BMM第二試合目 木村鬼雅vs.根来の九意

「第二試合目ッ! 木村鬼雅おにまさッ!」

 照明は落とされなかった。

 西側から道着を着た男が腕組みをしながら現れた。肩幅が広く、なにからなにまでが太い。道着が鋼の肉ではち切れんばかりに膨張しているのがわかる。一見して強い。明らかに強い。

 なのに、エネルギーと呼ぶべきものがこちらまで届いてこない。三代目はそれを不気味に思ったし、まるでゴーストだとすら思った。

 からんころんと下駄を履いた足を交互に動かし、木村がリング横に立った。

「木村は柔道家だ」

「ジュードー」

「簡単に言えば、投げを主体とする日本の伝統武道なわけだが――あの男はそれの頂点に君臨していたのだ。日本最強とまで呼ばれたこともあった」

 真智子が、三代目の頭に手を置きながら言った。

「しかし今、少なくとも表の世界で奴は『恥さらし』として扱われ、いやほとんどの人間がその存在を忘れている。知らないという世代も多い。奴が強い柔道家だったと知るのは、もはや数少ない通くらいのものだ」

「なぜです」

「負けたからだ。プロレスラーにプロレスの試合で負けたからだ。無様に……公衆の面前でなすすべもなく負けたために、奴は柔道家としての未来を失った」

「プロレスですか? 真剣勝負シュートの?」

「設定はな。実際はブック(筋書き)があった。相手のプロレスラー震楽山しんらくざんは途中でそれを破り、木村を血の海に沈めた」

「不覚を取ったんですね」

「そうだな、そこは否定できん。相手も生半なまなかではなかったから、一度反応に遅れた以上は取り返せなかったんだろう」

「震楽山が裏切った理由は?」

「未来を計測していたんじゃないか。結果、その読みは正しかった」

 その戦いは現在、この後楽園ホールで行われているような裏の勝負ではなかったのだろう。観客が多過ぎたということ、また彼やそのプロレスラー震楽山の逸話の歩き方が異常だったということ。ゆえに負けたほうのダメージが計り知れないものになっていたのは想像にかたくない。

 三代目はホールの天井を見上げた。まばゆいライトに目が射抜かれる。

 ――光に強く照らされていたから、彼はそんな地獄を味わわねばならなかったのだろうか……と、想いをせる。

 まったく知らない人間である。だから人として感情移入したのではなく、同じ闘士として木村に心を重ねて、その境遇に一抹の哀愁を覚えたのであった。さぞ無念だっただろうと自分のことのように胸が痛んだ。

「……それで裏側に来たんですか」

「復讐心でな」

「まさか震楽山と?」

「そう。木村が私闘を申し込み、相手も金になるとそれを受けた。もう何年も前のことだ。そしてその死力を尽くし合うリベンジ戦を制したのは木村。負けた震楽山はヤクザに刺殺されたという設定で上にてられた」

「じゃあなんで。なんで木村さんはあんなに覇気がないのですか。生きてない」

「震楽山には真剣で勝ったが、それで一度の負けはなくならんし、世間様は過去をなかったことにはせん。本人にもできない。最初の敗北で奴は死に、残ったのは技と体だけ。だからここにずっと残りつづけてる」

 ゴングが鳴った。

 李通訳機で真智子と会話している間に、相手選手も入場していたらしい。

 かつて最強と謳われるまで上り詰めた柔道家の相手はいったい。三代目がリングを見ると、奇妙な状態になっていた。

 中央の木村を四人の真っ黒な忍装束が、斜め四方を囲んでいた。リングの四隅を陣取って、木村を睨んでいる。

「NINJA!」

 目をキラキラ輝かせて、三代目が鉄柵の上に跳び乗った。目の上に手をかざして、なんとかよく見ようとする。

 日本に存在するという隠密の武芸者集団NINJAについてはよく耳にしていた。ミステリアスでエキセントリック、クールでアッパーなカッコいいの塊。憧れに憧れ、日本に行ったら会えるんだと期待していたその実物を見て、三代目は精通を迎えそうになっていた。

「根来僧ってあんなストレートな忍者の恰好するもんだっけ?」

「パフォーマンスだろう」

「どこの忍者なんです!? 詳しく教えてください!」

 興奮しながら、三代目が訊いた。山谷家の誰に、というのはない。答えてくれるならば誰でもよかった。

「和歌山の根来衆」

 李が答えた。お前かい、と言いそうになるのをこらえて話に耳を傾ける。

「根来寺という要塞のような巨大寺院が擁していた忍法僧たちで、戦国時代には鉄砲や忍術でかなーり活躍したらしいネ。彼らは当時の第六天魔王とは仲がよかったんだけど、のちに全国を統一する秀吉とは折り合いが悪くてヨ。紀州征伐でこれでもかってくらいにボコボコにされて、根来衆は滅亡したんだネ」

「滅亡したんかい。じゃあ、あそこにいるNINJAはなんなの」

 イラつきながらリングを指さす。

 根来僧たちは刀を抜いただけで動いていない。木村も微動だにせず、たたずんでいるだけだ。

「残党がいたのヨ。彼らはひそかに根来の技を子孫に伝えて、現代でも生き残ったネ。それが彼ら。根来の九意きういが率いる真・根来衆ネ!」

「根来の九意って奴はどこに?」

 きょろきょろと見回す三代目の様子から探し物を悟ったのか、山谷が指さした。北側の立ち見席だ。

 じゃがいもみてーなツラをした、マッシュルームカットというかキノコそのものみたいな髪型をした上半身裸のガリガリ男が立っていた。

 人を見た目で判断してはいけないとよく教えられたが、三代目の興奮は一気に冷めた。ついでに彼の中のNINJA像も、ガラガラと音を立てて崩れ去った。

 なんだアイツは? あんな末期の引きこもりのような男が、現存するNINJAたちの頭領だというのか。ふざけるのもいい加減にしろ。

「対戦理由はなんネ?」

「ほら、前にニュースでやってたじゃん。交通事故の事件で加害者が不起訴になったやつ。被害者の遺族がどうしても裁きを与えてやりたいって木村さんを立てて、加害者がそうはいくかと根来。木村が勝てば、加害者はここで処刑される。根来が勝てば、被害者の遺族たちは売られて金になるんだって」

 根来僧のひとりがせきを切ったかのように動いた。そちらへ木村も体を向ける。根来僧が忍刀を抜いて、木村に接近すると上段で右上から左下へ振った。たいをずらして木村がその斬撃を避けた。つづけざまに左上から右下へ。それも木村は軽く避ける。

 トン……と根来僧が懐を押されて、最初の位置に戻った。殴ったわけでもなく、実に優しく木村は掌で押しただけだ。

 しかしその動作に三代目はプレッシャーを覚えた。「おれを相手に遊ぶな」「本気で来い」とでも言うような圧があったからだ。正確には、そういう意味でしか捉えようのない行為であったからだ。木村自身からエネルギーは発せられていない。ただ三代目にはそう見えたというだけのことである。

 根来僧のひとりが忍刀を前に突き出し、片膝を突いた。かなり低い姿勢だ。

 三代目に剣の術理も、忍術の心得もないが、その構えが面を打たせて敵の心の臓を貫く一撃必殺の突き技であることは容易に予想がついた。相討ちが狙いか。四人いれば、ひとりやられても勝ちを拾えれば、それで勝ち――

 タン、と音がした。

 次の瞬間に三代目が見たのは、その場でくるりと回転する木村である。回るついでに突いてきた根来僧の肩を押して払っていた。根来僧は一歩を踏みしめる寸前の体勢のまま進行方向へ進んだ。木村は突きをかわした。

「んん……?」

 間抜けな声をあげたのは三代目だ。

 まず、根来僧の突きのスピードに圧倒されたから出た声であった。リングの端から中央の木村の位置まで届くまで、その姿が。過程が見えなかった。瞬間移動したとしか思えない速度で間合いを潰した。

 神速の突きの奇妙さにも疑問が生じた。かがんだ体勢から、片足を踏み出すような体勢へ。それはいいのだが、その状態のまま止まって水平移動したらしいのは無視できない。木村への接近の間、根来僧がどうなっていたのかは不明だが、木村に突きをいなされたあともその体勢のまま地面をすべったのだから、きっと突きの動き全体自体がそうだったのだ。面妖である。

 木村の送り出し方、その自然さも三代目の虚を突いた。あの速度を追えていたのは間違いなく、一度自分の領域に引き込んで、外に放した。見れば簡単そうだが、そうそうできるものではあるまい。受けにこそ技術力は表れる。

 順に根来僧があの突きを放ってゆく。

 木村はまったく同じ動作で送り出す。

 四人全員の突きが終わり、五回目からはふたり同時の突きに変わった。それも対角線上ではない。いつの間にか木村を囲う根来僧たちの四角形の囲いは、ひし形になっていた。その東側と北側が躍り出た。

 忍刀で一突きされる寸前で、木村がまた回った。片方の根来僧をさっきまでと同じように受け流しつつ、肩を使って押す。もうひとりの胸倉を逆手で押さえて、下からすくい投げる。それを木村は同時に行った。

 突きの体勢のまま根来僧がひとり前のめりにととと……と走り、もうひとりが宙を舞ってマットの上に叩き落とされた。

「鋭い投げ技だなぁ……!」

 天才だ。木村鬼雅は疑いようもなく天才だ!

 拳を握りながら、その技に惚れる自分を三代目は意識せざるをえない。NINJAが現れたときとはまた別の興奮がよみがえっていた。

 根来僧たちは陣形を崩し、規則性を解体し、速度を上げ、機をずらしながら突きを愚直に繰り返した。ふたり掛かりで、三人掛かりで、四人掛かりで。乱れ打ちのような突きの乱打が炸裂する。

 それでも木村の体に刀は刺さらない。ふたりが突けば、ひとりが投げられる。三人が突けば、やはりひとりが投げられる。四人が突けば、ひとりが投げられて、残りの三人がすかされる。

 まったく効果をなさない根来僧たちの突きに徹した姿勢も、三代目からすれば決して悪手ではなかった。単純ながら高スピードで変則的な性質を混ぜていく攻撃、これが激化していくとなると回避や反撃は容易ではない。彼らのコンビネーションは隙がなく、余計に性質が悪い。

 前後左右、全方位から正確無比に矢が飛んでくるのと同じだ。そんなものをさばけるのは人間というよりは怪物であろう。そして木村は怪物である。

「しぇぇーいッ!」

 業を煮やしたか、喝の叫びをあげながらふたりが左右から木村を挟んで突いた。

 木村は両手を交差させて、突かれた忍刀を体を最小限反らしてかわし、差し出されたふたりの手首を掴んで停止させた。

 根来僧たちも見事だ、仲間同士に刀が刺さらないようにしっかり調整している。

 だが一手先を行ったのは木村。捕獲した手首を少し下ろしてやれば、根来僧ふたりの首を仲間同士の刀で斬ることができる。生殺与奪の権利は、木村に落ちている。

 やるか?

 そう思ったが、木村はふたりを開放し、またトンと押した。

 リングの上の動きが最初のようにまた膠着こうちゃくした。

「はは、根来の忍法僧どもがらしくもない」

「ねぇママ、向こうの九意の顔見て」

「どれ。おお~、怒ってるなあ」

 下の根来僧たちの親玉、九意のほうを三代目も見た。右手を振り上げ、頬を膨らませ、顔を比喩ひゆではなく真っ赤にしている。目玉が今にも飛び出そうだ。

 ここまで「わたしは怒ってます」感をドストレートに出す人間がいるとは。三代目は九意という男が怖くなってきた。絶対に対峙したくない。戦ったりしたら、途中で爆笑してしまうか恐怖で失禁しそうである。

「動くネ!」

 李の言うとおり、場が動いた。

 動いたのはなんと木村だった。今までずっと中央からいっさい動かなかった木村が突然、根来僧のひとりのほうへ走った。これには意表を突かれた。根来僧たちも観客も三代目も――

 一瞬のことだった。

 ダァンッ!

 根来僧が木村に刈り倒された。

 仲間がやられて事態を把握したのか、三人が木村を囲もうとしたが、またその内のひとりに木村が向かってゆく。ダァン。

「ぜあーッ!」

 高く跳躍し、根来僧が忍刀で木村を斬り下げようとした。

 木村が回って刃をかわし、その流れのままに着地前の根来僧を掴み、マットに叩きつけた。

 最後のひとりが突きに走る。難なく捕まえて、また木村が刈り倒した。

 圧倒的だった。

 ――なんて凶暴な投げ技だ。

 三代目の網膜が捉えた視覚情報ではすなわち、木村の投げ技は手心を知らない凶暴な技であった。右手で相手のうしろ肩あたりを捕まえる。左手は相手の肘あたりを掴む。相手を引き、自分は前に出て密着する。そうしながら、足を掛けて倒しに掛かる。バランスを崩すのではなく、相手もろとも打ち上げる。そして地面に叩きつける。そんな技だ。

 マットの上でもあれは無事では済むまい。落とされた四人は完全に意識を失っていた。路上でのファイトならおそらく死んでいた。いや。

 木村がその気になっていれば、今この場でも四人を殺せたのかもしれない。脳をマット上に跳び散らせることができたのかもしれない。

 漠然とした、底の見えない強さを見せられた。

 こんなおとこがいるのか――

「勝者、木村鬼雅ァーッ!」

 観客たちの歓声を背中に受けながら、木村が退場する。その背中には哀愁が満ちていた。

 彼にとって、この戦いはなんだったのだろう。きっと、なんでもなかったのだろう。

 三代目は「寂しいね、木村さん」と誰にも聞こえない声量でぽつりと、彼を見送りながらつぶやいた。

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