第7話 転生したのは埼京線

『小鳥のさえずりと穏やかな日差しが疲れ切った身体を包み込んでくれているの。

ピンクの花柄のオーダーカーテンと、アンティークショップで買ったウッドチェアは揺りかごみたいなやさしい感触。

家具をやさしいだなんて言うのっておかしいって理解はしているけど、これが私なんだから仕方ないの。

ミレニアムベアーがそんな私を笑っている。

笑いたきゃ笑えばいいわって。

私はクマちゃんの黒鼻を小突いたけれどまだ眠たい。

揺りかごの上で得意げに微笑んでいるミレニアムベアーを横目に、私はラジオを79.5に合わせるの。

ボサノヴァが2LSDKのリビングに響く。けどうるさくなんかなくて気持ちい。

まるで音符の妖精たちがスキップしているみたい。

そんな風に思える毎日はとてもハッピー。

スクランブルエッグに自家製のサルサソースをたっぷりかけて、無農薬野菜のコンポートサラダとライ麦パンのトーストをゆっくり食べる。

スローフードなんて知らない。

これは私がずっと昔からやってきたしきたりみたいなものだから・・・』


スカーレットはずっと独り言を呟きながら転寝していました。

隣のサラリーマンさんは、寄りかかるスカーレットの全体重を受け止めてくれています。その顔つきは満更でもないようです。

時々チラチラとスカーレットの寝顔を覗き込もうとしています。

しかし、サラリーマンさんが特に気になっているのは満員電車内の乗客達の目線でした。

今日は真夏の月曜日の朝8時です。

乗車率200パーセントの世界です。

夏休みに入ったちびっ子たちとお母さんと、サラリーマンたちと部活動の学生さんや競艇場に向かうおじさまたちで車内は阿鼻叫喚でした。

冷房も全く役に立ちません。

人々の熱気でむんむんです。


そんな中。


寄りかかる超絶美人の外国人のお姉さんの香りを楽しみ、しかも優雅に肩をすぼめて座席に座る企業戦士を皆はどう見ているのだろう・・・と、サラリーマンさんは思っていたのでした。


「ガーデニングは私の気持ちをとても穏やかにしてくれるの。

現代社会って、人同士の信頼関係が薄っぺらくなってるから奇麗なものに魅かれちゃうのかしら。

ガザニアはパンプキンタルトみたいね。甘くて美味しそうだわ。

その点、サルビアはとてもクール。

だけど向日葵にはどれも敵わない。

おもちゃ箱みたいなバルコニーは私のお気に入り。ベンチに座る時間は幸せ。

スプリンクラーの水飛沫が虹を描いている不思議に、私はいつまでも酔い痴れていたいわ。

そう、いつまでも。

夢が覚めてしまわないように・・・」


スカーレットが夢を見ながら呟く言葉には意味がありました。

インプリンティング・フォレストで刷り込まれた転生世界での記録の復習です。

夢の中ではこれまでに転生先で培われた思想や感情、そして言葉使いや生活環境、社会的立場や癖、好き嫌いに至る全ての情報が整理され、目を覚ました瞬間に決定付けられるのです。

そんな夢見る世界の呟きはツイートと呼ばれています。

ところが、スカーレットがツイートしている場所は満員電車の埼京線の車内でした。

乗客達の視線は座り込んで転寝しているスカーレットに向けられています。

行動もさることながら、その奇抜な格好(転生先である地球・日本・東京・埼玉・埼京線内・朝のラッシュ時において)も注目を浴びる要因となってしまったのです。

ミディアムヘアーをまとめあげた可愛らしいリボン。

ショルダーレスのドレスと、引き裂かれたスカートから覗く細くて長い足。

魔法使いの世界で暮らしていたスカーレット・インブルーリアは、転生先でも外見上の変化は微塵もありませんでした。

むにゃむにゃと幸せそうな寝顔で、しかも寝言で流暢な日本語を操る。


ー仮装した外国人の美しいお姉さんー


は、それでもツイートを続けています。

さっきまでいたサラリーマンさんはとうにいなくなり、スカーレットの両隣は何故だか空席になっていたのでした。


「水玉って好き。だからシャボン玉も好き。

私はたまに水飛沫の中に飛び込んでみるの。髪の毛からほっぺとか・・・乾いた肌に気持ちいいでしょ」


スカーレットはとうとう笑いだしてしまいました。

その途端、周囲の乗客達が石ころを投げた水面の様に退いて行きました。

ただ一人、ウエストポーチの巨漢の男性を除いて。


ウエストポーチのお兄さんの自宅は大宮です。

JR埼京線は企業戦士という名の勇者を、売り上げ至上戦場・生産性向上戦場へと誘う不沈空母のように、大海原をがたごとん、どんぶらこと進んでいるのでした。

といっても、そんな風に考えるのはお兄さんだけかもしれませんが・・・。

土日祝日関係のない飲食店で働く彼の役職は店長補佐です。

学生アルバイトさんや契約社員の皆さんの悩みや愚痴を一手に引き受けて、職場環境を円滑に進めるのが主な仕事です。

狭い視野の限られた世界では、コミュニケーション力こそが大切だとお兄さんは考え、慰労会や感謝祭と銘打っては週に1度の飲みニュケーションに尽力していたのでした。

ところが中間管理職特有のストレスは図り知れず、勤続10年にして肝臓を壊し、蓄積されたアルコールのせいで痛風をも患う羽目になってしまいました。

それでも働かなくてはなりません。

貯蓄もない独身生活は病気によって。


「不安な事態」


だと認識するに充分なライフイベントのひとつとなりました。

そんなお兄さんのストレス発散法は、通勤中に電車で読む電子コミックです。


「解決ポピュリズムちゃん」


は、美少女転生ヒーローもの。

ブラック企業に君臨する悪を懲らしめるポピュリズムちゃんは、ツインテールのお目めぱっちりの女の子。

痛快ラブコメディーアクション時代劇は、老若男女にとても人気がありました。

お兄さんも自分の世界と重ね合わせて、コミックの独特の世界観に陶酔していたのでした。

春夏秋冬、片時も解決ポピュリズムちゃんを忘れた日などありません。


銀杏の塩焼きが美味しかった秋。

寒ブリに舌鼓をうち続けた冬。

ふきのとうのてんぷらを貪り食べた春。

そして夏のひすい茄子。


今日も仕事を終えたら、プリン体ゼロの黒ホッピーで1杯やるつもりでした。

額やほっぺから滝のように流れ落ちる汗もなんのそのです。

お兄さんは目の前に座るスカーレットには目もくれず、前かがみでスマホを眺め続けていました。

髪の毛から滴り落ちる汗の雫も気に留めないせいで、スカーレットの膝はびしょ濡れになっておりました。

車外に見える荒川の水面がキラキラしています。


電車は間もなく赤羽駅へと到着する時刻となっておりました。


霞む大海原。揺れ落ちる真っ赤な太陽。

生命の仕組みを教えてくれるのは白波。

行き先案内人はシロイルカ。


「案内人がシロイルカなんて可笑しいわ。だって人じゃないじゃない。帰ったらレット様にも教えてあげなくちゃ」


スカーレットの意識が覚醒し始めています。

うっすらとまぶたを開けると、小舟の様なモノが見えました。

シューシューと、汽笛の様な音もしています。

心地の良い揺れを感じながら、スカーレットはこうも思いました。


「私は海賊にでもなったのかしら?女海賊スカーレット・インブルーリア。悪くないわ。スリリングでミステリアス。そしてちょっとだけエロティック。賞金稼ぎとのロマンス・・・私の望む世界よ。ありがとう法王様・・・」


小舟の先がトントンと動いています。

スカーレットは気が付きました。

大海原に浮かんでいたと思っていたのは、ダンロップのウォーキングシューズでした。片方の靴紐は完全にほどけてだらしなく床に垂れています。

目線をあげると、ケミカルウォッシュのジーンズの白波が伸び縮みをしています。ぱつんぱつんの大海原はそのままお腹に広がっていました。

スカーレットの頭の中に。


「?」


がたくさん浮かびました。

しかしそれは直ぐに確信へと変わったのです。

揺れているのは電車の中だからです。

シューシューと聞こえるのは目の前のウエストポーチのお兄さんの息遣いで、スマホで顔は見えなくても、髪の毛から滴り落ちる汗は振動によってスカーレットに降り注がれています。

むき出しの肩、胸元、首筋、そして膝上はびしょびしょです。

スカーレットは全てを認識して。


「きゃあ!!」


と悲鳴をあげました。

その時です。

埼京線車内にアナウンスが流れました。


「緊急停止します。緊急停止します。エマージェンシー!!」


ウエストポーチのお兄さんの巨体が迫ります。

バウンドするお腹のお肉に鼻と口を塞がれて息が出来ません。

スカーレットは遠のく意識の中でハッとしました。


「私・・・記憶が残ったままだ・・・」


そしてとうとう気を失ってしまいました。

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