第九十二話『守りたいとその笑顔』
探偵が犬に吠えられ、とある3人がぬいぐるみの店主に文句を言っている頃。
白衣の男は片棒の指示通り、塔を目指していた。ギルドで茶を飲み、今は路地裏を通っている。
誰かに声を掛けられることなど、ありえなかった。
「ハードレッド、ルベルトさん」
「え?」
白衣の男は驚気のあまり間抜けな声を出して、声のする方向へ振り返った。そこに居たのは淡黄色髪の獣人の女性。獣種は狐だ。
白衣の男、ハードレッド・ルベルトは赤い丸サングラスをクイっと人差し指で上げる。
「あの…」
「敵ではありません、どちらかと言わせてもらいますと味方に属する部類ですよ」
獣人の女性は両手を上げて微笑んだ。
その笑顔を見て、ルベルトの緊張感は霧に溶けるように緩和していった。
それと同時に彼女の笑顔は、埃をかぶった妻と娘との思い出を鮮明にさせるものであり。仕事にその身を捧げているハードレッド・ルベルトは、緊張を解かなければならない。
それは本能だ。
「その、急いでいるので、後にするか、もしくは手短にお願いします」
「では後者の方を選択させて頂きます」
彼女は紳士的なお辞儀をしたかと思うと、頭を上げたと同時に先程までにはなかったはずの注射器を手に持って、その商品が最も美しく見えるであろう角度から男に魅せた。
中には黒い液体が、渦巻いて見える。
「これから猟をなさるのですよね、実はなんとこの私、商人でして、ぜひご協力させて頂きたいと」
尻尾をゆったり揺らして、その商人はわざとらしく左に華奢な体を傾けた。淡黄色の髪が揺らぐ。
「協力、か」
悪くない話だと、白衣の男は考えた。彼は必ず生きて帰らなかればならない。彼を待つ家族がいるのだ、そしてこれは帰るための最後の仕事なのだ。
利用できるものは、全て使いたい。
「こちら」
商人は器用に弄んでいた注射器を突然男の目の前に突き付けた。
男は少し
「生命力と引き換えにはなりますが、想像を絶するような力が手に入る代物でして……」
「いらん、遠慮しとく」
しかし話を少し聞いたばかりで男は興味が無い、というよりは嫌悪の感情をおもむろに出しながらその商談を断った。
さすがの商人もこれには気を悪くしたらしく、口を尖らせて注射器をからからと揺らした。
「よろしいのですか、あなたが狩ろうとしているのは狐狸などではなく、飢えた
少し拗ねたように、そして心の底から男の身を案ずるように釘をさした。
「ですので、もし適わないとなった時の為、保険ですよ」
口に手を当ててヒソヒソと、男に忠告をした。男はそんな商人を見て空を仰いだ後、向き直って話し始めた。
男の見た空は、白黒だった。
「この仕事が終わったらな、私は研究員を辞めるつもりなんだ」
「それはそれは、ご苦労様です」
商人が首を左右に傾げる度、狐耳もたゆたゆと左右に揺れる。
男も視線が耳に自然と魅入ってしまっていることに気付き、ゆっくりと素知らぬ振りをしながら視線を洗濯物が干されたロープに向けた。
「理由分かるか」
「お給料があまり宜しくないとか」
想定外の答えに思わず視線をまた商人に向けてしまうが、すぐに目を逸らして今度は壁に掛けられた朽ちたランプを見つめた。
そんな男の姿を、商人は不思議そうに首を傾げ眺めていた。
「妻と娘の元に帰るんだよ、生まれて間もなく、仕事が激化してな、この10年間家族の顔を見てないんだ」
「お気の毒に」
狐耳をぺたんとへたらさて悲しそうに俯く、男はそれを横目に。
「死んでまで、誰かを殺したいとは思わん、俺はな」
微笑んで、しかし子供を叱るようにそう言った。そんな男を商人は怪訝そうな顔で見ていた。
「だから、なんだ、すまんがその注射器は必要ない」
「そうですか」
注射器をピンッと指で弾き、商人は男を睨みつけた。
しかしそれもほんの一瞬、またすぐに笑顔を作り、可愛らしく小首を傾げて商人は軽やかに言った。
「必ず、私が必要になりますよ、余儀はありません」
そう言い残して、商人はマントの中に吸い込まれるようにして消えていった。
その場に残された男は同じくそこに置いていかれた白いマントを拾った後。
街の高台に立つ塔へと歩きだした。
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