7.ちょっぴり素直になりまして。
しばらくして、フィアナに宥められていくらか落ち着いたらしいエリアスは、それでも店の前の段差に座ってうじうじとひざを抱えていた。
「……実は私、今日のお昼にお隣の国から戻ってきたんです」
「はい、え、はい!?」
一瞬流してしまいそうになったが、慌てて聞き返す。するとエリアスは、呪詛の籠った声でぐちぐちと先をつづけた。
「本当は別の大臣が行くはずだったんですが、出発当日にぎっくり腰になりまして。それで、陛下が代わりに私に行けと。……そりゃあ、いつ何時、何があるかわかりませんから、常に最低限の荷物は整えていますよ。けれど、普通は日程を遅らせるとか、やりようがありますよね。それが、日程はそのままで今すぐ隣国へ発てだなんて……。ちょっと隣の町に行くのとはわけが違うんですよ……」
「だから、このひと月、お店にも来れなかったんですね」
「そうなんです!!!!!」
苦悶の表情で勢いよく頭を抱えたエリアスに、自分が心のどこかでほっとしているのに気付く間もなく、隣に座るフィアナはびくりとその場ではねた。
「フィアナさんに一か月も会えないうえ、行ってらっしゃいのハグも、行ってらっしゃいのキスもしていただけなくて……。おかげでこのひと月、私がどれだけ、フィアナさん不足で枯れはててしまいそうになったことか……!」
「仮に出発前に会えてたとしても、キスもハグもしませんでしたからね?」
「ようやく昼過ぎに城に戻ってきて、今夜はお店にうかがえるかと思ったのに。陛下への報告やら事務処理やらしていたら、こんな時間に……。元気に働くフィアナさんを盗み見たり、ごみを見るような目でフィアナさんに見られたりしながら、美味しいお酒とごはんを楽しみたかった……」
「普通に楽しんでくださいよ。なんですか、ごみを見るような目で見られながらって」
「私の一か月ぶりの心の拠り所がぁ……っ」
えぐえぐと、人目もはばからず落ち込むエリアス。よく見れば、エリアスはいつかの日のように、上から下までばっちり宰相としての服装だ。なんとか閉店前に滑り込みたくて、着替える間もなく城を飛び出してきたのだろう。
(エリアスさん……うちの酒場のことも、気に入ってくれていたんだな)
本気で残念がっているエリアスの姿に、ほんの少しだけ嬉しくなってしまう。けれども、やっぱりエリアスはエリアスだ。毎日こようが、ひと月ぶりだろうが、いつも変わらずマイペースでちょっぴり面倒くさい。
やれやれと眉を下げて、フィアナは頬杖を突いた。
「別に、そんなに悲観しなくてもいいじゃないですか。無事帰ってこれたわけですし、またお店に通えるんですもん」
「だって、寂しかったんですよ! ていうか、フィアナさんは私がひと月も音沙汰もなかったのに、少しもさみしくなかったんですか!?」
くわりと顔を上げて、フィアナを見るエリアス。――だが彼は、フィアナの顔を見た途端、「え?」と間抜けな声を上げた。
「さみしくなんか、なかったですよ」
これ以上は表情をみられたくなくて、顔を背けながらもごもごと答える。それでも――ほんの少し、たった一欠けらだけ、抱いてしまったこの気持ちを隠すことはできない。
「だけど、毎日静かで……エリアスさんほど、しつこく絡んでくるひともいなくて。少し、物足りないかなとは、思いましたよ」
となりでエリアスが息を呑んだ気配がする。
あーあ、と内心でため息を吐きながら、フィアナは苦笑する。次にあったら文句のひとつでも言ってやろうと思っていたのに、こんなことを言って、エリアスを喜ばせてしまってどうするというのだ。
だから素直になるのはもうおしまい。そう思って、エリアスへと顔を向けたフィアナだが――無理やり表情を作るまでもなく、真顔になって彼を見下ろした。
「あの。一応聞きますが、人のうちのまえで何拝んでいるんですか」
「まさか……、まさか、こんなにお可愛らしいフィアナさんの姿が拝めるなんて思わなくて……。いけません。尊すぎて、生きているのがしんどいです。ここに墓を建てよう……」
「家の前にお墓が建つなんて絶対嫌ですし、少しデレたくらいで死なないでくれませんかね!!?」
ドン引きしてフィアナは抗議するが、エリアスは声もなく涙を流しながら、両手を合わせて何かを拝んでいる。本当に、イケメンというアドバンテージをことごとくどぶに捨てていくスタイルの男である。
どっと疲れを感じたフィアナは、面倒くさくなって立ち上がった。
「もう、いいです。気が済むまでそうしていてください。私、なかで待ってますんで」
「あ、あぁ! すみません、フィアナさん!! 長くお引止めしてしまいまして……。気持ちに折り合いがついたら帰りますので、私のことは気になさらないでください」
「何言っているんですか。エリアスさんも入るんですよ、店の中に」
くいと後ろを指し示せば、エリアスが不思議そうな顔をする。それに、してやったりといった笑みを浮かべて、フィアナは腰に手を当てた。
「賄いの残りと、一杯のエールくらいなら私でも出せます。……食事、まだしてないんですよね? よかったら、寄って行ってください」
私からのねぎらいです、と。フィアナはそっと、心の中で付け足す。
それは恋かと問われれば、断じて違うと首を振る。けれども、いまエリアスとこういう掛け合いができることが、面倒くさくて、ちょっぴり嬉しい。甚だ不本意ながら、そんな風に思ってしまう程度には、エリアスに気を許してしまったようだ。
「あ……ああ……そんな……女神……。やはりここに墓を、いえ、かくなるうえは、私が墓になるしか……」
「あれ、もう酔ってるんですか。じゃあ、エールも賄いも必要ありませんね」
「うわぁぁぁあ、嘘です、嘘です! 墓なんか建てませんし、墓にもなりません! 待ってください、フィアナさーん!」
わあわあ騒ぎながら、ふたりは店の中へと消えていく。
ぱたんと閉じた扉には「閉店」の文字。――けれども、賑やかな夜は、いましばらく続いたのだった。
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