珈琲は月の下で

薮坂

第1話


 小説を書くのが趣味だ、と言えば他の人に笑われるだろうか。笑われないにしても、ちょっと変わったヤツだと思われるのではなかろうか。

 不思議なことに、というか私がそう感じているだけかも知れないけれど、「小説を書いている」と公言するのは結構ハードルが高い。勇気が要る、と言い換えてもいいかも知れない。

 とにかく、何故か他人には言いづらいのだ。

 小説を書くこと。それを趣味にしていると、特に身近な人間に発言することは。


 小説を読むのは、別に不思議なことじゃない。書籍が売れないと嘆かれる世の中だけど、小説を読む人はやっぱりまだ多くいると思う。

 でも書く方はどうだろう。確実に「小説を読む人」よりは少ないだろうし、現に私は、現実社会において「小説を書いている」と公言している人にまだ出会ったことがない。


 でも私は「小説を書く人」の存在を何人も知っている。直接出会ったことはないけれど知っている。

 言わずもがな、それはネットに存在する、いわゆる「web作家」の人たちだ。

 かく言う私もその端くれで(私はwebレベルだけど)、数年前からひっそりと小説投稿サイトに作品をアップしている。


 私の知名度はもちろんゼロ。ネットの中に星の数ほどいるweb作家の中で、目立つのは至難の業だ。作家の数も作品の数も膨大だし、それにとんでもなく凄い作品だってある。それこそ、お金払ってでも読みたいくらいのものが。

 商業作品と比べたって、引けを取らないレベルのweb小説は確かにある。それは確実に存在する。だけどそれらと比べたら、私の作品はあまりにもお粗末だ。決定的に「何か」が足りていない。でもその「何か」は、未だにわからない。


 それでも。それでも私は小説を書いている。自分の小説がいつか書籍になるなんて、これっぽっちも思っていないけど書いている。

 なぜ私は小説を書くのか。最近書くことが辛くなり始めているのに、どうしてそれでも続けているのか。それはきっと──、

 



「あれ、すみれじゃん」


 上司に頼まれた買い物をした帰りのこと。第二社屋から伸びる渡り廊下で、声をかけられた。途端に私は「しまった」と、内心ほぞを噛む。それは出来るだけ会いたくない人物だったからだ。

 考えごとをしながら歩くと、視野を狭めてしまう。だからこんな風に敵の襲来に気がつかない。目の前にいる同期の城井なずなは、私にとってわかりやすい敵だった。

 


「すみれ、ここ二棟だよ? 迷ったの?」


「あ、いや。係室に帰るところなんだ。こっちのが近道だから」


「出先からの帰り?」


「出先っていうか……、上司に頼まれてた買い物、してただけ」


「ふうん? コーヒー?」


 買い物袋をちらりと見たなずなは、視線を私に戻してそう問うた。私が曖昧に頷くと、なずなはそれを鼻で笑う。蔑んだ笑顔というのはきっと、こういう顔をいうのだろう。


「すみれのポジションっていいよね。お茶汲みだけで給料もらえるなんて、ほんと羨ましいよ。ヒマな部署にいるって、ある意味幸せだよね」


「これだけじゃないよ、さすがに」


「他になんの仕事してるんだっけ。人事部を出てからは」


「……チョコレート関係」


「そうだ、噂の新部署だ。年中、チョコレート作ってるんだっけ?」


「作ってないよ。輸入してるの」


「利益、そんなに出せてないんでしょ? もしかしてマイナス?」


 答えはわかりきっている、というような表情だった。顔が広くて耳が早いなずなのことだ。きっとウチの状況は把握しているのだろう。悔しいけれど、なずなの言う通りである。嘘で取り繕うことは、できそうにない。


「……うん、赤字。悔しいことに」


「そんなに悔しそうでもないね? まぁ、頑張ってよね。また出されないように、さ。それじゃあたし急ぐから」


「うん。なずなも頑張ってね」


 なずなは何かを言いかけて、でもやっぱりやめた。言葉の代わりにくれたのは、見下すような笑顔と溜息だ。

 なずなは、入社当時から苦手なタイプだった。ハキハキしてて意識が高くて、自信に溢れていて。私とは正反対、真逆のタイプだから。

 マンガや小説なら、タイプが違うと仲良くなれるとかあるけれど、現実は全然違う。なずなと仲良くなることなんて、来世でも来々世でも無理に違いない。


 踵を返して自室へと戻るなずな。それを尻目に、私も自分の係室へと足を向けた。買い物袋がカサリと小さな音を立てる。その音がはっきり聞こえるくらい、静かな廊下を私は歩く。

 このコーヒーを心待ちにしている係長は、午前中に「ちょっと出てくる」と言ったきりまだ戻らない。

 今日は珍しく急ぎの仕事もない。でも暇だというのは、ちょっと癪だった。


 なずなに投げられた悪意の言葉が、今更になって痛んできた。なずな以外の同期だって、みんな頑張っている。置かれた場所で自分の価値を高めている。だけど私は。私は……。


 こんなに仕事がうまく行かなったのは、いつからだったろう。仕事がうまく行かなくなって、趣味にのめり込むこともできなくなって。そして気がつけば、人生がうまく行っていない。


 私は落ちそうになる視線を上げて、窓の外を眺めた。綺麗な秋晴れ。開けられた窓からは、清々しい風が吹き込んでいた。

 それなのに。それなのに私の心は、冬のように凍てついている。

 時期を間違えた北風が、私の心に吹き込んだ気がした。



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