調査開始~3
「失礼します。入ってもよろしいでしょうか」
約束の時間より五分前に着いた佐倉達は、B会議室のドアをノックして入室の許可を得るため声をかけた。
「どうぞ、お入りください」
鍵は開いていたので中に入ると、声の主は午前中に来た時とほぼ同じく、書類に囲まれた態勢で審査を続けていた。どこで話をすればよいか迷っていると、正面の椅子を差した。
「二人共、そこへお座りください」
彼は長机を三つ並べた上に書類を置き、その真ん中に座っている。両脇には書類が山となって積まれていた。その谷間から覗くような位置に二つ並べて置かれた、正面のパイプ椅子へ二人は腰を下ろす。事前に彼が用意してくれたようだ。大飯達から話を聞いていた応接室とは違い、相手との距離がやや遠かった。しかしそれもやむを得ない。木下がパソコンを開き、レコーダーを回す許可を取る。その横から佐倉が話かけた。
「お忙しい所すみません。お話を伺ってもよろしいですか」
「いいですよ。こちらからもお尋ねしたいことや、報告しなければならないこともありますから」
意味深な発言に戸惑った。先程までの聴取とは勝手が違う。それもそのはず、相手は検事だ。話を聞きだすことに関しては、佐倉達より何枚も上手である。堂々とした彼の態度は圧迫感があった。質問する側の自分達が、逆に問い質されているかのような錯覚に陥る。
それでも木下と事前打ち合わせした質問事項を確認し、どうにか尋ねることができた。
「それではお伺いします。まず峰島検事は何故、大飯達が到着する少し前に、この会議室へ来られていたのですか? 確かにここで審査をすることにはなっていました。しかし大飯達が書類を揃っていることを確認した後、検事をお呼びする段取りだったのでは?」
「それは課長から、会議室の準備が遅れるかもしれないと伺ったからですよ。その分審査を始める時間も遅くなるかもしれないと言われました。そらなら会議室に行ってお手伝いしようと思ったのです。他の仕事の段取りは既に済ませ、審査のための時間を確保してありましたから。待たされて手持ち無沙汰になるよりはいいと考えたのです」
「それで早く来られていたのですね」
「はい。もし積まれた書類の箱を運び出すのにまだまだ時間がかかりそうだったら、お手伝いしようと思いました。ですから途中の給湯室で見つけた台車も用意していたのです」
そこで間中が使っていた台車は、彼が運んできたものだったのかと気づいた。あの時は急に手伝うよう言われたのに、なんて要領の良い奴だと思っていた。だがそれは峰島のおかげだったようだ。
「私が会議室に入った時には、佐倉さん達がいらっしゃらなかったので待っていました。しかし段ボールの山を見る限り、あと数回往復すれば片付きそうだと分かったのです。これなら書類が届くまでにはほぼ片付くだろうと見込んで、手伝うまでもないかもしれないと思いました。そこへあなた達が書庫から戻られ、その後彼らが甲府から到着されました」
「そうでしたか。それで大飯が間中に荷物を運ぶよう指示したから、検事は書類確認を手伝うと言ったのですね」
「そうです。量が沢山ありますから、一人でチェックするのも大変です。それに漏れがあるといけませんから、私がやればいいと思いました。それが終わればすぐに審査の仕事ができますからね。元々荷物を運ぶ手伝いをしようと早く来ていたので、それよりは正直楽だと思ったことも事実です」
彼は少し冗談めかして笑った。
「そうですね。そこまでは私達も同席していたので、経緯は理解しています。その後は書庫に向かったため、会議室での状況が分かりませんのでお伺いします。書類は間中と大飯が持っていた二つのケースに分けられていました。その時の様子をお話しいただけますか」
「大飯さんがスマホの画面を見ながら、二つのケースの鍵を開けていました。そして私に、一方のケースの中身を確認して欲しいと言ったのです。中にはチェックリストも入っていました。それと照らし合わせてあるものから順に書類を取り出し、長机の上に置いていきました。そして最後まで出し終えた時、足りないものが一部だけあると気付いたので彼に言ったのです。そっちのケースに紛れていませんか、と」
「それで大飯は慌てたんですね。そんなはずはないと」
「そうです。そして彼が見た分は全て揃っていることを確かめ、机の下などに落ちていないか、スーツケースの中にまだ残っていないかなど、色々と部屋中を探しましたが、有りませんでした。そしてもう一度確認をし直したのです。私は大飯さんが見ていた分を、大飯さんは私が見ていた分をチェックしました。しかし一通り確認しましたが、やはり一部だけ足りません。そこでさらに再確認し始めようとしていた時に、佐倉さんが会議室に来られたのです」
「そうでした。書類が足りないと伺ったので、私からお手伝いすることは無いかと言いました。そこで検事達が確認済みのものを、再度チェックしたのでしたね。ああ、その前にカーテンの裏やコピー機の中なども探しましたが」
「そう。それでも見つからなかった。そこからは佐倉さん達もご存知でしょうから、ご説明するまでもないでしょう」
「はい。私達が知らないのは大飯と二人で確認している間の事だけです。ところで最初に書類をチェックしていた時、検事は中身を少し見ていた、と伺いましたが」
彼は頭を掻きながら笑った。
「ああ、つい気になってしまいましてね。まずは揃っているかを確認するだけでいいのに、どうしても関心が移ってしまったのです。書類を審査することが本来の仕事でしたから。でも書類をパラパラとめくって、少しばかり部屋の中を歩き回った程度です。それにこの会議室からは一度しか出ていませんよ。大飯さんは電話が二度ほどかかって来たので、席を外していましたが。最初の一回目の電話が課長からだったので、途中私に代わるよう呼ばれました。その時廊下に出て話しました。私が書類の確認を手伝っていると聞いて、驚いたのでしょう。お手数をおかけしてすみませんと、恐縮していました。でもほんの少しの時間ですよ」
「その時に大飯が外へ書類を持ち出すことは、可能だったと思いますか」
この質問に少し考えてから首を横に振った。
「それは無理ですね。彼はこちらを気にして、外に出てから通話をしていましたから。出て行く時も失礼します、と私に断ってから席を外していました。その様子を見ていることも分かっていたでしょう。だから持ち出すことは不可能だったと思います。特に二回目の時は、既に書類がないと気づいて確認している途中でしたしね。一回目の時は私と電話を代わり、入れ違いに部屋へ戻られました。万が一彼が書類を持ち出したとしても隠す時間もないでしょうし、場所も無かったはずですよ」
彼の言う通り、会議室を出た廊下に書類を隠せるような場所など無かった。時間的に考えても無理だと言うことが分かる。また会議室内でも資料のようなものを隠せるような所は、カーテンの裏かコピー機の用紙を入れる場所やインクを補充する場所くらいだ。
しかしそこも探して無いと聞いた上で、もう一度確認して欲しいと佐倉が言われた時、馬鹿馬鹿しいと思いながらも念入りに調べている。その為書類が無くなったタイミングを考え、その時にはまだあった段ボールの中まで探す羽目になったのだ。
もちろん書類が入っていたスーツケース以外のバッグは、検事が持っていたものしかなかった。当然その中身も大飯の目で確認されている。佐倉も念の為見てくれと検事に言われたので、チェックしていた。
この会議室で紛失したと言う可能性は、今の所全く見つからない。ならば現時点の調査ではやはり甲府地検の倉庫が一番怪しいことになる。いやその前に、後一か所だけ確認しなければならない場所が残っているけれども、検事との話が終わってからしよう。ここに来るまで佐倉達はそう話をしていた。
もうこれ以上検事に質問することは無かっただろうか。佐倉がパソコン画面を覗いて確認していた所で、向こうから質問が飛んできた。
「私に対する質問が無いようなら、差しさわりの無い範囲で結構です。現段階の調査でどのような話が聞けて、どこまで把握しているのか教えていただけますか」
隠しておくほどの事は無い。その為佐倉は木下と目で確認し、これまで聴取してきた話をまとめ、時系列で経緯を伝えた。もちろんサービスエリアでの加治田の父親らしき人物から、声をかけられた話もせざるを得なかった。その際には険しい表情をしていたが、彼は何も言わず最後まで黙って話を聞いていた。
一通り説明を終えると、彼は腕を組んで言った。
「今までの話を聞いたところ、二人の聴取は事実を漏らさず、よく確認できていると思います。特に甲府地検での資料室の件については、現時点で最も確認すべき点でしょう。しかしサービスエリアの一件は聞き流せませんね。今回の紛失事件と関係があるならば、重大な問題です。例えそうでなかったとしても、何故そんな人物が現れたのか、どうやって知り得たのかは、調べる必要があるかもしれません」
「はい。それは甲府から連絡があり、書類を取りに行く際調査するつもりです」
「どこまで調べられるか、限界はあると思いますがそうした方が良いでしょう。それと今回の件では、間中さんが関わっている可能性は薄そうですね」
「はい。それは私達もそう考えています」
「私が疑惑の対象から外れるかは、あなた達の判断に任せましょう。ただ大飯さんに関しては、まだ確認していない場所が一か所ありますね」
「もしかして車の中、ですか?」
佐倉が言い当てたことに、彼は目を見張った。
「気が付いていましたか。これは余計な事でしたね。ちなみにもう調べられましたか」
「いえ、検事との話が終わった後、確認するつもりでした」
「そうですか。それでしたら彼がここへ戻った後、省車の鍵をいつ、どの時点で返還したかも確認された方が良いですね」
「はい、そのつもりです。万が一会議室に運び込まれるまでの間、書類が抜かれたとしたら、車が一番怪しいと思っていました。課長から暗証番号のメールを受け取った駐車場から、この会議室までの間ではそこしか考えられません」
「そうです。良くその点に思い至られました。課長が佐倉さん達に調査依頼をしたことは、間違っていなかったようですね。もし警視庁や警察庁にいらしたら、優秀なキャリア官僚になっていたことでしょう」
くすぐったい誉め言葉だったが、佐倉は素直に礼を言っておいた。
「ありがとうございます」
そこで木下が余計な事を付け加えた。
「やはり血統なのかもしれませんね。佐倉さんのお父様は、警察庁に勤めていらっしゃいましたし、お爺様も元警察官だったようですから」
すると峰島は目を丸くした。
「それは本当ですか。だったら確かに血筋が関係しているのかもしれません。ちなみにお父さまは、どこの部署におられたのですか」
「丁度今年、定年を迎えて関東管区警察局局長を辞したばかりです。今はかつての上司に紹介された会社に勤めていますが、週三回の勤務で良いらしく、のんびりとした老後を過ごし始めた所です」
佐倉は説明しながら木下を睨む。彼は軽く肩をすぼめ、舌を出して苦笑いしていた。
「そうですか。こちらから伺っておきたかったことは以上です。後はこちらから報告すべき事をお伝えしましょう」
彼は書類の山の中から、資料を一つ取り出して言った。
「そういえば、最初に報告しなければならないことがある、とおっしゃっていましたね」
「はい。実は資料の審査中にこういうものを発見しました。ちなみに他の資料にも入っていないか一通り目を通しましたが、今の所見つかったのはこれだけです」
資料ごと目の前に置かれ、彼が付箋の付いている頁を開いた。そこには小さな薄いプラスチックのようなものが張り付いていた。栞にしては形が丸く奇妙で、閉じていたら分からない程度のものだ。資料を一枚一枚めくって調べていなければ、発見できなかっただろう。
しかし一見しただけでは、それが何か分からなかったらしい木下が質問した。
「すみません。これは何でしょう」
「私も気になりよく見たら、ここに文字が書かれていることに気付きました。それをスマホでネット検索した所、GPS機能が付いたシールだということが分かりました」
これには二人で驚愕した。
「GPS機能?」
「そちらでも確認してください。最初は何故こんなものが、と思いました。しかし先程のサービスエリアの話は、これと関係しているかもしれません」
「ちょっと失礼します」
佐倉は資料を手元に寄せてみると、確かに張り付いたシールのようなものに、小さな文字が打たれている。ノートパソコンを無線でネットと接続している木下に、検索させてみた。すると超薄型のGPS機能が付いた商品として、同じものが現れたのだ。
機能を見ると最大十二カ月ほどバッテリーが持つと書かれている。しかし電波の届く範囲は、せいぜい二十数メートル程度とそれほど広くない。用途としては財布などに張り付け、紛失した場合に探すためのアイテムのようだ。しかしその機能を利用すれば、近くにこの書類があると発見することが出来る。
サービスエリアにいた人物が、何故広い駐車場の中からピンポイントで大飯達が書類を持っていると分かり声をかけることが出来たのか。それが不思議だと木下と話し合っていた疑問点の一つに関わってくる。
このGPS機能を使っていたとすれば、それも不可能ではないかもしれない。検事はそのことを言っているのだろう。だとしても新たな疑問がいくつか産まれる。木下がそれを察したように呟いた。
「一体いつ、そして誰がこのシールをこの資料に張り付けたのでしょうか。この商品のサイトによれば、十二カ月持つとはいっても最大で二十数メートル四方の範囲でしか探れません。このGPSを使ったとしても、どうやって大飯さん達があの日、あの時間、あのサービスエリアの場所にいたのかを突き止められたのでしょうか」
佐倉も同意して答えた
「確かに。そう考えるとやはり事前にあの日、資料を運び出すことを知っていないと不可能だし、そんなことができるのはごく限られた人物しかいない。それに例え資料がある場所を特定できたとしても、途中で奪うことは不可能だったはず。だったらどういう意図を持って、このシールを張り付けたのかが分からない」
「先程大飯さん達に声をかけたと言う人物が、このシールを使った可能性はあるでしょう」
検事の言葉に佐倉は咄嗟に否定した。
「しかしそれと資料の紛失と関係するかは不明です。例え資料がそこにあると分かったとしても、途中で抜き出すことは不可能だったはずですから」
「本当にそうだったのでしょうか。実はここに置かれたままの、資料が入っていたスーツケースを再度調べて見ました。すると鍵の部分がやや緩くなっているようです」
「なんですって?」
峰島が指さした長机の横の床に置かれたケースを、佐倉は慌てて拾い上げた。そして開いたままの鍵を確認する。確かに頑丈なものだが、それを差し込んでケースの蓋を塞ぐ部分が少しだけ緩んでいた。力を入れて引っ張ると僅かな隙間が出来る。
しかし中の資料を取り出せるほどの広さとは言い難い。これくらいだと抜き出すことは無理だと思われる。
「もちろん私も引っ張ってみましたが、その隙間から中の資料を取り出せたとは思えません。ただ念のため、そうなっていることはご報告しておかないと、と思っただけです」
「このシールとスーツケースの他に、何か気付かれた件や言い残されたことはありますか」
佐倉が問うと、彼は少し間を置いてから首を横に振った。
「いえ、以上です。もし何か言い忘れたことを思い出したり、後で気付いたりした場合はお二人にご連絡します」
「よろしくお願いします。このGPSシールとスーツケースは、私達が回収したいと思いますがよろしいでしょうか。もちろん資料はお返しします」
「どうぞ。そうしたほうがいいですね」
佐倉は念のため、スマホでシールが貼られた状態の資料を撮影する。また裏返して背表紙や表表紙も撮影することで、どの資料に貼られていたかを分かるようにした。その後にシールをゆっくりとはがす。そこで席を立ち、大飯と間中の持っていた分のスーツケースを持った。
時計を見ると四時半近くになっている。ほぼ予定通りの一時間が経ったようだ。
「それでは失礼します。お仕事中、お邪魔しました」
「いえ、こちらこそ。お疲れさまです」
二人は会議室を出たその足で自分達の席に戻り荷物を置いた後、課長の元に向かった。先程話していた大飯が使った車の鍵を借りるためだ。管理は課長席が行っている。課長が在席していたため、回収したスーツケースを渡した。
その後今日で三人の話を聞き終えたことを報告し、簡潔に内容を報告した。併せて大飯の証言が正しいことも確認する。サービスエリアの件とGPSシールの話を聞いた際には、眉を顰めていた。
「それは別の意味で厄介な問題を抱えたな」
「はい。ただそれも甲府地検を訪問した際に確認しておきます」
「ああ、ただ余り強引な事はできないぞ。こっちには捜査権もないし、あくまで内密の調査だからな」
「承知しています。それでは車の鍵をお借り出来ますか」
「ああ、そこにある。確か大飯に貸したのは、5261の車だ。間中が5263だったよ」
「念のため、両方お借りします。ところで鍵はいつ渡されて、いつ返却されましたか」
「朝早くにここを出る直前でスーツケースを渡した際と同時だ。返してきたのは間中が木下達と食事を終えて戻って来た時で、大飯は佐倉と一緒に戻って来た時だった。その後誰もこの鍵を持って出た奴はいない」
「分かりました。ではお借りして調べてきます。今日調査した分は、明日の午前中までに報告書として上げますので」
「頼んだぞ。また何か質問があったら聞いてくれ」
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