シオン村開拓編

第2話 不老不死の秘術

(苦しい……、苦しいよ……)


 床に伏し、息も絶え絶えな子供をその両親が看病していた。

 ただ、看病と言ってもここは王国の北の端の開拓村である。


 数家族の農奴のみで構成される村に医者はいない。また、付近の村も似たような開拓村である。

 医者のいる街までは片道3日はかかる上、その街まで行く金すらない。当然薬などの持ち合わせがあるはずがない。


 村長を任されている友人の農奴からは諦めるように言われていた。

 両親はただただ息子を見守ることしか出来なかった。


「お…かあ…さん……、僕……死ぬ…の?」

「いいえ、アイザック。安心して。ちょっと熱が出ているだけよ。死ぬわけないわ」


 しかし、母親の目から零れ落ちる涙が子供の病の大きさを物語っていた。

 子供の皮膚は爛れ、所々赤黒く変色している。


 病気のことに詳しくない両親の目にも、息子の命が残り僅かであることは明らかであった。


「頑張れ、アイザック。お前は父さんの子だ。この程度の病気に負けるわけない。そうだ、元気になったら今度狩りに連れて行ってやろう」

「ほん…とう? 今まで……ぜったい…ダメだって……言ってたのに……、う…嬉しい…なぁ」


 そう言ってほほ笑む息子の笑顔に父親の胸は抉られた。

 息子が両親を気遣って、なけなしの体力で笑顔を作っていたことを察したからだ。


「ああ、一緒にでっかい猪を狩って、腹いっぱい肉を食べようなぁ」

 父親は嗚咽を必死に堪え、涙を流しながら息子に応えた。


「ぼ…僕さ……何…だか……嬉しく…て……眠く…な…て……きちゃ…た」

「ええ、いいのよ。ゆっくり寝なさい。起きたらきっと元気になっているわ」


「お…かあ…さん……、お…とう…さん……、あい…して…るよ……」

「うん。……うん。お母さんも愛しているわ」

「もちろん、父さんも愛してるぞ」


「ぎゅ……て、だき…しめ…て……くれ…る?」


 両親は息子の願いに応えた。

 母親が息子を少し起こして抱きかかえ、父親は母親ごと息子を抱きかかえた。


 しかし、二人はもはやむせび泣くことを止めることが出来なかった。


 しばしの間、聞こえる音は両親の咽び泣く声だけだった。



 そんな中、隣人であり村長でもある友人が突如飛び込んできた。

「お、おい、ガイル!! 大変だ! 教皇様が、教皇様のご一行が来てくださったぞ!」


 始め、父親は友人の言っている言葉の意味が分からなかった。

 教皇という言葉の意味は知っている。


 しかし、教皇とは教会のトップ。場合によっては国王さえ頭が上がらないこともあるという遥か雲の上の存在だ。人生の中でそんな人物と接点があるなんて想像したことさえない。


「アイザックを治してくださるとのことだ」


 しかし、その言葉の意味は理解できた。


「ほ、本当……なのか?」

「ああ、本当だ! 奇跡だ、奇跡が起きたんだよ! お前たちの祈りが通じたんだ!」


 教皇様が何故こんな辺境に?

 という疑問がガイルの頭をよぎりかけたが、そんなことはどうでもいい。


 息子が助かる。

 重要なのはその一点のみだ。


「あ、ありがたい」

「では、お通しするぞ」


 そう言って友人が招き入れたのは身なりのいい年配の方々。

 どの方が教皇様なのか分からない。


 ただ唯一、一人だけ顔の分かる人物がいた。


「領主様もきてくださったのですか。わざわざ遠いところをありがとうございます」


 畏まろうとしたガイルに対し、領主はそのままでいいと手で合図する。


「うむ。日頃の諸君らの働きに感謝する。普段の善行に神が報いてくださったのだろう。息子の病気は治るぞ」

「ありがとうございます」


「メイロード伯爵、見たところ時間があまりないようです。私から説明してもよろしいですかな?」


 物々しいローブに身を包んだ男性が領主に尋ねる。


「うむ、そうだな。メゼド殿、頼む」


 メゼドと呼ばれた老人は進み出て口を開いた。


「治療の前に手短に説明をさせていただく。その子供の治療には地脈の力を用いる。そのためこの土地を離れることがあれば子供に掛けた術は消えてしまう。その場合、治療によって回復したダメージがその子供に跳ね返ることになる。つまり命の保証は出来ない。具体的には今後この村から外泊をともなう外出は出来なくなるがそれでよろしいか?」


「はい、構いません」


 否も応もない。

 ガイルは即答した。


「では、教皇様をお呼びするための準備を始める。二人とも子供から離れておれ。申し訳ないがメイロード伯爵は儂と一緒に子供の頭に手を置いてくだされ」


 両親はさっと身を引いた。


 領主は皮膚の爛れた子供の姿を見て少し怯んだが、メゼドの指示に従って子供の頭に手を置く。


 メゼドが呪文を唱え始めると床に黒く輝く魔法陣が展開した。


 これが魔法……。


 普段魔法を目にする機会がない両親は目を見開いてその光景を目にしていた。


 黒い光が息子を包むとメゼドは告げる。

「よし、準備は整った。教皇様をお呼びしろ」


 その言葉で外に待機していた従者が教皇を呼びに行く。


 程なくして教会のローブに身を包んだ神々しい方々がガイルの家に入ってきた。

 その中でも明らかに一人格式の高い身なりをしている老人がいる。その人が教皇で間違いないだろう。


 然程広くないガイルの家はかなり手狭になっている。


「教皇様、汚くて狭い所に恐縮ですが、よろしくお願いいたします」

 メイロード伯爵が教皇に治療を願い出る。


「ええ、お気になさらずに。すべては精霊神の御心です」


 教皇は服が汚れるのもためらわず、ガイルの家の汚い床の上に膝を屈めた。


「この子の名は?」


 そしてガイルの方を向き子供の名を訪ねる。


「アイザックと申します」


 ガイルは慌てて答えた。そして教皇の身分を問わない対応に心を打たれたのだった。


 教皇は大きく頷き、眠っているように見えるアイザックに話しかける。

「アイザック、あなたは精霊神の力によって病が癒されると信じますか?」


 アイザックからの返事はなかったが、僅かにその顎が沈んだ。

「よろしい」


 教皇は頷くとアイザックの額に両の手平を置き詠唱を始めた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■——」


 教皇の胸のペンダントから強烈な光が放たれる。

 そして白く光り輝く魔法陣が展開され、白い光がアイザックの身を包んでいく。


「——■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■——」


 その光は温かく、心に安らぎと力を与えるものだった。


「——■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■——」


 両親ともに目の前の出来事に感極まり、涙が止まらない。


「——【命の息吹】」


(((何と言う、神々しい魔法だ)))


 聖職者の中でも教皇のみが使える魔法——教会的には魔法と言う言葉で括られることを嫌い神聖術と区別している――に、そのあまりの神々しさに皆息を飲んでいた。


 ガイルは溢れる光の中でアイザックを見る。

 すると、今にも命の灯が消えようとしていた息子は目を開けていた。


 爛れて臭気を放っていた肌は艶やかになり、目には精気と力が宿っている。


「「アイザック!!」」

 起き上がった息子に両親は共に抱き着いた。


「よかった、ああ、よかった」

「本当によかった」


 死ぬものと思っていた息子は蘇ったのだ。


「きょうこうさま、ありがとうございます!!」

 起き上がったアイザックの反応は両親と異なり、まず教皇に感謝を伝えた。


「「教皇様、本当にありがとうございます!!」」

 その言葉で我に返り、両親も身を翻し、頭を床に付けて教皇に感謝を伝えた。


「ただ、私どもにはお金がありません。どうお礼をしてよいのか……」

「良いのです。これは精霊神の啓示によるもの。私はこの地に赴きアイザックという名の子供の命を救うように神に命じられたのです。金などいりません。私自身、今深く感動し、感謝しているところです。恐らくアイザックにはこの後の人生で為すべき務めがあるのでしょう。そのことを心に留めておいてください。代わりと言っては何ですが、教会はアイザックの今後を見守るためにもこの村に司祭を一人派遣することにします。快く迎え入れてください」


「「「はい」」」


 両親と村長は力強く返事をした。


 教皇はこの治療の目的を国王から聞いてはいない。国王が依頼する前に教皇からアイザックなる子供の治療の申し出があったからだ。国王としては渡りに舟だった。その申し出があった地は王国の北端であったことも都合が良かった。一番の難題と思われた教皇への依頼を乗り越えることができたからだ。


 【命の息吹】は即死状態の酷い損傷を受けていても完全に回復させてしまう最上位の回復魔法である。当然膨大な魔力を消費するため、次に使用出来るようになるまで1ヵ月はかかる。それほどの大魔法である。本来は王家などの要人の万一の時のために使用を控えるのだが、精霊神からの啓示に加え、国王からの依頼も重なり、農奴の子供に対してであっても教皇は【命の息吹】の使用を躇わなかった。


 教皇は国王に子供の治療を申し出ると同時にもう一つ願い出ていた。

 それがまだ村と呼べるほどでもないこの集落に教会の司祭を派遣するというものだった。


 見捨てるはずの土地に教会の関係者が駐在することは好ましくなかったが、国王は仕方なしにその条件を受け入れた。下手に拒んで詮索されるよりはこのまま事を進めて借りを作っておく方が良いと判断したためである。


 そのため教皇は国王の目的を知らない。

 自らの施術の裏で王国が禁忌に手を出そうとしているとは思いもしなかった。


「教皇様お疲れ様でした。このようなむさ苦しいところからは一刻も早くお出になり、どうぞ空気の新鮮な外でお待ちください。私めは子供の状態を確認し国王様に報告いたしますので」


 メゼドは恭しく教皇を外に出るように促すと【不老不死】の仕上げを行った。


 教皇がいては呪術を使うの止められる恐れがあったためである。当然のことながらメゼドが呪術師であることは教皇に秘密にされていた。


 メゼドは【不老】の呪術に加え、予めアイザックの体にとある術式を施していた。

 その術式とは、アイザックに施される魔法の術式を記録し、定められた条件に基づいてその魔法を発動させるというものである。


 つまり、【命の息吹】をコピーし自動発動するための術式である。


 【不老】にも同じことが言えるが、【命の息吹】を発動するには膨大な魔力を消費する。その魔力の問題はアイザックを地脈と紐づけることで解決している。

 地脈はその土地の領主と結びついており、ここでいうとメイロードがそれに当たる。そのためメイロードは来たくもない開拓村まで足を運び、触れたくもない農奴の子供に触れねばならなかった。


 かくして呪術の【不老】と【命の息吹】を合わせて、メゼドはアイザックに【不老不死】の秘術を施すことに成功したのである。


 大きな力を持つ者には大きな試練が課せられる。


 【不老不死】を得たアイザックにはこの後大きな試練が降り注ぎ、国中の災いが列をなして訪れる。その大きな災いはアイザックだけでなく開拓村、そしてメイロード伯爵領全域に及ぶのだが、その運命を知る者は王侯貴族を除き誰もいない。

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