第6話 芹ヶ谷公園

 買い物を終えた私たち3人は、いつの間にかお昼を回っていたことに気がつき昼食を取ることにした。


 未怜の提案で、何か食べ物を買って公園で食べることとなった。

 何とその公園の中には美術館もあるらしく、ここは美術部らしく芸術に触れようということとなったのだ。


 芹ヶ谷公園というらしいその公園は町田駅から徒歩10分程にあって、大型の遊具や噴水もあり、新緑の木々に囲まれたその空間は街の喧騒から外れて一息つくのにぴったりだった。

 未怜は公園に入り長い滑り台を見つけるとすぐに走り出し、明らかに高校生を対象としていないその遊具を颯爽と滑っていった。


 私と瑞希先輩は顔を見合わせ、少し呆れながらも笑いあって2人とも滑り台を滑って未怜の後に続いた。

 小学生以来に滑る滑り台は思ったよりも速く、そのスピードで公園の景色を後ろに流しながら、心地よい風が少し歩き疲れていた私の肌をなぞる。


「久しぶりに滑ったけど、気持ちよかったね!」


 先に滑った瑞希先輩はロングボブの髪を肩から前に垂らして、まだ滑り台の上でしゃがんだままの私に手を差し伸べてくれた。


「風が気持ちよかったです。ちょっと怖かったけど」


 私は瑞希先輩の手を取り、立ち上がりながら照れて笑った。

 瑞希先輩も同じ気持ちだったらしく、2人で笑いながら先に行った未怜を探しすと、未怜は噴水のある広場でテーブルと椅子を確保して手を振りながら待っていた。

 土曜日なだけあって、周りには子供連れの家族やカップルが多く、女子3人で来ているのは私たちだけだった。

 噴水には大型の金属製のモニュメントがそびえ立っており、風に吹かれて様々に動くその姿は風車の様でいつまでも見ていられそうだった。


「早く食べよー!もうお腹空いちゃって!」


 未怜が急かすので、私たちはテーブルの上にビニール袋からパンとドリンクを素早く取り出し、少しだけ遅めのランチを取ることにした。

 今日は天気もよく、空気も都内とは思えないほど澄んでいてとても気持ち良い。

 水滴のように輝く子供たちの笑い声が噴水の音に混じって聞こえてくる。


 3人でたわいもない話をしながら、飲み慣れないカフェラテをストローで口に運ぶと、見た目とは裏腹に甘くない。


「結奈、シロップ入れ忘れてるよ!」


 私の表情が歪んだのを見て、隣に座る未怜が私の袋の中から笑いながらガムシロップを取り出してくれた。

 そのやりとりを見た瑞希先輩も食べかけのサンドイッチを両手で持ちながらクスクスと笑った。


「そういえば、未怜はいつから絵を描いているの?」


「小さい頃から絵を描いたりするのは好きだったんですけど。本格的にやり始めたのは中学からですかね。小学生の頃は外で遊んだりするのに忙しくて」


 瑞希先輩が一息ついてから尋ねると、未怜はチョコレートドーナツをかじりながら答えた。


「私の名前、未怜って画家からとったらしいんですよ。ジョン・エヴァレット・ミレーのミレー。もともとは母親が絵を好きで、ミレーのオフィーリアが特にお気に入りみたいでそこから名前を取ろうとしたみたいなんですけど、うまく日本語にならなかったので作者の方からとったそうです。オフィーリアみたいに溺れない様に、水泳は小さい頃から習わされましたけどね」


「へー、素敵な由来だね。それじゃあお母さんの影響で絵が好きになったの?」


「うーん、まぁそんな感じですかね?先輩はいつから描いてるんですか?」


 未怜は手についたチョコを舐めながら尋ねた。


「私も中学からだよ。美術部の先生がかっこよくてさ」


 瑞希先輩は照れ臭そうに笑う。


「初めはその先生目当てで入部したんだけど、描いてる内に何だか楽しくなってきて。今は色々な表現を模索しているところ」


 2人はとても楽しそうに話していた。

 自分の好きなものを語る眼は何て輝いているのだろう。

 私もこれから先、あんな風に絵を語ることができる様になるだろうか。

 どこか憧憬の念に似た感情を抱きながら、私は2人の会話に耳を傾けていた。


「結奈はさ、中学は吹奏楽部だったんだよね。どうして美術部に入ろうと思ったの?」


 サンドイッチを食べ終わると、瑞希先輩はアイスティーを飲みながら私の方を向いて尋ねた。


「えっと、中学の時の部活はすごく厳しかったんですよね。あ、厳しいのが嫌いっていうわけではないんですけど、全国大会とかを目指している部活で、土日もないくらい練習をして、毎日楽器を吹いて、合奏メンバーのオーディションがあって。そんな生活が当たり前だったんですけど、部員も多いと人間関係も色々あって…、このままだと楽器のことが嫌いになりそうだなって思って、それで高校は違う部活に入ろうと決めてたんです」


「全国大会?すごいね!結奈も全国行ったの?」


「3年生の時に、メンバーに選ばれて大会に出ました。結果は銅賞でしたけど。」


「えー!それでもすごいじゃん!頑張ったんだね!」


「辛かったですけど、頑張りました。それで、高校では未怜が美術部に誘ってくれて。私、絵が下手くそで本当、恥ずかしいんですけど、これから頑張ってみようと思ってます」


 嘘偽りの無い本心からの言葉。

 新しい世界への一歩をこんなに素敵な仲間と一緒に踏み出せるなんて、なんて幸運なんだと感じていた。


「そういえば、あの美術室に飾ってある絵、哲司先輩が描いたって本当ですか?」


 画材屋さんを出た時から気になっていたのだが、聞く機会を逃してしまっていてようやく聞くことができた。


「本当だよ。全部じゃ無いけどね。私が1年の時だから、哲司先輩が2年の時かな。その時は哲司先輩も毎日部室に来てて、話しかけても聞こえてないくらい集中して描いてたよ」


「へー、すごいですね。私、あの絵を見て感動しちゃって、それもあって美術部に入ろうって決心しました」


 私は気がつけば身を乗り出して話していて、勢い余って、左肘がカフェラテにぶつかり溢れそうになってしまった。


「あはは!それ哲司先輩に伝えてあげなよ。きっと喜ぶよ。あの絵は見た?内閣総理大臣賞を獲ったやつ。眠られぬ朝の木漏れ日。この間準備室も覗いてたでしょ?」


 心臓が強く脈を打つ。


(あの絵が?あれも哲司先輩が描いたっていうの?)


 茜色に染まる準備室で見たあの絵が浮かび上がってくる。

 絵の具の香り、夕日に照らされて宙を舞う埃、その中で浮かび上がる森の中の柔らかい光。


「見ました!あれも哲司先輩が描いたんですか?哲司先輩、そんなこと何も言わずに布をかけちゃって」


「私も中学の時、コンクールで見たけど、あの絵はすごいですね。こんな絵を描く人が高校1年でいるなんて、本当びっくりしましたよ!」


 未怜も手を握りしめながら興奮して話している。


「うん、すごいよね。哲司先輩、自分で言わなかったんだ。きっと照れ臭いんだな。ああ見えてシャイなんだよあの人。私もさ、コンクールで良い賞を目指してるんだけど、まだまだ哲司先輩には及ばないな。でも、今年こそは!って思って頑張るつもり!」


 いつの間にか、雲一つなかった空にはかすみ雲が浮かんでいて、カフェオレは結露してウッドテーブルに露で丸い円を描いている。

 さっきまでとは風向きが変わって噴水から細かい水飛沫が時々飛んできた。


 私は少し呆然として、あんなに素敵な絵を描ける人がどうして今は絵を描いていないんだろうと不思議に思った。


「よし!お昼も食べ終わったことだし、美術館行ってみない?結奈、色々な作品に触れるのも勉強になるよ!」



 その後、私たちは公園内にある国際版画美術館を見学した。

 美術館を出た頃にはすっかり日が暮れていて、噴水のモニュメントは西日を受けて長い影を携えてそびえていた。

 風に揺れて動く姿はまるで振り子時計の様で、それでいてランダムに動いて自然のリズムを体現している。

 私たちは美術館の感想を言い合いながら、駅に向かって歩いた。


「それじゃあ、また月曜日にね!」


 2人と別れ、私は箱根湯本行きの急行電車に乗り込んだ。

 発車ベルが鳴り、ドアが閉まる。

 ゆっくりと加速する電車の窓越しにぼんやりとホームを眺めていると、人混みの中にどこかで見たことのある顔を見つけた。


(あれ?哲司先輩と、斎藤先生?)


 スピードを上げた急行電車はその景色をすぐにスライドして、境川を渡っていった。

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