第236話 俺の本当の名前


「ウィリアム、私が何故ここに来たか、分かるね?」


「……ウィリアムの名を出したから」


「そうだね」


ウィルの言葉にヘンリーさんが何処か含みを持たせた口調で、軽く小首を傾げた。

廊下を塞ぐようにして立つヘンリーさんからは、何処か以前出会った時とは違う、決意のようなものが見て取れた。

たおやかな微笑を顔に浮かべてはいるけれど、本当に心の底から笑っているように全然思えない。

むしろ、怒っているようにすら感じる笑顔だ。


何が起こっているのかわからない。

せっかくウォールの危機を救って、ようやく平穏を取り戻せたと思ったのに。


私はウィルの腕をぎゅっと掴んだ。

そうでもしないと、ウィル何処かにいっちゃいそうな気がして。


「あ、あのウィルは……」


膠着状態が続く2人の間に割ってはいるようにして私は口を開く。


「御機嫌ようレディ。こうやって無事にお会いできて光栄です」


長い髪をさらりと流しながら微笑んでくるヘンリーさん。

そうだ、どうして気付かなかったんだろう。

このくすんだ金髪の色はウィルと全く同じだ。


「あっ、あの時はありがとうございました!あの……」


「そんな悲しい顔をしないでレディ。申し訳ないんだけど、これは騎士長からの命でもあるからね」


するとヘンリーさんの背後からオレンジ色の髪をした騎士、ウォリックさんも顔を覗かせた。


「お久しぶりですウィリアム様。早速ですがお手紙の通りです。リチャード殿下が今回の件で直接お話をしたいと仰っています。騎士長命の元、貴方をノースベール領事館へ連行します」


「連行!?ちょっと待ってください!ウィルは何も悪い事なんてしてないですっ!!何がどうなっているか分からないんですけど、絶対に誤解です!」


「シーナ。俺なら大丈夫だ」


「でも……」


あまりにも日常生活とかけ離れた「連行」という単語が私の心をざわざわと不安な気持ちにさせる。

どうしてウィルがノースベールに連行させられないと駄目なの?

確かウィルってノースベール出身だとは言ってたけど、もしかしてそれに関係が……?


「ちゃんと話して帰ってくるから……待っててくれ」


「……」


帰ってくる?本当に?

私の家族も、大切な人も、いつだって「少し出かけてくる」って言ったきり、なかなか戻ってこなかった。

人の帰りを待つことが、どれだけ寂しいか私は知っている。


もしも、ノースベールの人に酷い事をされて帰ってこれなくなっちゃったら?

そんなの絶対に私、耐えられない。

だってウィルは、私の大切な人の1人だもん。


「……行っちゃやだ」


「シーナ……」


ウィルの腕を掴む手に力が自然とこもる。

色々な記憶が蘇って、ただ漠然とウィルから離れたくない気持ちでいっぱいだった。


私の手にそっとウィルの手が重なって、初めて、私はウィルの顔を見ることができた。

ウィルは少しだけ困ったみたいに眉を下げて笑ってた。


「ありがとう、俺の事を心配してくれて」


「えっ」


「絶対にお前を独りにしない。帰ってくるから」


そう言って、ウィルが私の手を軽く握った。


「ずっと、お前に嘘をついていた……言わないといけなかった事があったんだ」


「言わないといけない事?ウィル、私に何か黙ってたの」


「……あぁ、俺の本当の名前」


私の手を握るウィルが姿勢を正して私へと向き直る。

繋がっていない方の手を軽く自分の胸に添えて。

その姿はヘンリーさんやウォリックさんがしていた、騎士の仕草。


あぁ、朧気な記憶が滲んでいくみたいに蘇る。


「俺の本当の名前は、ウィリアム。ウィリアム・ウィンチェスター。ノースベールの騎士だ」


「……ウィリアム」


私がその名を口にすると、ウィルの表情が変わった。

決意を滲ませたみたいに真っ直ぐ、私だけを見つめてくる。


「ノースベールの主、リチャード・ウィンチェスター、外交官のヘンリー・ウィンチェスター。二人の弟であり、ノースベール第3国位継承者でもある」


「継承者……」


「お前は巫女である事から逃げないって言ったよな。だから……俺ももう家から……騎士から逃げない」


最後にきゅっと強く手を握られ、静かに離れる。


ウィルは何も言わずに待っていたヘンリーさん達の所へ向かうと、さっきとは違って今度は意思を強く口を開いた。


「ウィルアム・ウィンチェスター。リチャード騎士長の命に従い、一時ノースベール領事館へ帰国します」


「よろしい。では、行こうか」


歩み出す寸前、ウィルが私の方をちらっと振り向いた。

そして、静かに笑う。

その笑顔を見た瞬間、私は全身から力が抜けていくような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る