第四十五話『復讐の種』

 階段は非常に緩やかな坂だった。

 かなり下まで降りてきたと思っていたが、そうでもなかったらしい。

 空が見える、相変わらず、曇っているけれど。

 天井が一部損壊していて、外が見える。


「生き物が死ぬのは、生きているからだ。生から死が生まれる、生まれてしまえば死がまた生まれる。死がこの世にあり続ける限り、私は真実を追い求める」


 不意に、落ち着いた男性の声が静寂を破った。

 その男は振り向きもせず、端から架けられた鉄網の道と、そこへ続く中心部の階段の広い踊り場からただぽっかりと空いた穴から曇り空を眺めていた。


 スチームパンクな装束と隔離式フルフェイスガスマスク、背中にはガスマスクと管で繋がっているタンクを背負っているガタイのいい男。

 そして、タンクの下の背から生える大きな蝶の羽。

 男は──マダラはゆっくりとこちらに向き直って、ガラス越しに見える目で軽蔑の眼差しを機械へと向けた。


「ナラ、俺ハ殺センナ」

「ふん、産業廃棄物如きが、スクラップにしてやろうか」

「っ……」


 苛立ちが抑えきれなくなって、気が付いたら銃の引き金を引いていた。腕には自信がある、制止している標的を相手に弾を外すはずがない。

 けれども心臓に弾丸を受けたはずのマダラは、その体が溶けていくように沢山の蝶が羽ばたいて。

 姿を消した。


「生き物は死から逃れるために、進化してきた、そのひとつが、擬態だ」


 違う方向から、マダラの声が聞こえた。

 鉄網の道を、ゆっくりと歩いている。


「死ねっ!」


 銃を撃った。

 それでもまた、マダラの身体から溶けるようにして大量の蝶が羽ばたいた。


 足音が、自分を囲むようにして聞こえてきた。

 マダラが、数人、鉄網の道を歩いていた。

 半ばパニックになって全てのマダラに向かって発砲した、その全てが蝶となり闇に溶けていった。


「落チ着ケ、木菜」

「……すみません」


 また、一人マダラが、踊り場に姿を現した。

 本物かどうかも分からない。


「射撃訓練なら満点だが、戦場ほんばんでは落第点だ」

「マダラ、同行願オウカ」

「いい加減学べ、そう言って私が今までに承諾したことがあったか、ないだろう、それはこれからも変わることは無い」


 師匠が背負っていた大剣の柄に手を掛け、マダラに向かって地面を蹴った。

 突進の様に距離を詰めて大剣を振るうが、マダラはそれを金属で覆われた二の腕で受け止めた。


 自分はその隙をつき発砲しようと試みたが、弾切れなことに気づき急いで装填を。

 その間にも2人の戦闘は止まることなく、師匠がマダラに蹴り付けたがマダラは一歩後ろに引いただけでほとんど効いていない様子だった。


 師匠の蹴りは普通なら骨を折る事は当たり前で、そのまま5、6メートル蹴りをいれた相手を飛ばすこともある。

 普通なら、だ。マダラがどれだけ普通じゃないのか、改めてよく分かった。


「師匠!」

「クソ野郎ッ」

「ぐぬっ…」


 首を捕まれ地面に叩きつけれそうだった師匠を間一髪、マダラに発砲することで回避したが。

 銃の、効果がほとんどない。

 身体に銃弾を撃ち込んでも意味が無い、守りが薄い頭を狙わなければ。


 ─────今、なにか視界の端に……。




      〇



 ほぼ互角。

 されど、マダラの方が上手だった。

 防御が硬すぎる。

 マダラはそこからほとんど動くことなく、師匠の猛攻を全て防ぎ、時折カウンターを仕掛けてくる。


 月明かりが工場内を照らした。

 いつの間に月の出る時間帯になったのだろうか、それにこの街で月を見ることになるとは。

 月明かりが、こんなに眩しいと思えるのは目がこの街に慣れてしまったせいだ。

 この調子だと、太陽を見ると目が焼け焦げるのではないかと不安になる。


「時間だ」


 マダラはそう呟くと、師匠の首を正面から掴み、壁へ投げつけた。

 どういう握力してるの。

 鉄の塊である師匠を、それも片手で投げた。

 もしかするとマダラも人間ではないのかもしれない、見た目もアレだし師匠と同じく機械生命体?


「クソッ…」

「止まれ、私も暇では無いのでな、そろそろ行くとしようか」

「逃ガスト思ウナヨ」

「それは、どうかな、蝶は私に従順だ、その粒子までもがな」


 マダラはこちらの方を、顔だけでクイッと指し示した。

 師匠の目には自分はどう映っただろう、そもそも目はあるのかな。

今、自分には、黄色く少し淡い光を放つ蝶が身体にまとわりつく様にして留まっている。


「えっと、その、師匠、すみません」


 蝶を振りほどいて、師匠を手助けすればよかったのに。

 嫌な話を思い出して。


「この蝶、フォルテンという蝶だと思うんです、フォルテンは鱗粉の大きさが蝶の中でも極めて小さいことで知られているんです…」


 その鱗粉の大きさは0.00006µmだと図鑑で見た、粒子状物質の粒子の大きさは2.5µm以下のものだとされていたはず。

 大きさが、明らかに違う。


 マダラがただ鱗粉が小さいだけの蝶を連れてくるとは思えない。

 僕は朝の志東さんとの会話の、遺伝子改変だとか。そういう話を思い出してしまって。

 それを関連付けてしまって。


 このガスマスクの性能を詳しく知っているわけじゃないけど。

 自分には、命を天秤にかける勇気を持つことは出来なかった。命を持つので精一杯なのに、勇気なんて重いものを自分は持てない。


 1歩踏み出せばよかった、そしたら後戻りなんてできない。

 1歩踏み出せば終わることは確定していた、《もしかして》とか《ひょっとすると》とか《奇跡が》とか。そんなの関係なく。終わってしまう。

 それが自分の運命だから。


 でも、その1歩を踏み出すことが。

 自分にはどうしてもできない。

 志東さんのせいだ、志東さんと話していなければ。


 ────話していなかったとして自分は一歩を踏み出していたのだろうか。


「勘がいいな、見事だ、素晴らしい」

「…嬉しくありません」


 褒められると嬉しいが、この場合、湧き出てくる感情は嫌悪だ。

 師匠は固まって動けない──動かない自分を一瞥して、大剣を地面に置いた。


「わたしを追っているのだろう、なら、また会うことになるだろう」

「一ツ、聞キタイコトガアル」

「……そうだな、礼として教えて答えておいてやろう」

「……」

「蒔いた種の経過を観察しようかとな、結果は満足いくものだった、改めて礼を言おう」


 マダラが言ったと同時、月明かりの届かない暗闇から、何千何万という蝶がマダラの周りに集まりだした。

 気づかなかった。一体、どうやってこの数の蝶を隠していたんだろう。

 びっしりと敷き詰まった蝶の群れを想像するが、あまり気持ちのいいものではなかった。

 気持ち悪い。


「次会ッタ時ガ、オ前ノ最後ダ、マダラ」

「そうか、ではそう記録しておこう」


 自分にまとわりついていた蝶も、そのマダラを囲む大きな蝶の群れへと羽ばたいた。

 それを、師匠は見遣ると大剣を拾い上げ、マダラへと突き刺すように投擲。


「さらばだ」


 マダラがそう告げるとほぼ同時に大剣は、蝶の群れを散らした。しかし、そこにマダラの姿はなく、大剣は壁に突き刺さった。

 残された大量の蝶は、月明かりが照らす夜空へと消え去っていった。




      〇




「成果が得られませんでしたね、俺のせいです、すみません」


 自分はそう師匠に頭を下げた。

 師匠は「気ニスルナ」とそれだけで答え、突き刺さった大剣を引き抜いた。


「成果ガ、得ラレナカッタトイウコトハナイ」

「そう…ですね、奴の使う蝶も分かりましたし、どうにか対策を……」


 考えないと。

 理屈では説明できないことが多すぎる。

 もっと、ちゃんと考えて理解しないと。

 師匠も、志東さんもきっとそうやってこの仕事をして、敵の命を奪っているんだから。

 もっと、学ばないと。


 生から死が生まれる、生を持つ者は必ず死に追われる。

 だから、生き物は死に追いつかれないために。必死に走る。他人を押し退けてでも、邪魔な誰かを殺してでも、必要な誰かを殺してでも。

 たまに、師匠が羨ましく思う。

 そう師匠に言っても、師匠はこれに困ったように首を振るだけだが。


「何カ、容器ヲ持ッテイナイカ、デキレバ気密性ノ高イ物デ頼ム」

「容器ですか?」


 何気なしに師匠の方を振り向くと、師匠は大剣から黄色く淡い光を放つ蝶を大剣から剥がしていた。


「え、それ」

「コレデ、解毒剤ヲ作ラセル、対処ガデキレバ、怖クナイダロ」

「師匠……、あ、とにかく、容器ですね」


 次は、置いていかれても。文句は言えないと覚悟していた。

 この任務に当たったのだって、師匠に無理を言って参加させてもらったものだ。

 解毒剤。

 師匠だけなら、必要のないそれを。


 僕は、腹の底から込み上げてくる、熱い何かをグッと堪えてカバンの中を漁った。


「あ、これ」

「ナンダソレ」


 完璧密封パック。

 300円と書かれてあるシールが、控えめに貼ってある。

 僕も魔学を熟知している訳じゃないけど、精密な魔法が重ねて掛けられてある。

 これで300円。なんて良心的な値段なんだろう。


 僕はこれを折りたたんで輪ゴムを巻いて、師匠に放り投げた。

 できれば、蝶には近づきたくなかった。


「ナイスダ」

「ナイスなんて言葉、使うんですね師匠、…意外です」


 宿に帰ったら、とりあえず、志東さんにデコピンでもして、その後お礼を言おう。


 見上げた夜空は、眩しかった。

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