スピリット〜守護霊たちへのレクイエム〜
マフィン
第1話 グレーテンヒルの夜
月光輝く少し肌寒い夜、ペンシルバニア州のとある住宅街は、いつもより賑わいを見せていた。普段は夜十時を過ぎれば、家の明かりがちらほら消え、人の通りは一切なく静けさに包まれる。しかし、今日は、「ようこそ、グレーテンヒルへ」と書かれた入口看板の前を通る人の姿が頻繁に見受けられた。彼らが身にまとうコートの下からは、きらびやかなドレスや、モーニングが見えており、女性のヒールの音があちらこちらから聞こえていた。
そんな彼らが向かっていたのは一件の屋敷であった。立派な鉄の門は、今夜の客を歓迎するように大きく開いており、その奥にはきれいに手入れされた芝生が広がり、真ん中には、少し小さな噴水が清らかな水の音を奏でていた。その奥には真っ白い屋敷が冷たくそびえていた。
グレーテンヒルは、奥へ行けば行くほどに大きな庭付きの屋敷が立ち並んでいるが、とは言ってもそこまで土地が高いわけではないため、所有者は若手の社長や、最近ビジネスで成功した人が多かった。
そしてこの屋敷に住むヴァンシー夫妻も、最近成功をおさめ、富豪とまではいかないものの、社交界デビューを果たし、夫婦の夢でもあったマイホームを手に入れたのであった。そして今夜は、ビジネスの成功を祝いと称し行われた屋敷のお披露目会であった。
招待されたのは、ビジネスに関わった人物も多い一方で、割合的には旧友の方が多く中には、自慢をするためにわざわざ招待しているのではないかという憶測まで飛び交っているほどであった。
屋敷の中へ入ると、グラスに注がれたたシャンパンがテーブルに並べられており、アルコールのにおいが屋敷中に充満していた。屋敷の大広間には、長いテーブルが3列あり、白いテーブルクロスが敷かれ、その上にはオードブルや、デザートが置かれシャンデリアが照らしていた。
招待客は、各々でオードブルをとり、立食形式で語り合っていた。すると、テーブルの奥の大きな階段から二人の男女が現れた。女性の方は紫色のドレスを身にまとい、黒い髪は、ヘアアレンジが施されているのに対して、男性の方は濃い緑のパンツに赤いセーターを着て、短髪の黒髪は特にヘアアレンジがされていないなど、対照的な二人に移っていたが、ネックレスは二人とも同じ金色の十字架のネックレスをしていた。二人は階段を降りると、テーブルからシャンパンの入ったグラスを手に取ると、女性の方がスプーンをグラスに何度も当て音を立てた。その透き通った高い音を聞いた人々は、黙って音のする方へ注意を向けた。すると女性の方が、話し出した。
「皆様、今夜は夫、トーマスのためにお越しいただきありがとうございます。」そう言って二人はお辞儀をした。それに応えるように、招待客もちらほら会釈をし始めた。すると再び女性が、話を進めた。
「それでは、夫のトーマス・ヴァンシーから一言ございます。」すると男性が一歩前にでて、話し出した。その話はまとまりがなく、起業してから成功までの短い期間の回想話をし始めた。招待客からしたら、ビジネスとかかわりのある人間は当然周知のことが多く、トーマスのおどおどした雰囲気が眠気を誘うのか、口をおさえ始める人が増えてきた。それはもちろんトーマス本人も、隣にいたヴァンシー夫人も分かっていた。トーマスは、その雰囲気に耐え切れず、話を無理やりまとめ終わらせた。招待客たちは、首をかしげながらも。建前の拍手を送った。トーマスは、顔を曇らせながら妻の顔をみた。すると、ヴァンシー夫人は、
「すみません、少し緊張しちゃったみたいで。いやねー」と言うと招待客の笑いを誘った。招待客も、温かい笑いで彼を慰めているようであった。ヴァンシー夫人はその勢いのまま、グラスを掲げた。
「では皆様、グラスをお持ちください。」招待客たちは、慌てて切り替えグラスを手に取りなおした。
「我々の成功と、新たな人生に、乾杯」ヴァンシー夫人が音頭すると、招待客もみなそれに返し、グラスを鳴らし合った。トーマスは、妻のグラスに自分のグラスを近づけた。
「ありがとう。やっぱりこういうの向かいないな。」と小声で妻に、胸の内をもらした。すると、ヴァンシー夫人は笑顔で、
「気にしないの。みんな分かっているわ。そこがあなたの魅力でもあるのよ。」と言うと、差し出されたグラスに、自分のグラスを当てた。グラスは透き通った音が申し訳なさそうに鳴り響いた。
「さて、出番よ。挨拶回りに行くわよ。」ヴァンシー夫人はトーマスの手を握ると、引っ張り出した。
そんなヴァンシー邸があるグレーテンヒルに、黒いローブで身にまとった女性が歩いていた。ローブのフードで顔を隠しているが、ブロンドの髪が輝きをのぞかせていた。彼女はあたりを見回しながら、足早にグレーテンヒルの奥へと進んでいった。しばらく進んでいくと、門が開ききっている屋敷へたどり着いた。女性は懐から紙を出すと、その紙を眺めていた。その夜風になびく紙には、とある住所が書かれていた。
「ペンシルバニア州、グレーテンヒル、18番地。」女性はその紙を再び懐にしまうと、ローブのフードを外した。
「ここね。」そうつぶやくと、ヴァンシー邸の門をくぐっていった。芝生が広がっている庭を歩いていると、先ほどまで夜空を照らしていた月が厚い雨雲で覆われ、雲の境目からは低く大きな音とともに閃光が少し見えた。女性はそれを見ると再びフードを被り、足早に屋敷の入口へと向かった。
屋敷の入口には、黒いモーニングを身にまとった、白髪の老紳士が立っていた。女性が中に入ろうとすると、老紳士は女性に手のひらを向け、低い声で告げた。
「招待状はお持ちでしょうか。」そう言われると女性は、フードを外した。
「彼の古い友人です。」と言いながら、中にいる人間をみまわした。
「そうおっしゃられましても、招待状がなければお入れすることはできません。」老紳士はきっぱりとそういうと、右手を上げて応援を呼んだ。すると、奥から二、三人の同じように、モーニングを着た若い男性が集まってきた。
入口での騒ぎは、だんだん中にいる人々の耳にも入り始め、皆入口の方へ視線を向け始めた。もちろん、主催者のヴァンシー夫妻も事態を収めるため、入口へ向かった。到着すると老紳士が事情を説明した。
「名前は?」トーマスは少し困惑しながら言うと、老紳士も
「それが、古い友人としかおっしゃらないのです。」とさらに眉間に深いしわを作って答えた。トーマスは、頭をかきながら自分の記憶をたどった。なにせ、古い友人は全員招待していたはずであった。すると老紳士が眉間のしわを緩めながら、
「差し支えなければ、ご確認を。」と少し声を落として頼んだ。
「わかった。」トーマスは、もしも招待漏れだった場合、どう謝罪しようかと考えながら、騒ぎを起こしている元凶の元へ向かった。近づいていくと、次第に彼女のブロンドの髪が見えてきた。そして何かを説明している、透き通った高い声がトーマスの耳に突き刺さり、遠い記憶を刺激していた。そして、彼女の顔を見たとき、トーマスの刺激されていた記憶が、はっきりと頭の中で浮かび上がった。
「バチルダ」トーマスは目玉が飛び出しそうなくらい目を見開くと、吐息のようにつぶやいた。するとバチルダは、トーマスの姿を見ると安心して力が抜けたような表情とともに、トーマスへ倒れこむように寄っていった。
「トーマス。よかったわ。」そういうとトーマスに抱きつき、頬でキスをした。その光景は、ほかの招待客の目にも入っていた。もちろん、ヴァンシー夫人もしっかりと一部始終を見ていた。抱きつかれたトーマスは、気まずそうな顔をしながら、目を泳がせていた。
「心配いらない。私の古い友人だ。」トーマスは老紳士や、ほかの若いスタッフにそういうと、スタッフたちはそれぞれの持ち場へ戻った。ほかの招待客も何事もなかったかのように振る舞ったが、皆しばしばトーマスの方へと視線を送っていた。トーマスはその視線を感じ、バチルダの両肩をつかみ、顔を近づけ声を落として尋ねた。
「何の用だ。」トーマスの真剣なまなざしは、バチルダの目をとらえているようだった。
「大事な話があるの。」バチルダの目は安堵の涙で、輝いて見えた。トーマスはあたりを見回し、
「とりあえず、中で話そう。」と言うと、バチルダの腕をつかみ足早にホールを抜け、自分の書斎へと続く茶色い扉へ向かった。その光景をヴァンシー夫人は、招待客と話しながら、目で追った。二人の視線を追う瞳は鋭く、獲物を狙う鷹のような眼をしていた。しかし、彼女は何事もないように客人をもてなそうと、再び笑顔を作った。しかし、無意識に金色の十字架のアクセサリーを握っていることを、本人は気づいていなかった。
それからしばらくの間は何事もなく、招待客たちはいろいろな話の花を咲かせていた。その中には先ほどの騒動の憶測まで飛び交っていた。あの女性は、トーマスの愛人であるから始まり、ヴァンシー夫人は財産目的など、様々な憶測は次第に確信へと変わり、いかにも真実であるかのように瞬く間に広まっていった。一夜にしてヴァンシー夫妻は、訳あり夫婦のレッテルを張られてしまったが、それを本人たちは気づいていないどころか姿がなかった。そんな状況も招待客の中では、ヴァン氏―夫人が旦那をとられたショックで自分の部屋へと向かってしまったのではという噂に変身して広まっていた。そして、次第に会場の空気はしずみはじめ、中には帰り支度を始める人々も現れた。
そんな空気を察した老紳士のスタッフは、ほかの若いスタッフを集めた。
「このままでは、サプライズどころの話ではなくなってきた。何か方法はないのか。」老紳士は、腕を組み眉間にしわを寄せながら若いスタッフたちを見た。
「なにかって言われてもねぇ。」若いスタッフたちは、お互いの顔を見合わせ誰かいい案を出さないかうかがっていた。スタッフの中でもあきらめの雰囲気が流れていた。
「みんなの言いたいことはわかる。しかし、このケーキを無駄にするわけにもいかぬだろう。」そういうと全員、奥の銀色の台車に準備されている真っ白いケーキを見つめた。四段重ねの真っ白いケーキの側面は、ホイップクリームでデコレーションされており、ところどころに真っ赤なイチゴが飾られていた。そしてケーキの頂上には、チョコレートの板にクリームで「HAPPY BIRTHⅮAY」とお世辞にもうまいとは言えない字で書かれていた。
スタッフたちは、再び考えを巡らせた。すると一人の若いスタッフが、恐る恐る右手を少し上げながら
「依頼主には失礼かもしれないですけど、このパーティーに足りないものが何かを考えてみてはどうかと。」と言い出した。すると、もう一人の若いスタッフが
「そうだ。ちょっとノリのいい曲をかければ、どんなにお堅い連中でも踊っちまうだろ。」と手をたたき少し興奮気味に言うと、ほかのスタッフも便乗し始めた。早速スタッフたちは、何か音楽をかけられるものを探し始めた。すると老紳士が居間に、古いレコードプレイヤーを見つけた。ほこり被ったレコードプレイヤーには、すでにレコードが置かれており、針を落とせばいつでも音が鳴らせる状態であった。
「失礼しますよ。」老紳士はそうつぶやくと、レコードプレイヤーを動かした。
こうしている間にも、会場の空気はどんどん悪化していった。主催者不在はまだ続いており、すでに帰り始めている招待客もいた。彼らは口々に今夜の評価をし始めた。基本的には、悪評というよりはよくわからず首をかしげている人々が多かった。
「たたき上げにしては上出来では。」という評価を出す人々が多かった。そんな良くも悪くもないパーティーが意図せず終わりを迎えようとしていたとき、どこからともなくドラムの軽快なビートが聞こえてきた。次第にトランペットやサックス、トロンボーンの音が加わりビッグバンドによるスィングジャズの音楽が聞こえてきた。すると、招待客たちは多かれ少なかれお酒が入っているからか、まるで数秒前の記憶が飛んだようにその音楽に合わせて踊りだした。
「やりましたね。」若いスタッフは、老紳士の元へ駆け寄り顔をくしゃくしゃになるくらい笑顔で手を差し出すと、老紳士は黙ってうなずき若いスタッフの手を握るとものすごい勢いで上下させた。
「真夜中まであと三十分。」老紳士は、自分のポケットから懐中時計を出した。
「あとはヴァンシーさん次第ですね。」スタッフたちは書斎の扉を見つめ、誰でもいいから人が出てくることを願った。しかし、その想いもむなしく扉は閉ざされたまま、ただ時が過ぎて行った。音楽が加わったことによる効果は予想以上に発揮され、アルコールのペースも上がり、ダンスもヒートアップして行った。そして次第に主催者不在であることやその前の騒動のことなどすっかり頭の中から消え、踊り狂い始めた。
すると当然、今まで閉ざされたままであった、書斎の扉が勢いよく開いた。中から一人の女性がおびえながら、腰を抜かし倒れこんだ。しかし、音楽や酔っ払ったことによって大きくなった招待客たちの声と動きによって、すべてかき消されていた。倒れこんだ女性は急いで立ち上がると、踊り狂う人々の間をかいくぐりさらに逃げていった。すると勢いよく開いた扉の奥から、彼女を追う影が現れた。先ほどまで会を取り仕切っていた人とは思えぬ鬼の形相のヴァンシー夫人が現れた。ヴァンシー夫人は、目で女を探した。もう会場から先ほどの品のかけらもなくなっていることなど気にも留めていなかった。ヴァンシー夫人は不自然に何かをよけている集団を見つけると、そこにめがけて歩み始めた。その後ろからおろおろと現れたトーマスは、情けない声で
「ヴァネッサ、ちょっとまってくれ。」と彼女の名前を呼んだ。しかし、ヴァンシー夫人は聞こえていないかのように、女がいる方向へ突き進んでいった。酔っ払った招待客たちも、ヴァンシー夫人の怖い顔を見て、酔いがさめたように道を開けた。
女は広間の階段を駆け上がっていた。その姿を見たヴァンシー夫人は、さらに足を速めた。その後ろからトーマスがやはりよろよろしながら、あとを追いかけた。階段の踊り場に差し掛かったところで、女はヴァンシー夫人につかまってしまった。ヴァンシー夫人は女の肩をつかみ激しくゆすった。
「早く出ていきなさい。早く出ていきなさい。」ヴァンシー夫人はまっすぐ女の目を見ながら叫んだ。しかし、女に反応がなかった。ヴァンシー夫人は不審に思い、ゆするのをやめ女の様子をうかがった。その瞬間、大きく低い雷鳴が轟き、あたりが一瞬強い光に包まれるとすぐに真っ暗闇になった。
その翌日、この出来事は大きな話題となっていた。各地の新聞社がこぞって出した見出しには「無数の遺体」という言葉が連ねていた。記事によると、
「昨夜、ペンシルバニア州グレーテンヒル十八番地にて行われていたパーティーに出席していたおよそ百名の家族から、連絡が取れなくなったという通報が相次いだ。そこで巡回中の警官が現場のヴァンシー邸へ向かうと、パーティーの出席者やスタッフと思われる数十名の遺体が発見された。
以下省略
ケヴィン・ダンフォース」
という内容だった。そして重要参考人としてトーマス・ヴァンシーと妻のヴァネッサ・ヴァンシーが事情聴取を受けたが、トーマスは黙秘を続け、ヴァネッサは精神的に問題があると判断され、二人とも証拠不十分で釈放された。その後、事件の真相を知る二人は、姿を消し真相を知る人間がいなくなり捜査は打ち切りになった。その後この事件については、数々の物議を交わし霊的なものを疑い気味悪がる人々が増えた。もちろん、そんな事件が起きた土地など新しい買い手はつかず、州も捜査打ち切り以後も閉鎖したままにしていたせいで、さらに人々の間でヴァンシー邸は三十年経った今も心霊スポットとして知られるようになった。
つづく
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