12.宰相閣下に連れられまして。(後半)



 階段を上り終えた先。そこは上から聖堂内を一望できる場所になっている。


 そんなせっかくの絶景スポットに連れてきてもらったというのに、フィアナは隅っこで小さくなって項垂れていた。


「お姫さま抱っこ……初めてだったのに……」


「ふふふ。フィアナさんの初めてを頂いてしまったなんて……。恐れ多くて、顔が緩んでしまうのが止められませんね」


 言葉の通り、しまらない笑みをゆるゆると浮かべるエリアス。今日も今日とて、せっかくのイケメンが台無しである。


「私、初めてのお姫様抱っこは結婚式でしてもらうのが理想だったんですよ。なのに、何でもない日ですし、エリアスさんですし……。せっかくの私の夢が……」


「そうでしたか! 気づきませんで申し訳ありません。ちょっと司祭と話をつけてきます。今日という日を、私たちの結婚記念日にしてしまいましょう」


「隙あらば娶ろうとするのやめてくれません!?」


 むすりと唇を突き出し、ふてくされるフィアナ。すると、くすりと小さく笑みを漏らしてから、エリアスがぽんとフィアナの頭に手を置いた。


「すみません。あんまりフィアナさんが可愛らしいので、少しはしゃぎすぎました。機嫌を直してください。ね?」


「…………」


 ぽんぽんと頭を撫でながら、優しいまなざしで顔を覗きこんでくるエリアス。これではまるっきり、へそ曲がりの子供とそれを宥める大人の図だ。


 どうにも拗ねているのが決まり悪くなって、フィアナはすくりと立ち上がる。そして、そっぽを向いたまま妥協した。


「……今日のことは、誰にも見られていないのでノーカウントとします」


「はい。いつか結婚式で大勢の方に祝福されながら、一緒にリベンジしましょうね」


「だから、なんで私とエリアスさんが結婚するのが前提なんですか」


 いつもの調子に戻って、フィアナはため息を吐く。そんな彼女に、エリアスは嬉しそうに欄干に歩み寄って天井を指さした。


「それよりも、見てください。これを、フィアナさんにお見せしたかったんです」


「天井……?」


 それなら、わざわざこんなところに上ってこなくても見られたのではないだろうか。そう疑問に思いながら、エリアスの隣に並ぶ。そして息を呑んだ。


 そこには描かれていたのは、まさしく天国だった。透けるような純白へと連なる青空には、祝福の笛を吹き鳴らす無数の天使たち。そこに至ろうとするものを優しく導くような、美しい女神。天上の歌声を表現したかのような、無数の煌めき。


 そう。下から見上げた時には気づけなかっただろうが、ところどころに小さなクリスタルのようなものが嵌めこんである。それが階下からの光に反応して、きらきらと輝きを放っているのだ。


「この聖堂が出来た当初、200年前の技術だそうです」


 横に並んで上を見上げながら、エリアスは話した。


「手間もコストもかかるこの技法は、今ではほとんど失われてしまいました。しかし、この聖堂を修繕するにあたって、かつての姿を取り戻すために多くの人々が知恵を絞り、いくつもの文献を読み解いて、こうして今に蘇らせたのです」


「それは……」


 ロマンがありますねと。そんな風に相槌を打とうとして、フィアナは言葉を飲み込んだ。どんな答えをしても、薄っぺらくなってしまう。そんな気がした。


「先人の紡いだ歴史を引き継ぎ、ここに新たな歴史を刻む。――その瞬間を、貴女にもお見せしたかったんです」


 天井を見つめるエリアスの瞳は、きらきらと輝いていた。それはきっと、クリスタルの光の反射だけが理由ではないのだろう。


 少し考えてから、フィアナは視線を天上絵に戻した。


「エリアスさんだって、歴史の立派な一部じゃないですか」


「私が、ですか?」


 きょとんと首を傾げ、エリアスがこちらを向く。得意げに頷き、フィアナは続ける。


「メイス国が始まって以来の、最年少の宰相閣下。シャルツ王の右腕として王国を支え、穏やかであたたかな治世を成し遂げた。後の歴史書に、そう記されるんじゃないですか」


 どうだ、と彼を見上げれば、エリアスはぱちくりと瞬きした。そして、にこりと笑った。


「そういう意味で仰っているなら、フィアナさんも同じですよ」


「いえいえ。私たちみたいな一般庶民は、十把一絡げみたいなもんですから」


「歴史に、大きいも小さいもありません」


 エリアスがゆっくりと首を振る。長い髪が、はらりと肩から零れ落ちた。


「穏やかであたたかな治世――貴女がそう表現してくださった先にあるのは、ひとりひとりの笑顔と安寧です。この国に暮らすひとびとの人生が歴史として積み重ねられ、この国の歴史を形作るのです」


「なんだか、壮大な話ですね」


「ええ。壮大です」


 こくりと頷いて、エリアスは穏やかにほほ笑み、フィアナを見つめた。


「しかし、私はそんな風に思いながら仕事をしています」


 そう告げたエリアスの瞳があんまりまっすぐなので、フィアナは目をそらすことが出来なかった。まるで――まるで、茶化すこともふざけることもしない、等身大でありのままの姿を、初めて見せられたような気がした。


 その時、フィアナの胸の中のどこかで、きゅんっと小さな音が鳴り響いた気がした。今のはなんだろう。フィアナがそう首を傾げたとき、エリアスがはっと我に返った。


「す、すみません! 私としたことが、少々熱く語りすぎてしまいました」


「いえいえ。さすが、宰相様は私たち町人のことも色々考えてくれているんだなあって、なんだか見直しちゃいました」


「ああ、やめてください。今のなし! 全部なしでお願いします!」


 両手で顔を覆って、エリアスがそっぽを向く。銀白の髪から覗く耳がほんのりと赤く染まっているから、どうやら本気で恥ずかしがっているらしい。


(変なエリアスさん)


 照れている姿が物珍しくて、フィアナは自然と笑ってしまう。


 こういうエリアスさんは、可愛いなと。心の隅っこで、そんな感想を抱いたときだった。


「っ! 隠れましょう!」


「え? なっ、むぎゅ!?」


 ぐいと手を引かれ、気が付いた時には、フィアナはエリアスに体を包み込まれるような形で、石の柱の陰に押し込められていた。


(な、な、なーーーー……っ!?!?)


「すみません。少々、堪えてください」


 吐息のような微かな声で、エリアスが囁く。その距離の近さに、耳元に響く息遣いに、フィアナの心臓は跳ね上がった。


 しかも狭い柱の陰で、二人の体はぴたりと寄り添っている。ほぼ、エリアスに抱きしめられていると言ってもいい。抗議をしようにもフィアナの口はエリアスの大きな手で塞がれ、その手の暖かさすら心臓の鼓動を早くする。


 そのとき、ふたり分の足音と、話し声が外から聞こえた。


「ほう。ここなら、聖堂全体を見渡せるな」


「ええ。当日は兵を2名ほど、配置するのがよろしいかと」


 どうやら警備隊のようだ。上官とその副官と思しきふたりが、欄干から下を見下ろしながらあれこれと意見を出し合っている気配がする。


「長くなりそうですね……」


 フィアナを抱きしめるエリアスの力が、ほんの少し強まる。


 フィアナは、エリアスの呟きに頷くことも、首を振ることも出来なかった。ただただ、それどころではなかった。


 コロンをつけているのだろうか。ふわりと鼻腔をくすぐる優しい香りに、頭の芯が痺れていくようにクラクラと目眩がする。外にいるふたりに気づかれたくないのに、胸の鼓動は高鳴るばかりで、呼吸すらままならない。


 どうしよう。このままでは、気絶をしてしまいそうだ。


 胸が痛い。息が苦しい。早く、どこかに行ってくれ。


 早く、早く。この鼓動が、エリアスに伝わってしまう前に――。


「行きましたか」


 ほっと呟いて、エリアスの手が緩む。途端、フィアナはふにゃりとその場に崩れ落ちた。


「え? あ、え!? フィアナさん!?」


 驚いたエリアスが、慌ててフィアナを支えて柱の陰から外に出る。それでも、床にペタンと座り込んでしまったフィアナに、エリアスはオロオロとうろたえた。


「ど、どうされましたか? まさか、あまり体調が優れませんでしたか……? どうしましょう、早く医者を……」


「……なんで」


「はい??」


「なんで、隠れたりなんかっ」


 涙目で睨んだフィアナに、エリアスはぴたりと動きを止めた。


「私が一緒にいれば大丈夫。そんなこと言っていたくせに、どうして、こんな……っ」


 エリアスの顔が、みるみる赤くなっていく。彼は困ったように横を向くと、所在なさげに顔の下半分を右手で覆った。


「……すみません。つい、貴女と二人きりの時間を邪魔されたくなくて。ですが、あの」


 どう釈明すべきか、迷うようにエリアスは細い眉根を寄せる。やがて彼は、観念したように頭を深々と下げた。


「以後、自重いたします」


「本当ですよ!!」


 限界を迎えたフィアナが、ギャースと怒る。




 これこそが、お姫様抱っこよりもさらに恥ずかしくて心臓に悪い、二人だけの秘密になったのだった。

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