第9話 大精霊フリージア

「やっほ! のんちゃん、元気にしてるかい?」

「こ、これは大精霊フリージア様、お久しぶりに御座います」


 王は突然の精霊の顕現に驚きを隠せなかった。

 ここは宮殿の中の「謁見の間」で、ノーザン・エル・ゼデク王は玉座にて、日々の務めを果たしている最中であった。


 当然王の周りには家臣たちもいる。家臣たちに大精霊フリージアの姿は見えず声も聞こえないのだが、突然王の態度が変化したことに狼狽える者はいなかった。


 フリージアの顕現に伴って周囲の温度が急激に下がっており、王の言葉もあって臣下たちは何が起きているのかを十分察していたのである。


「まぁまぁ、気楽に気楽に。私とのんちゃんの仲じゃん」

「いえ、そうはいきませぬ。フリージア様のお力を借り受ける身なれば、畏まるのが当然の立場。立場というものを蔑ろにするならば王など滑稽も滑稽。愚物の極みでございましょう」


「ふぅーん。相変わらず固いねぇ。まぁでも、その固さも嫌いじゃないよ」


 王とは至高である。

 王自らの思いがどうあれ、周りがそのように扱う以上、そう振るわなければならないのが王である。そして王という立場に限らず権力者はそういった環境に身を置く故に、自らが特別なのだと勘違いする者が多い。何よりも王侯貴族はそう勘違いしてもいいだけの力も備えている。しかしゼデク王は王の権威とは単なる立場によって形成されるもので自らそれを損なうなら王の権威など意味がないことを明言したのである。


 精霊に自ら遜るゼデク王の姿は、臣下の目から見れば王のあるべき姿を捻じ曲げてしまっているように映るのかもしれない。そんな臣下の目も憚らず、己を貫くゼデク王の姿にフリージアは好感を抱いていた。


(相変わらずお美しい)

 

 一方、王は久しぶりに目にするフリージアの美しさに感嘆していた。

 フリージアは人族の成人女性の姿をしており、青いドレスを纏っている。ドレスだけでなく髪も青白く、肌は透き通るように白い。実際に精霊だけあって実体はなく空中に浮いており、半透明で後ろが透けて見える。


 しかし、気品あふれる大人の姿に反し、フリージアの言葉遣いは幼いというか、随分とフランクであった。


「でさ、ちょっと確認なんだけど、のんちゃん、何かした?」

「何か……とは?」


 ゼデク王は決して惚けたわけではない。


 本来精霊とは魔力を対価に顕現してもらうものであり、今回のフリージアのように精霊自らが人に干渉してくることはまずない。そのためゼデク王は突然の顕現に動揺していた。


 そして王とは国内の様々な取り組みに関わるものである。心当たりが多すぎてフリージアの言う「何か」に見当をつけるのが難しかったのである。


 そのため質問の答えが直ぐに出てこなかった。


「急に地脈が活性化しちゃってさ、大精霊たちにかなり大きな【調整力】が作用しているんだよ」

「フリージア様。無知をお許しください。その……【調整力】……とは何でしょうか?」


「あぁ、しまった。それは気にしないで。人には教えられないことなんだ」

「それは差し出がましいことを伺いました」


「……以前【不老】が現れた時にもこの【調整力】が作用したことはあったんだけど……、でも今回のは比較にならないくらい大きいんだよね」


 【不老】の言葉でゼデク王にはフリージアの言う「何か」を察することができた。


(成程、メゼドが上手くやったということか)


 メゼドはまだ戻らないため【不老不死】の秘術が成功したかどうかは分からないが、旅が順調であれば既にメイロード伯爵領の開拓村に到着している頃合いだろう。


「【不老】の言葉で思い当たることが一つ御座います。おそらく、我が臣下の手により【不老不死】の秘術が成されたのでしょう」


「ははははは、あちゃあ。やっちゃったんだ。なるほどねぇ。納得だよ」


 突然笑い始めたフリージアに王は戸惑いを隠せなかった。

 そして突如、急激に周囲の温度が下がる。


 謁見の間の床や壁が一瞬にして氷に包まれ、周囲にいた臣下の足元が凍り付き悲鳴が上がる。


「どこ? どこの地脈を使ったの?」


 そう尋ねるフリージアの声は凍てつくほどに鋭かった。


「き、北の果て……メイロード伯爵領です」

「北の果て……よりによってノルンのところか。……悪いけど、そこ滅ぶかもしれないよ」


 土地を治める貴族はその土地の大精霊と契約を交わすことで地脈の力を得る。王から拝領をする際に「拝領の儀」を以てその契約が成されるのだが、貴族はその儀式により領地を司る精霊と契約を交わし、常人を遥かに超える力を宿し、精霊特有の能力や魔法の一端さえも行使できるようになる。


 しかし、現メイロード伯爵領の大精霊ノルンは貴族達から「疫病神」と嫌厭されていた。それは大精霊ノルンの能力を行使すると、使用者に不幸な出来事が起きるからである。精霊としての能力はハズレもハズレであり、土地も痩せており、これといった産業はなく、寒さも厳しい。そのため現メイロード伯爵領である北端の地を自ら進んで治めたがる貴族は誰もいないのが現状であった。


 王も、できればその土地を王国領から切り離したいとさえ考える程であった。


「はい。承知の上です」


「へぇ、意外。分かってたんだ……。あ、そうか……あの子の能力は扱いづらいし、切り捨てるつもりだったってことね。さすがのんちゃん、計算高いなぁ……」


「でも……」

 さらに謁見の間の温度が下がる。


「これは警告」

 その場にいた臣下たち全員が、全身を一気に氷で覆われた。

 その光景に王に戦慄が走る。


「どういうつもりかは分かんないけど、これ以上【不老不死】の秘術に手を出しちゃダメだよ。……【調整力】が大きすぎる。下手したら国が亡びるから……ね」


 フリージアからこのように理不尽な振る舞いをされたことは今まで一度もない。

 【不老不死】が禁忌の秘術であることを王に悟らせるのに十分であった。

 

「こ、心得ました。誓って今後はいたしませぬ」


「うん。よし」

 そう言ってフリージアは指を鳴らす仕草をする。


――パリン――


 と音が鳴ったかと思うと、臣下を覆っていた氷は砕け散った。

 そして砕け散ったかと思うと、氷は霧のように消え去ってしまった。


「……久々に面白くなりそうだなぁ」

 そう言ってフリージアは姿を消した。


 途端に、謁見の間の温度はおおよそ元に戻ったが、余韻のように冷気が漂っていた。


「皆、大事ないか?」


 ゼデク王は一瞬とは言え全身氷漬けにされた臣下の安否を確認する。

「はっ。皆無事に御座います」


 臣下を代表して宰相が王に答えた。


「ならば良し。皆察していたとは思うが、今大精霊フリージア様が顕現なさっていた。フリージア様によると【不老不死】によって地脈が活性しているとのことだ。余との会話の中で【調整力】という表現をされていたが、【不老不死】は【不老】よりも【調整力】が大きいと仰られていた。そして二度と【不老不死】の秘術には手を出すなと警告された。その警告で皆が氷漬けにされたわけだ」


「成程、得心がいきました」


「フリージア様の警告を蔑ろにすべきではない。以後【不老】及び【不老不死】を禁忌とする。これは王命である。メゼドが戻ったらしかと伝えよ」


「御意」


「まぁ、余も此度神聖レガード教国から教皇を動いたのは奇跡としか思えぬ。メゼドとて教皇の助力がなくば【不老不死】は出来まい。間違いは起こらんだろう」

「確かに……教皇無しにはあり得ぬ術であれば気を揉むこともありますまい」


「ところでミングス、【調整力】についてフリージア様はご説明なさらなかったのだが、お主はどう捉える?」


 ミングスとは宰相の名である。

 宰相にはフリージアの言葉が聞こえていなかった。そのことを王は勿論承知している。その上で宰相に問うのは、その頭脳を信頼してのことであった。


「はい、恐らく以前メゼドが申しておった、「災い」や周囲にもたらされる「豊穣」を【調整力】と表現されているのではと愚考いたします。また【調整力】が大きいということですが、メイロード伯爵領にもたらされる災いが大きくなる反面、国内にもたらされる豊穣……つまり地脈の活性も大きいのではないでしょうか」


「余と同意見だな。これを吉とみるか凶とみるか?」

「メイロード伯爵領を切り捨てるならば、当然吉でございましょう」


「で、あるか……ふむ」


 王はしばし思案する。


「メイロード伯爵領が魔境と化すのは想定よりも早いかもしれん。早急に手を打て」

「御意」


「皆災難であったな。今日は皆下がってよく休むがいい」


――はっ――



◇開拓村◇


 ダン、ガイル、ロイドの3人は無事に森から戻って来ていた。

 そして、戻ってくるなり女性陣の説教を受けたのであった。


 ダン達は森に異変が起きており、木々が巨大になっていること、巨狼に遭遇したことも説明したが、それが村を空けてアイザックと女性たちを危険に晒したことの言い訳になるはずもなく、八つ当たりに近い説教は更にエスカレートした。


 ただ、その巨狼が死熊の子供を捕食していたことを告げると、なぜか女性陣は泣き出して説教のボルテージは下がった。


 一通り説教が終わり女性陣の溜飲が下がった後、ガイルは慎重に口を開いた。


「いろいろ考えたんだが、アイザックはこの魔境と化すこの地で生きていかないといけない。だから、危険だからと村に置いていくんじゃなく、どんどん森に連れていって狩りの仕方や猛獣や魔獣、魔物との戦い方を身に付けていかないといけないと思う」


「ガイル、あなた何考えてるの? アイザックはまだ6歳なのよ?」

 当然の如くそれに反対したのはユーリだった。


「ああ、だが、アイザックは手負いの狂暴な死熊に何度叩き潰されても死ななかったんだろ? それに、死熊の頭を蹴り上げて倒したんだろ? 多分、森はこれからどんどん危険になっていく。アイザックに経験を積ませるなら早い方がいい。そして……俺もな」


 皆ガイルが言わんとしていることは理解できた。


 魔境と化すと聞いていた。

 でもそれはもっと先のことのように思っていたし、心のどこかでまだ何とかなるんじゃないかと楽観的に考えていた。


 しかし、昨日の今日で村に死熊が出た。

 死熊が出るような場所からは一刻も早く離れるべきだ。まして、森には死熊を捕食するような巨狼までいる。むしろ村を放棄するのが正しい選択だろう。


 ダンやロイドの家族なら別の地で暮らすという選択肢がまだある。何もないところから生活の基盤を整えるのは大変だろうが死ぬよりは遥かにマシだ。しかしアイザックにはそれができない。


 アイザックには教皇様の魔法がある。

 案外、一人でもこの地で生きていけるのかもしれない。


 しかし、親として、ガイルはアイザックとともにこの村で生きていきたい。そのために今より強くなりたい。その意思を表明したのである。


「俺も、じゃないわよ。私たちも、でしょ?」

 ユーリもガイルの言葉で気づかされた。

 アイザックと一緒に暮らしたければ強くならないといけないのだ。


 女だからと自分だけ引っ込んでいるわけにはいかない。


「ガイル……悪いが俺たちは……」

 ダンとロイドは気まずそうにしていた。


(あの巨狼を目にすれば無理もない)

 しかし、それも仕方のないことだとガイルは理解していた。

 

 ガイルは森での出来事を思い返していた。

 巨狼のボスと見えた時、壁越えを果たしたガイルでさえ身震いが止まらなかった。


 巨狼のボスはしばらくガイル達を見つめた後、何もせずにその場を離れていった。

 子熊とは言え、成人男性並みのサイズはある。体重は200キロ近くあったかもしれない。その子熊を難なく咥えて走り去っていった。


 正直、生きた心地がしなかった。

 子熊がいなければ、咥えられていたのは自分たちだっただろう。


「いや、気持ちは十分わかる。気にしないでくれ」


 そう言って妻の肩を抱きかかえる。

 たとえ一家族だけになろうともここで生きていこうと妻を励ますために。

 そして、大丈夫だと自分に言い聞かせるために。


 しかし、ガイルは指に違和感を感じた。

 そしてユーリの左腕を確認する。


「あれ? ユーリ、その腕どうした?」

「は? さっきも言ったでしょ? 死熊の爪で服が破けちゃったんだってば。聞いてなかったの?」


 そう言えば、説教でそんなことを言っていたなと思い出し、ガイルは表情がひきつる。

「あ、いや聞いてたけど……血がついてるじゃないか。大丈夫なのか?」

「ああ、この血ね。あのときアイザックがかばってくれたから……この血はアイザックの血よ。私もちょっと爪が当たって痛かったけど、怪我はしなしてないわよ。ほら」


 破けた服をめくり自分は大丈夫だという妻の説明に、ガイルは首をかしげる。

「いや、それだと説明がつかないぞ。ほら、服の内側にも血がついているじゃないか」

「え? そうなの? あら……、自分じゃ気づかなかったけどどういうことかしら?」


「……………………。俺の時と同じかもしれない……」

 ガイルの頭に一つの可能性がよぎる。


「もしかして……ユーリも壁越えしたんじゃないか?」

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