所ですわね」


 俺に返答する二人の声には、既に勝利を確信した響きがある。


 リッチが落ちた地点は部屋の最奥だった。


 半ば床にめり込む形でリッチは仰向けに倒れている。


 付近には他のものより一回り大きな水槽が目に付いた。


「……おのれ、おのれおのれ……!!」


 近付くにつれ、奴のうわ言が耳に入ってくる。


「こんな所で……未だこの地の解明も進んでいないと言うのに……!!」

「よう。まだ元気そうじゃねぇか」


 すっかり気を良くした俺は、旧友かのように気安い声をかけた。


「貴様……!! 貴様さえ居なければ……!!」

「まあそう睨むな。俺はお前が気に入った。殺すにゃ惜しい。取引しねぇか?」

「何……?」


 リッチの瞳の光が訝しげに揺らぐ。


「あの固有結界、また創れるんなら雇ってやる。防音室代わりに丁度いいからな」

「貴様の下に付けだと……?」


 不審そうなリッチを眼下に見据え、嘲笑を込めて俺は続ける。


「ああ。『喧嘩を売る相手を間違えました。ごめんなさい』と言えたら、討伐は済んだ事にして匿ってやるよ。悪くねぇだろう?」

「……ここまで愚弄されて呑むとでも思ったか……!!」

「そうか。残念だぜ」


 その返答を予想していた俺は軽く頷いた。そして、


「じゃあな」


 迷う事無く、リッチの核をその肋骨諸共踏み砕いた。


 せっかくの忠告を聞かないのなら、本来の仕事を優先するしかない。


「がっ……!!」


 核たる巨大な宝石は粉々になり、その輝きが急速に薄れていく。


「く、くくく……貴様、この腹の中身を欲しがっていたな……生憎だが、我が滅ぼべば共に消える。諦めるのだな……」


 言いながら、最後の力を振り絞るようにして、俺の足へ右手を絡ませる。


「おい、そういう事は先に言え。命乞いの下手な奴だな」

「くく……当然だ、そんな乞食のような真似はせぬ……だが、貴様の力は認めよう。褒美に、一つだけ我が秘儀をくれてやる……」


 かすれた声が途切れると同時に、すぐ近くに鎮座していた巨大な水槽のガラスがばりんと砕けた。


 途端に、中を満たしていた大量の液体が滝となって溢れ出す。


 咄嗟に飛び退こうとする俺だが、リッチに足を掴まれていた為に動作が僅かに遅れ、ざばりと頭から得体の知れない液体を浴びてしまった。

 何とも言えない臭いが鼻をく。


「ちっ! 何だこれは!」

「くくく……我が研究半ばの試薬よ……貴様自身に被検体となって貰うとしよう……結果を確認出来ぬのは口惜しいがな……」


 そこまでを言うと、砕けた核がさらさらと崩れて行く。


「我が歩みは途上なれど……貴様のような猛者に阻まれるのならば致し方あるまい……」


 その言葉を最期に、リッチは輪郭を崩し、身を灰の山と化して行った。


「アンバー、万一がある。とどめを刺しておけ」

「承知。灰の一片すら根絶致しましょう」


 餅は餅屋だ。神官による浄化の儀式を受ければ、いかな不死の王とて復活は出来まい。


「ヴェリス様。妙な薬液を浴びたようですが、お加減はいかがですか?」


 セレネが近寄りながら、心配そうな視線を投げて来る。


「今はなんともないが。呪いの類の反応はあるか?」

「……いいえ。今の所は何も」

「後ほど拙僧も解毒の奇跡を願いましょう。何はともあれ帰還しようではありませんか。仕事は済んだのですから」

「真っ直ぐ来ちゃったから、他の部屋全然探索してないのよねー。後でまた来ようね。あんな大物がいたんだし、お宝の予感がビンビンよ」

「ま、落ち着いたらな」


 そう返しながら、唯一残った大鎌を回収しようと脚を踏み出した俺の身体を、どくん、と今まで感じた事の無い激しい鼓動が貫いた。


 心臓が早鐘のように鳴り始める。


「うぐ……何だ……?」


 目の前があっという間に暗くなっていく。


 立ち眩みに似ているが、更に眠気が加わって強烈な脱力感が襲い来る。


 意図せず、ちょうど目の前にいたセレネの身体にもたれるようにして身を預ける格好になった。


「あらあら、こんな場所で。そんなに我慢ができなくなりまして?」


 頬を染めながら背に腕を回してくるセレネに構う余裕は無い。


 俺の身体から全ての力が抜け、意識が急速に闇へと沈んで行った。














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